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新垣結衣の笑顔を封印した野木亜紀子の狙い 『獣になれない私たち』晶は“自由”のために戦うのか?

リアルサウンド

18/11/14(水) 6:00

 ドラマは5話を過ぎ、物語はちょうど、堂々巡りの大きな1巡目を終えた。第1話で、新垣結衣演じる晶は、かっこいい服とブーツという鎧を身につけ、「自由を手にするために必要な戦い」を華々しく開始したはずだった。だが結局はうまくいかず、晶を羨望し、自虐を武器にして何もしない人たちの「平和」を保つために、「幸せなら手をたたこう」と無駄に協調性の高い歌を口ずさみながら働き続ける。そして遂には第1話で線路に飛び込みそうになった時のように、ビルの屋上で、今にも自分を吸い込みそうな地面を見つめるのである。こんなにも苦しいドラマがあっていいのだろうか。こともあろうにガッキー主演で。

 そこに「原節子」というフレーズがでてくる。晶の上司・九十九(山内圭哉)にとっての精神的な女神、男たちの永遠のヒロイン・原節子。その称号を現代に置き換えると誰がふさわしいか。他ならぬガッキーこと新垣結衣なのではないか。

 「老若男女問わずみんなが好きなガッキー」、「ガッキースマイル最高」といった彼女の人気を不動のものにした大きな要因は、他ならぬ、昨年放送の野木亜紀子脚本ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)だった。実際私たちはその笑顔に、そのキュートなダンスに、言うべきことはきちんと言いつつ、明るく朗らかに前に進むことのできる主人公みくりの姿に、どれほど癒され、救われたことか。

 『逃げ恥』の野木亜紀子が、『獣になれない私たち』で再び新垣を主演に描いたのは、彼氏・京谷(田中圭)や上司・九十九、後輩・上野(犬飼貴丈)たち男にとっての都合のいい「女神」深海晶だった。そして、その輝くような笑顔を、松田龍平演じる恒星に「キモい」「嘘っぽい」と切り捨てさせたのである。

 野木が打ち立てた現代のニューヒロインは、誰かの都合のいい理想に祀り上げられて、自由に生きることも、本能のまま恋に落ちることもできない。そして、彼女が何より悲しいのは、死にたくなっても自暴自棄になっても、誰も手を差し伸べてくれる人はいないのだ。線路に飛び込んでしまいそうになっても、寸前で引き止めてくれる運命のヒーローはこのドラマに登場しない。屋上から飛び降りてしまいそうで縋るようにスマホのアドレス帳をスクロールしたところで、誰に電話すればいいのかわからないほどに孤独だ。いっそバカになって男と一夜を共にしようとしても、男のほうが先に酔いつぶれてしまい、結局は酒と銭湯で心を癒すのである。誰にも頼れない。

 第3話で呉羽(菊池凛子)は、原節子と対極の存在として自由の女神を持ち出す。「自由の女神の顔ってけっこう険しい顔してる」。そして「自由を手にするには必要なんだよ、戦いが」と言い放つ。そう、晶の戦いは、みんなの“原節子”から「自由の女神」になるための戦いなのである。

 だが、戦おうとする晶の足を全力で引っ張る人たちがいる。京谷の元彼女・朱里(黒木華)、2人の部下・松任谷(伊藤沙莉)、上野(犬飼貴丈)という、 疲れたくないから、誰に迷惑をかけようが全力でぬるま湯につかっていたい人たちだ。彼らは戦おうと必死で頑張る晶に対して「あなたが戦わなければ、私たちの“平和”は保てる」と言う。晶は当惑して呟く。「私が贅沢なのかな」と。

 彼らは「自由を手にするための戦い」を認めない。「恋愛は贅沢品」、「なに贅沢言ってんの」。その“贅沢品”を持っている人、自分よりスキルが上の人のことを「私とは違う、キラキラした人」と言って線引きし、その妬みややっかみがあるのかないのか、「仕事をしない」あるいは「できない」と開き直ることで相手に依存する。

 彼女たちの何が怖いって、朱里は例外として、松任谷や上野は私たちの日常に普通にいそうな、ドラマの中においては「愛されキャラ」の立場にいる存在なのだ。むしろ気づいたら自分もこっち側の人間かもしれないとさえ思わせる。

 大人たちは厄介で、時に子供に戻りたくなる。晶と京谷は、ことあるごとに子供についての例え話をする。「ドラえもんいないんで、引き出し開けたって」、「生まれたままきれい」ではいられないから、仕事に恋愛に、ビールの泡のように雑味だらけの事情を抱えこみ、夜ごとクラフトビール店で憂さを晴らす。

 だが、視聴者側から見るとドラマの中のなによりの“雑味”はラーメン屋の店員・三郎(一ノ瀬ワタル)なのではないだろうか。晶や呉羽に涎をたらさんばかりに近づいてくる、決してかわいいとは言いづらい大型犬のような彼が、他の登場人物たちとは違う雑味一切なしの純粋性、ある種、晶と京谷が憧れる対象であるところの「子供」を示していたりするギャップが、このドラマのなによりのユニークさ、個性溢れる“雑味”なのかもしれない。

 第5話の終わり、ゲームのエンディングロールが霧散し、「welcome to the new world.」という言葉が浮かび上がった。つまりきっと今日からが第2章の始まり。ズルくて哀しくて、時に真っ直ぐすぎて笑えない、雑味だらけで面倒な大人たち。せめてクラフトビールのように上質な部分だけ、楽しめたら、飲み干してしまえればどんなにいいか。だがそれだけでは終われないのだろう。果たしてガッキー演じる晶は、“自由”のために再び戦うことができるのか。これは、生きづらい現代社会を生きる全ての女性のための物語である。(藤原奈緒)

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