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ものは無常で流動的である 菅木志雄の新作展「集められた〈中間〉」小山登美夫ギャラリーで開催

ぴあ

景素 Scene of Elements 2020 wood, acrylic h. 181.0 x w. 135.0 x d. 9.4 cm ©Kishio Suga

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戦後日本美術を代表するアーティスト・菅木志雄の新作展「集められた〈中間〉」が6月5日(土)、小山登美夫ギャラリーで開催される。

菅は60年代末~70年代にかけて起きた芸術運動「もの派」の主要メンバーとして活動。「もの派」の、それまで作品の素材でしかなかった「もの」自体や「もの」を知覚する人間へ目を向けた動向は、海外でも近年、国際的な評価が高まった。

50年以上にもわたり第一線で活躍し、鋭敏な感覚で制作し続けるその情熱は衰えることがない。またインドの中観哲学における「空の思想」と京都学派の論考、日本の作庭などに共鳴した制作における独自の思考を深化させ、今も現代アートにおける独自の地平を切り開いている。

展覧会としては1968年の初個展以来、国内外で約400以上のものに参加。今年12月には出身である岩手県立美術館において、大規模な回顧展「開館20周年記念 菅木志雄展 〈もの〉の存在と〈場〉の永遠」を開催予定。50年以上に渡る菅の制作活動を約100点もの作品が展示される。そのほか国際的な活躍は枚挙に暇がない。

その作品はニューヨーク近代美術館、ポンピドゥ・センター、テート・モダン、東京国立近代美術館、東京都現代美術館をはじめとした国内外47もの美術館・アートコレクションに収蔵されている。

本展では「ものは無常で流動的なものであり、作品はそのプロセスである」ということを焦点に作品を展開。さらにギャラリースペース奥の部屋全体を使ったインスタレーションと、壁面の立体作品の新作を発表する。

新作である『景素』と『場空』は端に置かれた数個の枝の断片と断片、その間を小さな石や木片が自由に軌跡を表しながら連なり、並べられている。その連続性がまるでものが意思を持って動いた結果であるかのようにそれぞれ異なる様相を表し、無限のリズムやエネルギーが作品の枠を超えてどこまでも続いていくかの様だ。

また新作インスタレーション作品『集空果』は、石とロープという限りなくシンプルな「もの」が部屋全体に縦横無尽に放たれ、果てしない連続性と空間性が、観るものの意識を活性化してくれるだろう。

フィジカルに人と接することや移動を制限された現在、菅作品を鑑賞することで、私たちはデジタル環境に慣れた感覚を開放し、ものは、人は、思考は、世界は常に変化し、繋がりながらも混じり合うことがない可能性を改めて感じられるはずだ。

<ステイトメント>
「集められた〈中間〉」菅木志雄

モノは、だいたいにおいて、ヒトに無関係な時間を在りつづけている。それはヒトには簡単に理解できないような集積である。たとえ時間をかけたとしても〈在ることのプロセス〉を感知することはむずかしいと思われる。時間の長さも、その在り方もである。わからないながら、ヒトは、アートの名目で、無造作にモノを扱おうとする。それは、ヒトが創造するには、それを表わすためのモノが必要だと思っているからである。注意しなければならないのは、モノは根源的にアートに使用されるためにあるのではないということである。

<存在するものである>という意味では、モノも作品も同じかもしれないが、多くの場合モノの始原的な存在性というものは、だいたいにおいて制作の過程で失われてしまう。それは、本来モノが保有しているべき原質のようなものがなくなるということである。そうなれば、本質的にモノはモノでなくなり、カタチはあれど本来あるべき存在性は失われる。作品(モノ)はつねに途中のモノによって、できているのである。

■展示情報
菅木志雄展「集められた〈中間〉」
6月5日(土)~7月10日(土)
11:00-19:00(日・月・祝休)
会場:小山登美夫ギャラリー
入場無料

※本展は、小山登美夫ギャラリースパイラルガーデンでの同時開催。
※オープニングレセプションはなし。

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