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「コンテンツ立国」を目指すためには必須? デジタル時代の日本における、映像アーカイブの重要性

リアルサウンド

19/10/2(水) 10:00

 伊藤智彦監督、野崎まど脚本による『HELLO WORLD』は変わったSF映画だった。過去改変に挑む「タイムループもの」のようだが違う。男子高校生の主人公の前に10年後の成長した自分が現れるが、彼は未来からやってきたのではない。むしろ10年後の彼が現在であり、高校生の主人公は、彼が暮らす街も他者も含めて、全てが膨大なデータから精巧に作り出された「過去の再現」なのだ。本作のユニークさは、過去のデータに過ぎない存在が、現実の本人を超えて意思を持って行動し、その行動が現実の本人をも変えていく。過去のデータが現実を変えていくのだ。言うなればこれは「アーカイブもの」のSF映画だ。

参考:場面写真はこちらから

 本作はアーカイブを主題にした作品として画期的だと筆者は思う。アーカイブとは単純に過去を保存するだけではない、過去と出会い、未来を作るアクティブな行為なのだとこの物語は教えてくれる。

 本稿は『HELLO WORLD』についてではなく、アーカイブという行為の重要性について書く。アーカイブとは過去の作品や書類を収集・保存し、利活用することである。あらゆる新しい表現は、過去の参照なしには生まれない。アーカイブとは過去ばかり見る後ろ向きの態度ではない。それは未来への積極的投資だ。

 日本の映像業界はこの分野に関して大きく立ち遅れていた。遅まきながらアーカイブの重要性の機運は高まりつつあるが、コンテンツ立国を目指す上で当然整備されていなければならないものが未整備のままここまで来てしまったことは実に残念だ。

 ここでは、日本映画のアーカイブの歴史を簡単に振り返るとともに、映像アーカイブの課題と大切さ、そして、デジタル時代のアーカイブの課題などについて書いてみたい。

・なぜアーカイブはなくてはならないか
 大事なことなので2回書くが、アーカイブは未来への積極的投資だ。フレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』にこんなシーンがある。

 ニューヨーク公共図書館(NYPL)では、雑誌の切り抜きや何気ないスナップ写真や報道写真など、あらゆる写真を収蔵したピクチャーコレクションがあるのだが、そこで働く図書館員が校外学習に来た学生たちにコレクションの利用方法を説明する中でこう言う。

「アンディ・ウォーホルはここから(アイデア)をたくさん盗んでいったんだ」

 稀代の革命的アーティストのウォーホルは過去のアーカイブからインスピレーションを得ていた。アーカイブが未来の新しい表現を生む土壌となったのだ。この映画の記事を書くにあたり、ニューヨーク公共図書館渉外担当役員のキャリー・ウェルチさんに取材(参照:図書館は単なる無料貸本屋なのか? ニューヨーク公共図書館が貫く“民主主義”とは)をする機会があったのだが、ウォーホル以外にも、多くのアーティストたちがこの図書館を利用しているとのことだった。映画人ではスパイク・リーは学生時代に足繁く通っていたそうだし、演劇や映像資料、方言やアクセントを収めた音声資料も豊富で俳優が役作りのために訪れることも多いという。キャリーさんは、ロビン・ウィリアムズやアル・パチーノといった名優が役作りのために利用したこともあると語っていた。

 アーカイブが大切なのは過去の名作を観られるようになるからだけではない。映画も100年以上の歴史がすでにあり、日本でも数多くの映画が制作されてきた。その1つ1つが大切な文化遺産であること言うまでもなく、それらが未来の新しい表現を生み出す礎となりうるものだ。アーカイブは、新しい才能を育むためにも必要なことなのだ。

 新しいものを生み出すためのアーカイブという点では、過去の作品に新たなスポットがあたることで新しい価値を生む場合がある。映画史の中には公開当時、評判の芳しくなくとも、後に名作と評されるようになった作品はいくつもあるが、公開後フィルムが破棄されていたら、後に評価が覆る可能性すらなくなる。

 日本を代表するフィルム・アーキビストである、国立映画アーカイブ主任研究員の岡田秀則氏は自著『映画という《物体X》 フィルム・アーカイブの眼で見た映画』で、「すべての映画は平等である」(P21)と語っている。どんな名作も駄作も、物体としては等しくフィルムである。全ての映画は平等であるとは一義的にはそういう意味だろう。しかし、公開時点で傑作/駄作の優劣をつけられてしまったとしても、それがアーカイブされているなら、後にその評価が逆転することだってあり得る。そういう観点でも映画は平等だ。いや、アーカイブという行為が映画を平等にしてくれていると言うべきなのだ。

・映画アーカイブの法的課題
 ここで、日本における映画アーカイブの歴史を簡単に俯瞰したい。日本は映像アーカイブ事業において、遅れを取っていると言われている。実際に映画の収集活動が公共事業として本格化したのは、1952年の東京国立近代美術館開館とともに「フィルムライブラリー」が設置されたことに始まる。このライブラリーは、1935年に設置されたニューヨーク近代美術館の映画部を参考したものだそうだが、日本はそこから遅れること16年後にようやく映画の収集に国が本腰を入れたということになる。

 1952年というと、黒澤明の『羅生門』がベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した翌年だが、そのように日本映画が世界で華々しく評価されるまでアーカイブの組織がなかったことになる。そして、長い時を経て、国立近代美術館から独立する形で国立映画アーカイブが2018年に発足した(参照:『専門図書館』 No.292 2018年11月号、P20 「フィルムセンターから国立映画アーカイブへ~映画の保存活動とデジタル時代の取り組み~」入江良郎、三浦和己、岡本直佐)。

 ちなみに欧州においては、映画アーカイブの組織は1910年代から存在していたそうだ。フィルムアーキビスト石原香絵の著書『日本におけるフィルムアーカイブ活動史(美学出版)』によれば、1913年デンマークに設立された「デンマーク国立映画と声のアーカイブ」が世界最古の映画アーカイブの組織とのことだ。

 では、50年代以前の日本では映画の収集を全く行っていなかったかというと、そうではない。むしろ太平洋戦争中には、政府は「映画法」の下、映画の提出を求める法定納入制度を実施していた。しかし、それは映画遺産を保存する目的よりも検閲に主眼が置かれたものであった(条文はこちら)。その映画法は終戦の年(1945年)の12月26日に廃止された。「非民衆主義的」とされる映画は没収されることになり、多くの映画が米軍によって焼却されたらしい。そのような戦後の混乱期に、検閲のためとはいえ存在していたアーカイブ機能がリセットされてしまったと石原香絵は上述の著書にて語っている。

 検閲という表現規制が最も激しかった時代にアーカイブ活動が活発だったという事実は非常に興味深い。確かに国家の不都合な表現を精査するためには、まず一度集める必要がある。作品の収集・保存を国家機関に頼ることはそうしたリスクもあることを承知しておくべきだろう。

 しかしながら、日本では大規模なアーカイブを民間予算だけで行うのは困難だろう。寄付文化の強いアメリカではニューヨーク近代美術館のような、民間からの寄付を主体に運営している組織が大規模なアーカイブを行っているが、欧州でもアーカイブ事業を行うのはフランスのシネマテーク・フランセーズやイギリスの英国映画協会など、国家予算をたよりにしている組織がほとんどだ。日本の国立映画アーカイブも国家予算で運営されているが、独立行政法人なので今のところは一応の独立性は担保されていると考えていいだろう。

 戦中、戦後の映画保存の動きとともに、日本の映画アーカイブにとって重要な分岐点となったのは、国立国会図書館法の定める「法定納入制度」の問題だ。これは、国内出版者に対して出版物を国会図書館に納本する義務を課した制度だが、実はこの法律、映画フィルムの納入をも義務付けている。24条で納入する出版物を定めてるが、そこに図書や小冊子に雑誌などの逐次刊行物、楽譜や地図とともに映画フィルムも明記されているのだ(参考)。

 しかし、実際には映画フィルムの納入は義務付けてられていない。なぜかというと、映画フィルムは同法において納入の免除対象ともなっているからだ。

 「この法律による改正後の国立国会図書館法第二十四条第一項第六号に該当する出版物については、当分の間、館長の定めるところにより、同条から第二十五条までの規定にかかわらず、その納入を免ずることができる」と書かれた附則がその根拠となっている。

 免除の理由について石原香絵は、この附則ができた法改正時に挙げられた3つの理由を著書で紹介している、1つは納入しても上映、提供できるノウハウを国会図書館が持っていないこと、2つめは映画フィルムの価格が高いこと、そして当時の映画人が最も反論しづらかったであろう3つめは当時の映画フィルムが燃えやすい素材でできた「ナイトレートフィルム」であったことだ。

 国会図書館法が制定された1948年は、コダック社が燃えにくい新素材フィルム「アセテートフィルム」の実用化に成功した年だ。富士フィルムが同様の素材を実用化したのは1954年、日本の映画製作が全てアセテートフィルムに切り替わったのは1958年のことになる。だが、フィルムが燃えにくい素材に変わっても納入免除の附則はそのまま残され現在にいたっている。

 ちなみにナイトレートフィルムの主な原料はニトロセルロースである。ウィキペディアでもニトロセルロースの主な用途として、ナイトレートフィルムは銃火器用の火薬ともに紹介されている。つまり、昔のフィルムは火薬みたいなもので、自然発火することすらあったらしい。実際、ナイトレートフィルムによって多くの火災が発生し、そのことも古い映画の消失の原因となっている。

 映画の納入制度が実現していない国は日本以外にもあるが、アジアで見てみると中国や韓国にはすでに納入義務が法によって定められている。それどころか北朝鮮にもある。むしろ、中国と北朝鮮の二カ国はオリジナルネガフィルムを含む全素材の納入を義務付けており、単純に保存の観点から見ると最も理想的と言えるかもしれない。しかし、これは、戦中の日本の例と同様、検閲のために定められているのだろう(参照:フィルム・アーカイヴ運動 世界の動き)。

 映画の収集の法的な課題をざっと拾ってみたが、納入制度と検閲の相性の良さは絶えず注視しなければならないが、やはり法的な納入制度の確立は必要だと筆者は考える。映画のデジタル化の進んだ現在では、加速度的に作品数が増えており、それらを全てアーカイブ化するには法的制度がなければほとんど不可能なのではないだろうか。

・デジタルジレンマ
 映画のデジタル化が進んだと先に書いたが、デジタル化の波は映画アーカイブの世界に大きな問題を生み出した。HDDやDVDなどのデジタル記録デバイスは実は物理的な寿命が短く長期保存に向かないということだ。この指摘は2007年、映画芸術科学アカデミーのレポート「ザ・デジタル・ジレンマ」が詳しいが、レポートは「デジタル資産の長期に渡るアクセス性を保証できるメディアもハードウェアも今のところ存在せず、アーカイブとして満足できる唯一の形体はフィルムしかない」と結論づけている。

 デジタルは長期保存に向かないだけでなく経済的にもフィルムに劣るとも言われている。デジタル素材は寿命が短いため、長期保存するにはデータの移行を繰り返す必要があるが、そのコストを長期に渡って試算すれば、フィルム保存以上にコストがかかるということだ。なので、現状のデジタル素材の保存は定期的なデータ移行を繰り返し、画期的な新素材の登場を待っているという状態だ。

 デジタルジレンマの対応としてフィルム会社のコダックや富士フィルムは長期保存用のアーカイバル・フィルムを開発した。現状では、デジタルデータをアーカイバル・フィルムにコンバートするのが最も有効な保存方法になるようだ。

・中間成果物のアーカイブも重要
 最後に作品のアーカイブだけではなく、作品作りの過程で生まれる中間成果物のアーカイブの重要性にも触れたい。映画は総合芸術を言われるが、1本の作品つくり美術品や小道具、特撮衣装やミニチュアセットなどたくさんのものが生まれるが、それらもまた重要な資料である。

 実写映画だけでなく、アニメ作品においても原画という大量の中間成果物をどのようにアーカイブするかは議論になっている。体系的に保存を行う制度は確立されておらず、現状は各スタジオが自社で管理するか、マンガ・アニメミュージアムに寄贈するなどの措置は一部で取られているものの、保管にかかるコストは中長期業の多いアニメ制作会社にとって大きな悩みの種だろう。プロダクションI.Gなどは自社で独自にアニメアーカイブグループという専門部署を持っているが、こうした会社はまだ少数だ(参照:“アニメアーカイブ”の現状と課題は? プロダクションI.G所属の“アーカイブ担当”にインタビュー)。

 原画などの中間成果物は後のコンテンツ研究への寄与の他、アニメ制作の教育資料にもなり得るし、原画展やグッズ制作などの版権ビジネスの活性化も生み出す。完成作品の保存も重要だが、同じくらい中間成果物の保存も大切なことなのだ。

 中間成果物と呼んでいいか議論の余地もあるが、脚本のアーカイブも重要な課題だ。映画でもテレビでも脚本や台本と呼ばれるものは制作が終われば用済みとなり、捨てられてしまいうことが多い。これらは法的には「図書」ではないので、国会図書館への納本義務もない。

 脚本には完成された作品にはない情報も載っている。例えば撮影監督の使用した脚本には、どのように撮るかのプランの書き込みなどが残されているし、役者の使用した脚本には演技プランに関するメモ書きが書かれていたりする。さらには完成台本だけでなく、初稿から決定稿に至る全てのバージョンを網羅的にアーカイブできれば、作品がどのようなプロセスを経てブラッシュアップされたのかを学べる。それらの脚本をアーカイブすることは、作品の制作過程をアーカイブすることであり、一層深いコンテンツ研究に繋がり、それを後進の育成のための豊かな教材にすることができるのだ。

 脚本アーカイブを推進する団体として、一般社団法人日本脚本アーカイブズ推進コンソーシアムがある。ここは脚本を収集し、川崎市市民ミュージアムなどに寄贈したり、収集した脚本のデジタルデータベースの作成などを行っている。同コンソーシアムの特別委員会委員長の香取俊介氏によると、フランスでは放送された全テレビ番組とともに全脚本を保存する取り組みがなされているそうだ。韓国では2008年に「韓国放送台本デジタル図書館」が設立されたそうで、この点についても日本は諸外国に大きく遅れを取っているとのことだ(GALAC 2009年7月号、P38)。

 アーカイブによって、昔の名作に触れる機会が生まれることも当然重要だ。しかし、アーカイブは、単に昔の映画が観られるようにすること以上の価値を生むことができる。アーカイブは新しい作品作りに貢献し、教育資料ともなり、文化発展の重要な土台となる。日本が真にコンテンツ立国を目指すならば、アーカイブの充実は当然のこととして行われなくてはならない。グローバルなコンテンツ競争に勝ち抜くためにもアーカイブ事業は一層推進される必要があるだろう。 (文=杉本稲高)

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