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若松プロの映画である以上に青春映画 『止められるか、俺たちを』には自分を投影させる余白がある

リアルサウンド

18/11/6(火) 18:00

 結論から言ってしまえば、『止められるか、俺たちを』は僕の今年のベストワンです。“若松プロダクション”を舞台にした作品ということで、若松孝二監督や、若松プロにいた映画人の方々を知らない人にとっては、少し敷居が高い作品に感じるかもしれません。でも、どんな方が観ても、映画の中に自分を投影させる“余白”が本作にはあります。僕は自分がまだ何者でもなかった20代~30代の頃を否応なく思い出しました。あの頃、過ごしていたあの場所を改めて肯定してもらえたような、そんな思いを映画を観た後に抱きました。

参考:毎熊克哉、藤原季節、タモト清嵐……映画界に欠かせぬ存在たち、『止め俺』俳優に注目!

 若松孝二、足立正生、沖島勲、大和屋竺、荒井晴彦、大島渚、赤塚不二夫……と、現在も存命の方を含め、日本映画史に名前を残す方々の若かりし頃が本作では描かれます。特に沖島監督とはポレポレ東中野で『ライブテープ』と『怒る西行』の同時上映イベント(2作品を1つのスクリーンで同時に上映)を一緒に行わせていただいたこともあり、いろんなことを教えていただきました。映画で遊ぶこと、手法で突き抜けること、映画とは一期一会であること、亡くなられてからもいただいたDVD-BOXを観直すたびに、前野健太さんと沖島監督が握手をしていたポレポレのスクリーンを思い出します。そして沖島さんをはじめ、若松プロの作品群からは“映画で無茶をすること”を教えてもらったような気がしています。

 と、こう語ると本作がいかにも「若松プロ」の映画という感じがしてしまうかと思うのですが、誰が観ても「これは自分の映画だ」と思える作品に仕上がっているんです。僕は観ながら同じ志を持って途中で辞めていった人や、今も一緒に頑張っている友人、そして命を落としてしまった人など、同じ時代を過ごした仲間への思いが溢れてきました。その状態になってからは見方がパッと変わってしまって、もう冷静に観ることができませんでした。ふとしたシーンで涙が止まらなくなってしまって。若松プロの映画であることは間違いないんですが、非常に普遍的な青春映画になっていると思います。

 本作が紛れもない青春映画となっているのは、門脇麦さん演じる吉積めぐみさんを主人公としているからでしょう。劇中で描かれている姿と同様に、めぐみさんは秋山道男(タモト清嵐)さんに誘われて、何もわからぬまま若松プロに足を踏み入れたそうです。めぐみさんが最初は若松さんに怒鳴られ、「視界に入るな!」とも言われながらも、雑用をこなしながら助監督として成長していく。そして、自分の居場所をそこに見出していく。失敗、成長、挫折……その過程は映画に限らず、多くの人が経験したことがあるものではないでしょうか。若松監督を中心に、一見バラバラに見える個性豊かな人たちが、同じ志を持って1本の映画を作っていく。そこには映画を作ることの面白さが凝縮されていたと思いますし、本作が「若松映画を観てみたい」と思うきっかけになるでしょう。

 また監督と助監督の違いを明確に描いているところに白石和彌監督が投影されていると思いました。劇中、48パターンの体位を撮ることに飽きた若松さんから「後はお前が撮っておけ」とめぐみさんが指示を出されるシーンがあります。チーフ助監督の立場になり、現場を仕切ることができる能力を身に着けたにもかかわらず、ここでめぐみさんはトイレに行って、1人で深呼吸してから現場に戻ってくる。このときのめぐみさんの行動に僕自身、初めて監督をした頃を思い出さずにいられませんでした。きっと白石監督もそうだったのかもしれません。「今回はめぐみに働かせられたなあ」という若松監督の言葉があるように、現場を動かしているのは助監督なのです。対して「よーいスタート!」と「カット」、そして「OK」を言うのが監督の仕事です。役者がセリフを間違えてしまったり、なにか映り込んでしまえば、それが「NG」ということは誰にでもわかります。でも、「OK」は監督の価値判断にすべてが委ねられてしまう。だからこそ、「OK」を出すことには大きな責任がともないます。その責任をめぐみさんがどう受け止めているのか、そして監督を務めた結果、どんな思いを抱いたのか。その感情が本作では非常に丁寧に描かれていました。若松プロで助監督としてキャリアを積んでいった白石監督だからこそ撮ることができたシーンだったと思います。

 めぐみさんは最後に死を迎えてしまいます。その過程はある意味、ドラマチックです。めぐみさんは自分が妊娠していることを知る、でも誰にも打ち明けることができない。その相手と思われる高間さん(伊島空)は、自身の写真撮影のために遠くへ行ってしまう。いろんな思いを抱えているめぐみさんを、劇的に盛り上げようと思えばいくらでもできそうなシーンです。でも、そうは切り取らない。例えば映画で自殺を描く場合、どうしたってそこに情感を挟んでしまい、“リアリティ”から離れてしまうものが少なくありませんが、本作に関してはそれが自殺なのか、事故だったのか、そこに答えを出さず「こうなのかもしれない」と思わせられる生々しさがありました。魔が差した、という表現がピタッとハマるというか、キワキワで生きているときに、あっちに行ってしまったという感じ。映画全体の中で、このシーンは異様に長いです。僕は白石監督は答えをわからないで撮っていると感じました。わからないからこそ、丁寧に時間をかけてじっくりと見ている。だから、観客の感情を動かそうともしていない、そこに死を描くことの覚悟を感じました。

 最後、若松監督は事務所に1人で残り、足立監督が書いたATG用のシナリオを「やっぱり駄目でしたわ」と電話で先方に話し、映画が終わります。実際にはめぐみさん、そして日本を離れた足立監督へのいろんな思いがあったとは思うのですが、ここでは非常にクールに若松孝二が描かれています。若松さんは撮った映画の題材などから、非常に“熱い”方に見られがちだと思うのですが、その本質は冷静なところにあったと僕は感じています。何か事件が起きればサッと映画の企画にする、でもお金は絶対にかけない、人情よりも合理的に行動していくドライさ。本作はベタッとなりそうなところを非常に客観的に撮っていますが、ある意味、白石さんは若松監督のドライさを受け継いでいるのかなと感じました。

 そして、若松孝二を演じた井浦新さんが見事でした。本作の若松孝二役は、普段の井浦さんの演技からは想像もつかないほど、作り込んだ演技をされています。お祭り騒ぎのような『HiGH & LOW』の中で最も繊細で優しいキャラクターを演じていた井浦さんが、本作ではたっぷりと演技をしているのが新鮮でした。例えば山田孝之くんもそうなんですが、普段オフビートな芝居をしている役者ほど、キャラクターを作り込んだときに、そこに特別なユーモアが生まれるんだなと感じました。そして、そんな井浦さんとは対照的だったのが、足立正生さんを演じた山本浩司。山本さんのことを、新井浩文さんは「天才」と評していましたが、その天才っぷりが本作では分かります。足立さんはパレスチナに渡り、日本赤軍に合流、レバノンで逮捕され、日本へ強制送還……と、映画人として、とんでもなくスケールの大きい方です。そんな方を演じるというのに、山本さんの演技はどこまでも自然体。はっきり言ってデビュー作『どんてん生活』のときから芝居が何も変わっていない(笑)。でも、不思議なことに、この映画を観ていると説得力を持った足立正生に見えてくるんです。彼のそこに溶け込む力、何もしないでその役になれる力は、役者たちから天才と呼ばれる理由なのかな、と思わされました。

 『止められるか、俺たちを』は、“最高傑作”という言い方は違うかもしれないのですが、白石監督が撮ってきた作品の中で僕は最も好きな作品と言いたいです。ロマンポルノのリブート作『牝猫たち』も素敵な作品ですが、白石さんのオリジナル作品は“アウトロー”の集団を描くのが本当にうまい。一致団結でもなく、深い絆で結ばれている集団ではないんだけど、バラバラだった人たちが共同体としてつながっているあの感じ。でも、その中にあるきらめきを描くことこそが“映画”なんじゃないかと。僕にとって、本作はかけがえのない1本となりました。いつか必ず見返すでしょうし、一生の付き合いになる作品だと思います。(松江哲明)

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