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辻仁成が語る、母の言葉が人生に与えた影響 「母親はいつも新しいことに挑戦していた」

リアルサウンド

19/11/17(日) 8:00

 作家生活30周年を迎えた辻仁成が、新刊エッセイ『84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと』(KADOKAWA)を10月31日に刊行した。「死ぬまで生きなさい。ゆっくりと焦らずに」「誰はばかることなく生きたらよか」など、Twitterで話題になった“母親の言葉”を中心にしながら、自身の母親の半生を今の辻仁成の視点から綴った本作。料理教室、刺繍教室の講師としても活躍した母親の人生訓に溢れる言葉の数々、そして、母と息子の豊かな関係性は、世代、性別を超え、幅広い読者の心を捉えるはずだ。リアルサウンドブックでは、辻仁成にインタビューを行い、本作『84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと』を軸にしながら、15歳の息子との関係、現代のクリエイターに求められるメディアの活用法などについても語ってもらった。(森朋之)

おじいちゃんが発明家だった

——新刊エッセイ集『84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと』は、辻さんがツイートした“母の言葉”がもとになっています。心に残っている母親の言葉を発信したきっかけを教えてもらえますか?

辻:以前から息子に向けた言葉をツイート(“息子よ”ではじまる一連のツイート)していたんですが、そういえば母さんがあんなこと言っていたな、と思い出してツイートしたのがはじまりですね。

——お母さまからかけられた言葉は、はっきりと記憶に残っているんですか?

辻:「死ぬまで生きなさい」とか「誰の人生たいね」などは覚えてますね。あとは「こんなことを言われたよな」と思い出しながら。

——母親の人生を書きたいという構想も、以前からあったんですか?

辻:そうですね、母親の人生を書きたいという思いは以前からあったんです。母親は若い頃に刺繍をやっていて、その作品集を出したかったようなんですけど、ただ、そのことを僕に言ったことはなくて。実現しないまま84歳になったので、「いつか本を作ってプレゼントしたいな」という気持ちもあって。ツイートを見たKADOKAWAさんから「本にしませんか?」と連絡をいただいたときに、たまたま東京にいて、編集の方とお会いしたんですけど。僕としてはツイートをまとめるだけの本にはしたくなかったので、「母親の半自伝的なエッセイ集にしたい」と提案させてもらったんです。そこでこの本に刺繍の写真を載せられますか?と聞いたら、「もちろんです」ということになって。あと、本を読んでもらえるとわかると思いますが、すごくおもしろい母親なんですよ(笑)。

——お母さまは料理、刺繍など、クリエイティブな才能をお持ちで。辻さんの創造性にも大きな影響を与えたのでは?

辻:まず、僕のおじいちゃん、母親の父親が発明家だったんですよ。ずいぶんいろんなものを作っていたんですが、それをいちばん受け継いだのが母親だったんじゃないかなと。だけど、昭和の女性ですし、家からなかなか出してもらえない状況もあって。ただ、料理にしても刺繍にしても、お弟子さんがたくさんいて。まるで映画監督みたいに彼女の周りには人がいっぱいいたんですよ。家に帰ると、知らない女の人が何人もいたり(笑)。時が時ならウーマンリブの代表みたいになったのかもしれないけど、彼女はそういう感じでもなくて。主婦という立場を否定も肯定もせず、与えられた人生のなかでどう生きるか、最大限に自分を活かすにはどうしたらいいかを考えて、行動してきた人なんですね。僕はそういうところに共感しているんです。

——母親の背中を見ながら、その生き方に影響を受けたというか。

辻:ええ。息子も僕の背中を見ていると思うんですよ。こちらから押し付けるようなことは一切ないし、僕の生き方をちょっと離れた場所から見て、「なるほど、こういう可能性もあるのか」と気づくというのかな。僕自身も、そういうところで影響を受けてるでしょうね。母親は広く世界に開かれた感覚もあるし、「保守的な日本で何が悪い」というところもあったので。

——母親との関係のなかで、いろいろなモノの見方を学んだのかもしれないですね。母親との関係を俯瞰できるようになったからこそ書けた本なのでしょうか。

辻:そうでしょうね。34〜35歳のとき、『そこに僕はいた』(1992年/角川書店)という半自伝的な本を出したんですが、それは自分が主人公で、ときどき母さんが出てくるんです。母さんのことだけを書いているエッセイは、今回の本だけですね。


——肉親のことを書くことの難しさはありますか?

辻:どうだろう? むしろ僕は、作家が自分の家族を書かなかったら、何を書くんだろう?と思いますけどね。SFでもラノベでも、登場人物には家族のことが反映されているんじゃないかな。映画『名探偵ピカチュウ』(2019年)でもね(笑)。人が生きていれば、家族からは外れることができないし、関わりのある人から影響を受けているはずなので。

——辻さんも例外ではない?

辻:そうですね。物書きなので、そのままは書かないですけどね。エッセイであっても、実物とまったく同じではないし、僕の弟がこの本を読めば、「これはちょっと違うんじゃない?」と思うかもしれない。弟から見た母親も存在しているんだけど、あえてそれは書いてないんですよ。あくまでも僕という作家の視点から見た母親を書いているので。あとは、読者が寄り添えそうな部分も抽出してますね。

——すでにご家族は読まれたんですか?

辻:弟には見せました。「母さん、喜ぶんじゃない?」って言ってましたね。母親には内緒にしているんです。出版したら送ろうと思ってます。

感性は息子にも受け継がれている

——昨年刊行された『立ち直る力』(光文社)、『人生の十か条』(中央公論新社)、そして今回の『84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと』を含め、読者に対する直接的な言葉が込められたエッセイ作品が続いています。いずれもツイートがもとになっていますが、辻さんにとってTwitterはメッセージを伝える重要なツールになっているのでしょうか?

辻:最初は自分のために始めたんですよ。僕はシングルファザーですが、最初の頃は大変だったんです。買い物して、料理して、洗濯して掃除して。なので、「きつい、もうやめたい」という気持ちを“息子よ”とワンクッション置いてツイートしてみたんです。最初はお弁当の写真をあげていたんですが、みなさんが反応してくれて、それが苦しいときの自分にとって救いになったんですよね。子供をどう育てていいかもわからなかったんだけど、「こんな僕でも存在していいんだな」と思えたし、ツイートが子育てに対する決意の表れにもなって。その後は、ジェンダーの問題だったり、「主婦の労働量を一般の会社員の給与に換算したら、いくらになるか?」ということも発信するようになって。最近は、朝起きたらブログを書いて、1本ツイートするのが日課となっています。その他にもWebマガジン『Design Stories』(https://www.designstoriesinc.com/)も主宰し、日々発信しています。

——クリエイターが個人で発信できる場所が必要だと。

辻:ええ。書店もレコード会社も大変な状況にあるなかで、モノを作る側としては、SNSをはじめ、どうしてもプラットフォームがあったほうがいいと思いますね。僕は小説も書くし、音楽もやるし、映像も作ってきたので、それを一緒にしてひとつの物語を組み立てることができると思うんですよ。物語の作者が音楽を作って、演奏もして、映像も演出もやる。それは誰もができることではないと思うし。最近は息子が音楽を作れるようになっているので、すべてパリで制作できるんです。たとえば小説を読んでいると映像が見えたり、音が聴こえてきたり——そう考えると本のイメージも変わってくるかもしれないですね。

——そうやって新しいことにトライし続ける姿勢は、お母さまからの影響なのかもしれないですね。

辻:そうですね。母親も料理や刺繍など、いつも新しいことに挑戦していたし、それなりに成功しているので。その遺伝子は、僕の息子にも受け継がれているんですよ。彼が作る曲は僕なんかとても作れないレベルだし、その芽を摘まないようにしたいなと。今年の8月に初めて共作した曲(「トワエモア(toi et moi)」)をリリースしたんですが、そのアレンジもぜんぶ彼がやっているんですよ。45歳離れているんだけど、そのギャップを音楽が埋めてくれるんですよね。ディープ・パープルやレッド・ツェッペリンを聴いて、「こういうリフ、いまはないよね」って言い出したり(笑)。最近はもっと古い音楽も聴いていて、ポール・アンカの曲に対して、「こういうメロディがポップスの原点だよね」って。

——辻さんのお母さまも、「好きなことをどんどんやりなさい」という姿勢ですよね。

辻:そうですね。僕が音楽に夢中になったときも、楽器を取り上げませんでしたから。本にも書いたんですが、函館に住んでいた時期に、倉庫みたいな場所で暮らしていたことがあって。そこで若い芸術家を集めて、詩の朗読会をやったり、演劇や映画の撮影などもやっていたんです。そこにあるとき、東京のハードロックバンドが来たことがあって。長髪でサイケデリックなファッションだったから、近所の人がビックリして、母親に言いつけたんです。40年以上前の函館なので、そんな恰好の人たちは誰も見たことがなかったので。でも、母親は彼らをじっと見て、いい人たちだと思ったんでしょうね、かつ丼を用意してくれたんですよ。

——音楽や演劇を志している若者を応援したかったのかも。

辻:そういう気持ちもあったと思います。僕はそのハードロックバンドの人たちに、レッド・ツェッペリンの「移民の歌」を教えてもらって。あの経験がなかったら、音楽の道に進まず、普通に就職していたかもしれないですね。母親も「新しいことをやらないといけない。音楽をやるなら、ロックしかない」と言っていましたから(笑)。ちなみに息子はロックではなく、いまはビートボックスをやっているんですよ。パリの郊外でやっているイベントなども出演していて。危ない地域もあるから心配なんですけど、「自分は好きなことをやらせてもらったのに、ここで息子を止めるのはよくないな」と。ビートボックスもどんどん上手くなってるし、大きなイベントに出ることもありますからね。ただ、彼は学校の勉強もしっかりやっていて、「音楽で食うのは難しいから、ちゃんと大学に行って、働こうと思ってる」と言ってますけど(笑)。

——最後に辻さんの音楽活動について聞かせてください。

辻:音楽家としての活動はずっと続けていて、主にヨーロッパとアメリカ、日本でも毎年何回かはライブをやっています。拠点はパリで、“SAMURAI MUSIC”をテーマに掲げているんですが、一定のお客さんがいるんですよ。10月12日に予定していた60周年の記念コンサート(『辻仁成“RENAISSANCE”〜60th ANNIVERSARY CONCERT〜』BUNKAMURAオーチャードホール)が台風の影響で来年の5月24日に延期になったので、とりあえずエネルギーを持続するために1月末に少し大きな会場を見つけたので、パリで同じメンバーでライブをやる予定でいます。ずっとやってきたロックやブルースに加えて、シャンソン、ジャズもあって。詩の朗読をやりながらのセッションもあるんですよ。

——シャンソンはパリに移住してから始めたんですよね?

辻:ええ。最初はパリの路上、セーヌ川のほとりなどで歌っていたんです。そのときに知り合ったピアニストや、パーカッショニストと一緒にライブハウスなどでもやるようになって。パリで知り合った仲間と、ECHOESの曲をカバーして録音する計画もあるんですよ。シャンソンやジャズなどの古いサウンドにすることで、新しく聴こえるんじゃないかなと。若いミュージシャンの勢いには勝てないけど、長くやっていないと出せない音はありますから。言葉を大事にしてきたことも自分たちの強みでしょうね。日本語で歌うと、パリでもしっかり通じるんですよ。

——辻さんの表現の核にあるのは、やはり言葉なんですね。

辻:そうですね。すべてを分解すれば、真ん中にあるのは言葉、詩だと思います。いろいろな表現がありますが、ギターと生の声が舞台から発せられたときの力がいちばん強いと思うので。

(取材・文=森朋之/写真=富田一也)

■辻仁成(つじ ひとなり)
1959年、東京生まれ。作家、詩人、ミュージシャン、映画監督、演出家。81年、ロックバンド「ECHOES」を結成。89年処女小説『ピアニシモ』で、すばる文学賞を受賞し、作家デビュー。97年『海峡の光』で芥川賞、99年『白仏』のフランス語翻訳版「Le Bouddha blanc」で、仏フェミナ賞・外国小説賞を日本人として唯一受賞。著作はフランス、ドイツ、スペイン、イタリア、韓国、中国をはじめ各国で翻訳されている。現在は活動拠点をフランスに置き、創作に取り組んでいる。著書に『サヨナライツカ』『真夜中の子供』『人生の十か条』『愛情漂流』など多数。Twitterでの「84歳の母さんの言葉」が大きな反響を呼んでいる。Webマガジン「Design Stories」主宰。
Design Stories
Twitter:@TsujiHitonari

■書籍情報
84歳の母さんがぼくに教えてくれた大事なこと
辻仁成 著
定価:本体1,500円+税
発行/発売:株式会社KADOKAWA
公式サイト

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