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単純な憑依などではない 欅坂46 平手友梨奈の演技が『響 -HIBIKI-』鮎喰響に重なる理由

リアルサウンド

18/9/22(土) 6:00

 公開前から各紙面やメディアで数多く取り上げられ、近年稀に見るほどその映画デビューが注目された、欅坂46の平手友梨奈が初出演&初主演を務めた映画『響 -HIBIKI-』の公開から早くも1週間が過ぎようとしている。ヒロイン・鮎喰響を演じる平手の演技は、各メディアが報じているように、まるで原作の響がそのままスクリーンに飛び出したかのようで、もはや演技という枠には収まらない絶対的な存在感を見せている。それは、欅坂で様々なパフォーマンスをしてきた平手を知る者なら期待通りの出来だったと言える。そんな響から感じた女優・平手友梨奈を考察したいと思う。

参考:平手友梨奈と原作を比較【写真】

 今回平手が演じた鮎喰響というキャラクターは、文学界に革命を起こすほどの絶対的な才能を持つ15歳の天才女子高生。自分の信じる生き方は絶対に曲げず、世間のルールは自分が納得しなければ従わないし、建前などは決して許さず、逆にそういった欺瞞に溢れる大人たちをどんどん追い込んでいく。彼女の行動は暴力的だが的確で、響自身に実力があるからこそ相手は影響され、彼らの価値観を変えていく。その強烈なキャラクターの演技を、響そのものとして平手は淡々とこなしていく。もちろん原作漫画のある作品だが、映画を作る過程を見るだけでも、平手と響が重なり見えてくる。

 最初に『響 -HIBIKI-』のキャスティングが発表された時に、原作者の柳本光晴氏は「『サイレントマジョリティー』のPVを見た時から、もし響が実写化するなら、主演は平手さんしかいないなと思いました。響の持つ、媚びない、屈しない、信念の人間、そういったイメージとあまりにもピッタリで。なにより、目が」とコメントを寄せていた。確かに平手は、2016年のNHK-ACジャパン共同キャンペーン『フリする女の子』でも、たった数秒の中で虐められる辛さ、虚しさ、そして友達からのメッセージが届いた時の救われたようなちょっと安堵な表情など、少女の心情を目だけで繊細に表現し、演技の分野でも雰囲気のある存在感は既に確立されていた。

 この映画を観てまず思ったのは、欅坂でパフォーマンスをする時に歌詞の世界に入り込むことから憑依型と言われることも多い平手が、それを「成りきってるわけじゃなくて、楽曲が自分に合ってきちゃっている。そのままの自分という感じでもあります」(『ROCKIN’ON JAPAN』12月号)と否定していたように、今回の映画も単純に憑依ではなく、平手の生き様をデフォルメ化したものが響に見事に重なったからこそハマったということだ。大人や世間の価値観に惑わされず、自分の信念を貫いて生きるという姿勢が、平手そのものと言っても過言ではない。

 ただ、伝わってくる色んな情報を知ると、そんな単純なものではないことが分かってくる。平手は響を演じたことに関して「役作りというものは別にしていない。演じている感覚がない」とコメントをしているが、先日放送されたニッポン放送『平手友梨奈のオールナイトニッポン~映画「響 -HIBIKI-」スペシャル~』で語られていたのは、初めて台本を見せられた時につまらなく、それを監督に言って、そこから一箇所ずつ台本を直し、最後に納得のものができたから、すらーっと撮影に入っていけたということ。

 また、欅坂の活動を休んでまで映画に集中して役作りをしていたことなど、クランクインまでにしっかりとキャラクターを仕上げていったことが分かる。普通の新人女優ならできないし、やらせてもらえないことを、平手は自分の信念を曲げずに実行している。だから単純に役作りや、憑依というものでなく、それ以前の段階で作り上げていっている妥協のなさ。かつて秋元康がラジオで、「平手は凄いクリエイティブ、だからこそ大人とぶつかる」と、大人の都合は決して飲み込まないと解説していたが、共演者の高嶋政伸は「今回は妥協しなかったのが響の名演に繋がったんじゃないですかね」と平手の演技を高く評価している。

 そういう前提を抜きにしても、自分の興味があるもの以外は基本感情は表に出さない響が、地雷を踏んだ時に突然爆発する、張り詰めた糸のような危うさ、そしてそこからデレた時の可愛いさを、平手は自然に表現していたように思う。ただ原作では、感じたままの行動をして周りを傷つける結果になることで、自分の思いと現実世界とのギャップに苦しむ葛藤があるが、映画ではそういった感情はエンディング曲「角を曲がる」に託し、劇中は自分を省みる感情を省いたことでマシーンと化した平手の演技が、実に面白いことになっていた。それは『家政婦のミタ』(日本テレビ系)の松嶋菜々子や、『義母と娘のブルース』(TBS系)の綾瀬はるかといった高視聴率ドラマの主人公と相通じる鉄板キャラとも言えるが、そのユーモラスで緊張感のあるキャラだからこそ観ていて引き込まれるし、暴走する響を止められない周りの大人たちの悔しさや虚しさをヒシヒシと感じさせるところが、この物語の感傷的な面白さに繋がっているとも言える。

 欅坂の絶対的センターである平手の魅力は、楽曲の世界観を伝える表現力だ。平手自身の言動が物語の主人公以上にドラマティックなだけに、観る側が現実世界とクロスオーバーさせるため、彼女には演技を超越した存在感がある。そういった部分が、彼女をカリスマと呼ばれる存在としたと考える。それを今回の映画では、楽曲を響に置き換えて同じように表現をしたものだと感じた。今後、彼女が役者としてやっていけるのかは未だ未知数であるが、ただ1つ言えることは、本作は平手友梨奈の結晶と言える素晴らしい映画である。彼女のような存在をスターと呼ぶのだろう。(本 手)

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