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平辻哲也 発信する!映画館 ~シネコン・SNSの時代に~

父から娘へ受け継がれた下高井戸シネマ─閉館危機、コロナ禍を乗り切った町の名画座

隔週連載

第46回

20/9/27(日)

約60年間続く、“町の名画座”が下高井戸シネマだ。その代表を務めるのは先代支配人の娘で、10代はバイオリン奏者を目指していた木下陽香さん。昨年6月に亡くなった父の遺志を継ぎ、大手損保を退職し、映画館経営ゼロからのスタートを切った。そんな矢先にコロナ禍に直面したが、その危機も乗り切った。その手腕とは?

京王線・世田谷線「下高井戸駅」から徒歩で2、3分、線路脇に建つビルの2階にあるのが「下高井戸シネマ」だ。その前身は昭和30年代にオープンした木造平屋建ての東映系封切館「下高井戸東映」。1980年に経営母体が京王電鉄に変わり、名画座「下高井戸京王」に。88年に現在の形で営業を始め、映画会社ヘラルドグループの経営に。98年にそのヘラルドが撤退を決めた際に「映画の灯を消さないで」との商店街の声と援助を受け、同館の従業員だった2人が新会社「有限会社シネマ・アベニュー」を設立した。

座席数126席とこぶりだが、緩やかなスロープもあって、どこからでも見やすい。DLP映写機のほかに35mm映写機も備えている。ミニシアター系の洋画を中心に年間約240本を時間替わりで1本立て上映。会員サービスも充実。年会費3500円(一般・大学・専門、招待券2枚プレゼント)を払えば、990円均一で見られ、スタンプを5つ貯めると、招待券1枚がもらえるお得なシステムも人気。買い物帰りの主婦も気軽に立ち寄れる町の映画館だ。

休憩時間は換気も欠かさない

代表を務める木下さんはバイオリン奏者を目指し、音大に入学。その後、経済学部で学び直し、大手損保会社に勤務していたという異色のキャリアの持ち主。代表就任は昨年6月に支配人だった父が闘病の末に死去したことがきっかけだった。「映画館の館主になるとは思ってもいませんでした。父も『好きなことをしなさい』と言っていたので。亡くなる数年前からは、バトンタッチさせたいという気持ちはあったようですが、私も仕事が充実していたので、ずっと先延ばしにしていたんです」と話す。

代表を務める木下陽香さん

跡継ぎがいなければ、60年続く映画館は廃業。そんな事態に背中を押された。「一つ救いだったのは、何も映画館経営のことが分からなかったことかもしれません。分かっていたら、二の足を踏んだかも」と笑う。人事、経理も未経験。父は経理関係のデータを保存していたPCをロックしたまま、亡くなってしまった。「10月には消費増税、台風に今年はコロナ……。こんなにいろんなことがたった1年間で起こるなんて……」と振り返る。

しかし、無知ゆえの常識破りのチャレンジもした。新型コロナウイルスが感染拡大し、多くの映画が公開延期になった3月中旬、いち早くクラウドファンディングを開始。わずか2カ月で1690人、総額585万8035円の支援を得た。「実は、社内では反対もあったんです。『弱小ミニシアターが、経営が苦しいと言ったら、映画会社が映画を貸してくれなくなる』と。私としては会員が10人でも増えたら、いいと思っていたのですが、会員だけでも1000人増えました。ちょうど外出自粛を受けての休館中だったので、返礼品の送付作業もでき、従業員たちだけで館内の壁の塗り替えもできたんです」。

休館中に塗り替えたばかりの白い壁もまぶしいロビー

中でもうれしかったのは、支援者が寄せてくれた言葉だった。「館内にいても、お客様の生の言葉はなかなか聞くことがありませんよね。中には、私の母が会員でしたという方もいました。私自身、父からこの映画館を受け継いできたので、親子二代で暮らしの中に映画が根付いているんだと伺い、感激しました。父は指針を示す前に亡くなってしまったので、下高井戸シネマはどうあるべきなのかということが分からなかった。でも、今まで通りでいいんだと思えたし、自信に繋がりましたね」。

洋画のラインナップが多い中、独自のプログラムも魅力の一つだ。10月24日から30日までの連日20時からは山本直樹氏原作の『のんきな姉さん』(04年)など商業映画を手掛ける一方、実験的な自主映画も送り出す異色の映像作家、七里圭監督を特集する。『のんきな姉さん』の35mm上映は異例。七里監督は初日ほか期間中、舞台あいさつを行う予定。ほかにも、隣駅の桜上水駅近くのラーメン店「あぶら〜亭」で働く大塚信一監督のデビュー作『横須賀綺譚』(9月25日まで)、同館でロケを行った前原瑞樹主演の『アボカドの固さ』(城真也監督)の上映も控えている。

同館オリジナルグッズも発売中

激動の1年を過ぎ、映画館経営はどうか?「面白いですね。10代の頃は楽器に興味があったし、ここには父が働いていると思うと、恥ずかしくて来なかったのですが、振り返れば、近くに映画がありました。お茶の間では父の隣で、『ゴッドファーザー』『ひまわり』『追憶』『スティング』といった名作に触れていましたし、休館日の元日に1度だけ、家族のために『タイタニック』を上映してくれたこともありました。お客さんからは『辛かった時に、アットホームなこの映画館に救われた』といった話もたくさん伺っています。キャッシュレス決済など利便性は追及しつつも、この雰囲気を変えずに、お客さんの気持ちに寄り添える映画館にしていきたい」と木下さん。60年続く映画館には、まるで映画のような父娘のドラマがあった。

映画館データ

下高井戸シネマ

住所:東京都世田谷区松原3丁目27−26
電話:03-3328-1008
公式サイト:下高井戸シネマ

プロフィール

平辻哲也(ひらつじ・てつや)

1968年、東京生まれ、千葉育ち。映画ジャーナリスト。法政大学卒業後、報知新聞社に入社。映画記者として活躍、10年以上芸能デスクをつとめ、2015年に退社。以降はフリーで活動。趣味はサッカー観戦と自転車。

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