Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

山本益博の ずばり、この落語!

第五回「三遊亭圓生」 平成の落語家ライブ、昭和の落語家アーカイブ

毎月連載

第5回

『圓生百席(9)掛取万才/鰍沢』【ソニー・ミュージックダイレクト来福】

 今、改めて三遊亭圓生が遺した高座の録音を聴くたびに、伝わってくるのは「明治の匂い」である。現代の落語家が、どう鯱立ちしてもかなわない空気感、生活感が、口調、噺の運びの中に漂っているのだ。立川談志が、晩年、しばしば「江戸の風」という言葉を口にしたが、微妙な違いはあるものの、今にして思うに圓生の落語には、いつも「江戸の風」が吹いていた。

 六代目三遊亭圓生、本名山﨑松尾は、1900年(明治33年)大阪生まれ、初め豊竹豆仮名太夫の芸名で義太夫語りとして高座に上がったが、胸を患い、9歳にして落語家に転向した。そのあたりのいきさつは『寄席育ち』(青蛙房刊)に詳しい。関西の人間が東京へ進出してきたことで、「江戸、東京」を徹底的に調べ上げ、東京人より「江戸、東京」を識る文化人でもあった。したがって、誰よりも「江戸っ子」らしかったが、ちゃきちゃきの江戸っ子ではなかった。

 圓生のすごさを知ったのは昭和43年(1968年)から始まった東京放送主催の第五次「落語研究会」だった。第1回にはトリで『妾馬(めかんま)』をかけ、これを聴いた私は圓生のあまりの「巧さ」に翻弄されたのだった。それをきっかけに、当時出版されていた『圓生全集』(青蛙房刊)を買い求め、読み漁った。後年、本を再び開くと、巻頭の高座写真の撮影者が篠山紀信であることを知り、これまた驚いたことをよく覚えている。

 その『圓生全集』を持って、今はなき人形町の末廣へ出かけてゆき、楽屋で「出待ち」して、サインをいただいたことがある。その時の演目は『しの字嫌い』だったことまで覚えている。後日、どこかの落語会で、圓生が「最近、寄席で私の全集を開きながら聴く学生さんがいて、演りにくくていけやせん」とぼやいて笑わせたが、おそらく人形町末廣の私のことだったのではなかろうか。

人形町末廣 昭和44年(1969年)3月上席番組

 今、私の手元にあるかつてのホール落語の古参格「東横落語会」の昭和31年(1956年)5月から昭和40年(1965年)5月までの10年間の記録を見ると、第1回にはトリで『品川心中』をかけ、その後は、『牡丹燈籠』『三十石』『庖丁』『百年目』『鰍沢』『妾馬』『梅若礼三郎』『居残り佐平次』『子別れ』『文七元結』『淀五郎』『首提灯』『鼠穴』『猫忠』『お神酒徳利』『一文惜しみ』『死神』『髪結新三』『唐茄子屋政談』『三軒長屋』『双蝶々』『傾城瀬川』と大ネタがずらりと並んでいて、どうだと言わんばかりである。

 中でも圧巻なのが、昭和36年10月31日の「五代目圓生追善独演会」で、『らくだ』『鰍沢』『三十石』を一晩の高座でかけている。こんな芸当ができるのは、古今東西、圓生しかいないのではなかろうか。

 私は昭和の50年代前半から、この東横落語会の企画委員に任命され、毎月、圓生の高座に出会えた。その中で、忘れられない演目と言えば、『鰍沢』『死神』『三十石』『百川』『首提灯』『居残り佐平次』『火事息子』など枚挙にいとまがない。

「東横落語会」大入袋(昭和53年8月30日)

 それ以外の寄席、ホール落語でも、『五人廻し』『一人酒盛』『豊竹屋』『洒落小町』『紫檀楼古木』『酢豆腐』の名高座が印象に残っている。後年、CBSソニーから『圓生百席』というレコードを出して大仕事を成し遂げたが、 噺のレパートリーは250席を超えていたといい、ほかの落語家の群を抜いていた。

 私の「落語人生」で最も噺を聴いた数の多い落語家で、しかも名人であったのに、あまりに身近で聴けたため、当時は有難味が薄かった。今にして思えば、一高座、一高座、もっと丁寧に聴いておけばよかったと悔いている。圓生ほどの写実に徹した名人芸は平成の時代には絶対に出会えるものではないのだから。

「東横落語会」さよなら公演プログラム(昭和60年6月28日)

豆知識 「下座」

(イラストレーション:高松啓二)

 もともとは歌舞伎用語で、舞台下手(向かって左)の御簾内にいて、舞台効果を高めるために座っていた三味線などの囃子方のことを言った。「外座」とも呼んだ。寄席では、「下座さん」と言えば、高座の下手の客席からは見えない袖に座り、高座に上がる落語家の出囃子や噺の途中での効果音で三味線を弾く人のことを指す。

 通常はお客の前には姿を見せないのだが、かつて、関西テレビ(フジテレビ系列)『花王名人劇場』で、立川談志が案内役となり『明治240歳』と題し、談志がこよなく愛する明治生まれで80歳を超えた3人、「浅草オペラ」の田谷力三、「奇術」のアダチ龍光と並んで、「寄席の下座」の名人として、橘つやさんが舞台に上がり、名調子の三味線を披露した。

プロフィール

山本益博(やまもと・ますひろ)

1948年、東京都生まれ。落語評論家、料理評論家。早稲田大学第ニ文学部卒業。卒論『桂文楽の世界』がそのまま出版され、評論家としての仕事がスタート。近著に『立川談志を聴け』(小学館刊)、『東京とんかつ会議』(ぴあ刊)など。

アプリで読む