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増子直純の音楽履歴書

アーティストの音楽履歴書 第9回 増子直純(怒髪天)のルーツをたどる

ナタリー

19/11/8(金) 19:00

毎回1名のアーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにする本企画。第9回は結成35周年を迎えた怒髪天の増子直純(Vo)にルーツを聞いた。

ロックの原体験

うちの母親がThe Beatlesが大好きで家でいつもレコードかけてたから、物心つく頃には弟と毎日のようにビートルズを聴いてたね。「Yellow Submarine」とか子供の食い付きそうな曲もいっぱいあったし。あと、五木ひろしの浪曲集も子供ながらに面白がって聴いてた。俺は「ザ・ベストテン」世代で当時は演歌もチャートに入ってたから、小学生でも聴いてたし、いい曲はいいってわかるから。

ロックの原体験として西城秀樹は間違いなくあったね。背が高いし、歌い方も情熱的だし、圧倒的にカッコよかった。ああ、ロックってこういうもんなんだろうなって。ヒデキ自体がミック・ジャガー(The Rolling Stones / Vo)に影響受けてたこともあって、歌唱法における昭和のロッカーの原点だったのは間違いないね。

リクエストで手に入れた初めてのレコード

地元のHBCラジオで「ベストテンほっかいどう」という番組を夕方にやってて。小学校5年生のときにリクエストで電話したら当選して、「お好きなシングルなんでも1枚差し上げます」なんて言うから、思わず慌てて当時ラジオで一番かかってたさとう宗幸さんの「青葉城恋唄」を頼んじゃったの。せっかくもらったからめちゃくちゃ聴いたよ。さとうさんとは何年か前にアラバキ(「ARABAKI ROCK FEST.」)でご一緒させていただいてすごくうれしかったし、オチがここにきたかって思った(笑)。

不良のロックンロール

俺の育った地区は札幌でも貧乏な地区だったから、不良が多くてさ。友達の兄貴がキャロルとかダウン・タウン・ブギウギ・バンドが好きで、兄貴がいないときに部屋に入っては壁に貼ってあるポスター見たりレコード聴いたりしてた。お風呂に入ると髪型をリーゼントにしてたよ。シャンプーでね(笑)。

洋楽だとKissが好きだった。とにかくあのメイクにやられて、よく教科書にジーン・シモンズ(B, Vo)の絵を描いてたね。小学6年のとき、友達んちの布団屋の福引きを手伝ってもらったお金でKissの「Double Platinum」ってベスト盤買ったんだよ。あれはジャケットもシルバーで最高! 今聴くとテンポの遅いスタンダードなアメリカンロックなんだけどさ。

中学校はヤンキーばかりだったけど、その中にも音楽好きなやつがいて。洋楽の情報が載ってる雑誌を持って来ては「ジーン・シモンズは365日違う女と寝てる」なんて記事を読んで「マジかよ! すげえなKiss!」って全部真に受けてた(笑)。

アナーキーの衝撃

中学の終わりから高校入学にかけてはアナーキーだね。あと、同級生の姉ちゃんがパンク、ニューウェイブに詳しくて。スターリンの「trash」って2000枚しか作ってない自主製作盤を持ってたような人で、その人には影響を受けたね。

アナーキーも「爆裂都市 BURST CITY」(石井聰亙監督の近未来アクション映画。1982年公開)もARBも全部その姉ちゃんから教えてもらった。初めてアナーキーを聴いたときは「ラブソングじゃないんだ! こんなに文句ばっか言っていいんだ!」ってのが衝撃だった。当時、Sex PistolsとかThe Clashも聴いてたけど、全然ピンとこなかったもん。英語の歌詞はわかんないからさ。

高校1年のとき、学校祭の前夜祭で「俺に時間を3分くれ!」って頭を金髪に染めて上半身裸で、アナーキーの「叫んでやるぜ」を全校生徒に向けて歌ったなあ。バンドも組んでないからレコードかけながら歌って。これでこの学校も変わるだろうと思ったけど、変わったのは学校での俺の立場だけだったね(笑)。

制服がなくて私服だからという理由だけで高校を選んだけど、わりと進学校だったんだよね。俺の生まれた年は丙午で定員割れでどこでも入れたから、俺らの学年だけ信じられないバカでさ。当時はまだパンクの概念が一般的じゃなかったから鋲ジャン着て青いモヒカンで学校行くと先生も困って「どうしたいんだ?」ってなってた。最終的にモヒカンは前に2本、後ろに1本立ててたから、先生にしちゃもはや不良かどうかもわからない(笑)。「お前、それで合ってんのか髪型?」とか言われた。

当時は、地域の悪いヤツらがやる音楽がパンクだった。今でいうとヒップホップだね。俺が高校2年で最初に組んだバンドのドラマーなんてパンチパーマで“ハードコアパンチ”って呼ばれてたから(笑)。やれる曲も少なくて、スターリンとアナーキーのコピーをちょっと、あとはThe Venturesだもん。The Venturesから急にスターリンで暴れるって、観てるほうもどうしていいかわかんないよね(笑)。

ようちゃんとの出会い

札幌には、東京とか大阪のハードコアの情報がほとんど入ってこないから、雑誌の「DOLL」を取り寄せてるやつに読ませてもらってたね。それで唯一メジャーから出てたオムニバス「Great Punk Hits」を学校の校内放送でガンガンかけたりしてた。高校のときはイギリスのハードコアも聴いてたな。完成度ではG.B.H.がずば抜けてたけど、俺はDisorderが一番好きで。下手すぎて途中でリズム裏返るところも含めて最高だった。

高校3年の頃はもう怒髪天を組んでイベントとかもやってたけど、留萌にすごいハードコアパンクバンドやってるやつがいるって聞いて。それがようちゃん(吉村秀樹 / bloodthirsty butchers)で、その時期に初めて会ったの。ようちゃんはレコードもいっぱい持ってたから、いろんなのを聴かせてもらったよ。

この頃は音楽をやること以上に暴れることに夢中になってた。札幌に駅裏8号倉庫ってライブができる貸倉庫があって、そこでめちゃくちゃ暴れたね。曲なんてほとんどやってない。ライブってのは「爆裂都市」みたいなもんだと勘違いしてたし(笑)。怒られるかと思ったら、PAやってた人に「君、絶対続けたほうがいいよ、向いてるから」って褒められて。そのPAの人が、当時大学生でパラフレーズってバンドやってたエマーソン北村さん(シアターブルック)。暴れれば暴れるほど褒められるし、お客さんも集まるし、これはいいやと思ったけど、音楽的なこと全然勉強しないままでいた感じだったね。

自衛隊入隊、そして上京

高校卒業して自衛隊に入るんだけど、もちろん自分では行かないよね。高校のときにあまりにも素行が悪かったんで親に騙されてね。「いい仕事見つけてきてやったぞ。3カ月だけ整備の勉強すれば航空会社で働けるし、土日休みだからバンドもできるぞ」とか言われて。「マジか! さすがオヤジ」と思ったら、自衛隊でさ。20歳になるまで親のハンコがないと辞められないの。もう、めちゃくちゃ叩き直されたよ。唯一、購買で「DOLL」を売ってたのは救いだった。

20歳になって、また札幌でバンドを始める頃、初めてThe Rolling Stonesを聴いて遅すぎるストーンズ・ショックを受けた。ちょうどアナーキーも“ザ・ロックバンド”になってロックンロール寄りになってたから、「こういう音楽もありだな」と思った。あと、うちのギタリスト(上原子友康)がブルース好きで憂歌団も聴くようになったんだよね。憂歌団は、高校の頃は全然ピンとこなかったんだけど、やっぱ働き出すと「ブルースってこういうことか」「こりゃ演歌だな」と思った。そこらへんからだんだん今の音楽性になってきた感じだね。

札幌インディーズブームの頃はブッチャーズ、eastern youth、コインロッカー・ベイビーズ、うちの弟がやってたDMBQ……っていいバンドがいっぱいいたからお客さんもすごい来てね。当時、怒髪天にもメジャー契約の話あったけど、東京には行きたくなかったの。バンドブーム終わるまで絶対行かないよって。そしたら先に1人、Less than TVの谷ぐち順がGOD'S GUTSってバンドで東京に行って、「東京最高だよ! 絶対みんな来たほうがいい」とか言うから結局7バンドぐらいで上京したよ。周りの友達ごっそり来たから札幌にいるときと生活は変わんなかったね。

当時からカッコよかったミッシェル

東京に来てまず驚いたのが、ライブハウスのシステム。札幌にはライブハウスなんてなかったから貸しホールを借りて料金をみんなで割ってたけど、東京だとオーディションに出なきゃいけないとか聞いてびっくりしたよ。しかも箱がジャンル分けされてるから、音楽的な違いでブッチャーズやイースタンと一緒にできなくなっちゃって。一緒にブッキングされるバンドもつまんないのばっかり。そんな中でもカッコよかったのは、やっぱりミッシェル(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)だね。まだギターはアベ(フトシ)くんじゃなかったけど、あいつらが最初にやったイベントに俺らを呼んでくれて。でも、ほかではなかなかそういうのはなくて、にっちもさっちもいかない状態だった。

それとさ、バンドブーム終わってから東京に来たんで、若者たちからしてもライブハウスに行くのが一番ダサイ時期だったんだよね。みんなクラブに行っちゃって、「まだバンドやってんの?」みたいな雰囲気。それで1回バンドを活動休止して、3年働いた。ある日、うちのベース(清水泰次)から電話がきて、飲んでるうちに乗せられて「じゃあ、またやるか!」となって怒髪天を再開させたの。

楽しいからバンドやってきたわけで、これで有名になりたいとか音楽で食おうなんて1回も思ったことないね。もともとパンクバンドだから世の中に噛み付いてナンボで。噛み付いたあと「お代をお願いします」ってのは変でしょ? だから働きながらやろうと思ってた。結局メンバー全員がバイトを辞められたの40過ぎだもん。ただ、嫌なことやってまでそれで食うのはやっぱり違うよね。バンド至上主義じゃないと。そこを譲らないできたから楽しくやれたなって思う。

尊敬する忌野清志郎

清志郎さんを好きになったのは高校生になってからだね。中学のときは声が嫌いだったの。それがある日突然びっくりするぐらい好きになって。高校生のとき、札幌の真駒内オープンスタジアムでサザンオールスターズとRCサクセションの対バンライブ(1983年8月開催の「HOKKAIDO SUPER JAM '83」)があって。サザン好きの友達何人かで行ったんだけど、みんなサザンの出番が終わったら帰っちゃって、俺だけ残ってRCを観たんだよ。ちょうど「OK」というアルバムが出たばかりで、その中の「お墓」って曲をやってくれて。泣いたね。すごくよかった。

清志郎さんとは3回ぐらいご一緒させていただいたけど、本当に間に合ってよかったと思う。結局、中学高校で聴いてバンドをやるきっかけになったアナーキー、ルースターズ……みんな会えた。怒髪天35周年の「オトナノススメ~35th 愛されSP~」トリビュートにも(仲野)茂さん、(池畑)潤二さんに参加してもらえてすごくうれしかったな。吉川(晃司)さんなんてテレビの中の人だよ? 俺、「TO-Y」(※上條淳士のマンガ。吉川晃司がモデルのキャラクターが登場する)読んでたし、長くやってるといろんな楽しいことがいろいろ起こるんだなと思った。

今まで通ってこなかったプログレとAOR

俺、YMO世代だからエレクトロニカが好きでよく聴くんだけど、最近はもっぱらμ-ziqだね。当時は宅録以下のペラペラな音でクソだと思ってたけど、今聴くとすごくいい。あと、Soft Cell。あれも、最初はなよなよしてて「なんだこれ?」と思ってたけど、アルバム買ったらこれが最高。Televisionも去年ぐらいから聴いてるけど「Marquee Moon」は名盤だね。当時のニューウェイブは変なことやったもん勝ちで勢いだけだったからそのときは「あーあ」と思ってたけど、今は逆にそれがいい。今はできないよ。

そういう今まで通ってこなかったものを聴くと、すごくよかったりするね。まさか自分がプログレとAORを聴くようになるとは思わなかったもん。ここ何年かマイク・オールドフィールドを聴いてるけど、何聴いてもいい。笑っちゃったのは「Tubular Bells」で楽器の名前を紹介してから弾くやつ。あれってギターウルフが「ギター!」って紹介して自分で弾いてんのと同じだよね(笑)。AORだとスティーリー・ダンの「Gaucho」とかすごい好き。昔は洒落すぎてて鼻につくなと思ってたけど、ツアーの移動のときとかに聴くと最高にいい。メインストリームのものに対してずっとアンチだったから、取りこぼしてるものを拾い集めるとすごくいいものがあるよ。

ベストテン世代の歌謡曲再訪

「ザ・ベストテン」世代としては、70年代、80年代の歌謡曲は今聴いても最高だね。あの頃の歌謡曲は、はっぴいえんどとか阿久悠とか日本のトップクリエイターが関わってて、作詞も作曲もプロ中のプロがやってるから。しかも大手のレコード会社でもけっこう実験的な曲が多いんだよね。細野(晴臣)さんが携わってるのだったら、スターボーの「ハートブレイク太陽族」。あれ、YMOでまんま同じフレーズの曲あるもんね。パクリかと思ったら本人だったっていう(笑)。また、宇宙から来たはずなのに、次のシングルから地球人の女の子に戻ってる設定の甘さも最高だった。

演歌は日本のブルースでありワークソング

俺らの音楽はR&E(リズム&演歌)つってるけど、演歌は日本のブルースでありワークソングだね。しかもリズムの取り方も独特で前の拍で取るんだけど、あらゆるジャンルの音楽を一発聴いただけで踊れるくらいリズム感のいい黒人もそれだけはできないんだって。そういう特殊なノリと世界観。失恋したら必ず北に行く世界とかね。同じ風土で生まれ育った人たちの共通認識の中に演歌の魅力がある。絶対に避けられないよね。

どの国の音楽も、もともとは民族的な伝統とか土着的なものをベースにして生まれてるじゃない? 日本だけ演歌を度外視して始まっちゃってるから、すごくもったいない。もっとルーツを自分たちなりに解釈した音楽をやったほうが絶対しっくりくると思う。

そんな俺が影響を受けた1曲選ぶなら、やっぱサブちゃん(北島三郎)の「まつり」だね。最高でしょ? あのイントロだけでテンション上がるもん。それとさ、最後の「まつりだよ」の「だよ」がいいんだよなあ。「だぜ」でもないからね(笑)。

増子直純

ロックバンド・怒髪天のボーカリスト。1984年に地元北海道・札幌で怒髪天を結成し、1991年にアルバム「怒髪天」でクラウンレコードよりメジャーデビューを果たす。1996年から約3年間バンド活動を休止するも、1999年の再始動後は独自のスタイル“JAPANESE R&E(リズム&演歌)”を確立し、再び注目を集める。2004年にテイチク内IMPERIAL RECORDSに移籍。テレビCMなどメディア露出の増加により知名度を全国区に広げた。2019年に結成35周年を迎え、10月に35周年記念盤「怒髪天」をリリースした。人情深い性格でバンド仲間からの信頼も厚く、“増子兄ィ”の愛称で親しまれる。大のゲーム好きとしても知られており、新旧さまざまなゲームに造詣が深い。
怒髪天オフィシャルウェブサイト
怒髪天 / IMPERIAL RECORDS
怒髪天(@dohatsuten_crew) | Twitter

取材・文 / 秦野邦彦

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