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バンクシーはなぜアートと認められるのか? グラフィティの価値を問う『オーバーライト』の挑戦

リアルサウンド

20/5/22(金) 8:00

 アーティストのバンクシーが、新型コロナウイルス感染症の治療にあたる医療従事者を讃える作品を描いて評判になった。壁や道に勝手に描くバンクシーのような活動は、普通なら落書きとして嫌われ規制されるが、バンクシーが描けばアートと呼ばれて高い値が付き、東京都知事も保護を約束する。何が違うのか。ストリート・アートの価値はどこにあるのか。そんなテーマに挑んだライトノベルが、第26回電撃小説大賞で選考委員奨励賞を獲得した池田明季哉『オーバーライト ――ブリストルのゴースト』(KADOKAWA)だ。

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 可愛らしいテディ・ベアが、3人の警察官に火炎瓶を投げつけようとしているグラフィティ作品《マイルド・マイルド・ウェスト》を、バンクシーが1999年に制作した街が、イギリス西部の港湾都市・ブリストルだ。グラフィティとは、壁などにスプレーやペンを使って文字や絵を”書く”アート。ヒップホップ・カルチャーやアンダーグラウンド・シーンと結びついて広がり、キース・ヘリングやジャン=ミシェル・バスキアといったアーティストを生み出した。

 バンクシーもそうしたグラフィティ・アーティストのひとり。名前を広めるきかっけになった《マイルド・マイルド・ウェスト》は、ブリストルで開かれていたアングラパーティに警官隊が突入し、市民が反発した事件を風刺するものだった。消されて当然の反権力的なメッセージを持った落書きだが、バンクシーの名声が高まった今はブリストルの名所として観光客を集めている。

 だからといって、グラフィティへの理解が進んだとは言えない。たいていは違法な落書きとして取り締まられる。《マイルド・マイルド・ウェスト》ですら、2009年にグラフィティを嫌う集団によって赤く塗られる攻撃を受けた。それでも、ブリストルには今もグラフィティに情熱を傾けるライターたちがいる。『オーバーライト ――ブリストルのゴースト』には、そうしたブリストルのグラフィティ・シーンが綴られている。

 日本でバンド活動をしていたもの、才能に自信をなくして逃げ出すように留学した日本人のヨシが、アルバイト先のゲームショップに行くと、店先のガラスに落書きがされていた。ヨシは、ブーディシア(ブー)という同僚の女子や、常連客のジョージからそれがグラフィティというアートだと聞かされる。ブーはさらに、書かれ方や使われた塗料から犯人像を割り出し、書いた人間にたどり着いてみせる。

 アートに関する知識を駆使して事件を解決するアート探偵のグラフィティ版とも言えそうな展開。リバー・エイボンにかかるクリフトン吊り橋の主塔に、《ワイルド・ワイルド・ウェスト》をモチーフにした巨大なグラフィティが書かれた事件でも、ブーが書き手の意図を割り出し、そこにヨシの日本人ならではの知識が乗って犯人が判明する。

 浮かび上がって来たのは、ブリストルの市議会が進めようとしているグラフィティの聖地、ベアー・ピットの浄化への抗議。多彩なグラフィティに彩られて華やかに見えるが、治安の悪化も心配されている広場から、象徴とも言えるグラフィティを消してしまえ。そんな策謀が市議会によって進められていた。

 ベアー・ピットを拠点に、グラフィティ書きのチームを率いる女性・ララは、グラフィティ弾圧への抵抗の旗頭としてブーに目をつける。グラフィティに妙に詳しかったブーは、実は〈ゴースト〉と呼ばれた天才グラフィティ書きだった。ここから物語は、ブリストル市によるグラフィティ弾圧の裏にある謀略に、ブーやヨシが挑む展開となっていく。

 その過程で、〈ゴースト〉と呼ばれ賞賛を浴びていたブーが、どうしてグラフィティを書かなくなったが明らかにされる。それは、才能に見放された自分への嫌悪から逃げ出したヨシとも重なる理由。そして、弾圧されても魂を燃やしてグラフィティに向き合うブリストルの人たちの情熱が、逃げていた2人をいま1度自分に向き合わせる。グラフィティを書く、音楽を奏でるといった表現行為の根源にある自分の意思、誰のためでもなく自分がやりたいからやるんだという思いの大切さを感じ取れる物語だ。

 同時に、ブリストルという街に息づくグラフィティというカルチャーへの深い思いも伝わってくる。作者の池田明季哉は一時期、ブリストルに滞在してグラフィティ・シーンを目の当たりにしていた。この熱さを伝えたいと小説に書いて電撃小説大賞に応募し、見事に選考員奨励賞を獲得した。その後、グラフィティに彩られていた現実のベアー・ピットが、市議会の命令で浄化されてしまった現場を見て、ミステリー寄りだった物語を、グラフィティをとりまく政治や社会を含む物語へと編み変えた。

 グラフィティ書きにはひとつのルールがある。自分がそれを上回る作品を書けると思えば、すでに書かれたグラフィティの上からオーバーライト、すなわち上書きして構わないというものだ。そんな自信と才能に後押しされてオーバーライトされ続け、残ったグラフィティがアートとして無価値とは思えない。

 けれども、やはりグラフィティは迷惑な落書きで、勝手に書かれて困っている人たちが大勢いる。最近も、横浜市にある防音壁にグラフィティで「SAN」と書いた女性が、器物損壊の現行犯で逮捕された。こうした現実の厳しさを理解しつつ、メッセージ性を持ったアートとしてグラフィティが認められ、受け入れられる可能性を、『オーバーライト ――ブリストルのゴースト』を読みながら探りたい。

(文=タニグチリウイチ)

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