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飲食店経営はデスマッチよりも過酷? 「ミスターデンジャー」松永光弘が経験した生き地獄

リアルサウンド

20/7/27(月) 19:11

 インディーズ・プロレスファンにとって、松永光弘が「奇想」の人であることは、それなりに認知されている。数々の突飛なデスマッチを実現してファンの度肝を抜き、世界中から「ミスターデンジャー」と呼ばれる孤高の存在。プロレスラーとしては、技のレパートリーも感情表現にも乏しく、試合中は常に思いつめたような表情でヒドいことしたり、されたりするのだが、ここ一番の言動や体の張り方には目を見張るものがあり、見るものに強烈な印象を残すのだ。

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■立地の悪さ、牛肉の価格高騰、狂牛病、コロナウイルス……

 しかし、本書『デスマッチよりも危険な飲食店経営の真実ーオープンから24年目を迎える人気ステーキ店が味わった ー』(ワニブックス)は、松永光弘の破天荒なデスマッチ人生を振り返るような、いわゆる「プロレス本」ではない。松永が現役の頃から身を粉にして営業してきたステーキ店「ミスターデンジャー」が、いかなる苦労を乗り越えてきたか。そして、その経験から今回のコロナ渦でダメージを受けている飲食業界に対してのサバイバル術を指南してくれるという内容だ。

 松永が最初に、というより終始一貫してひたすら訴える続けるのは飲食店を営業し続けていくことの過酷さである。

「まず最初にハッキリと書いておきたいと思う。飲食業というのは『地獄』です!」(P26)

「リングの上で火だるまにされたり、五寸釘の山に叩き落とされたり、ワニと闘ったり、と世界で私しか経験していないような「生き地獄」をたっぷりと味わってきたというのに、ステーキ店をオープンしてわずか数日間で、厨房に立ち続けることは、そんな「生き地獄」の数々よりもよっぽど辛い、ということに気付かされた。」(P27)

 これは、本書の類似書ともいえる、元プロレスラー川田利明による書籍『開業から3年以内に8割が潰れるラーメン屋を失敗を重ねながら10年も続けてきたプロレスラーが伝える「してはいけない」逆説ビジネス学』(ワニブックス)でも再三語られていることでもある。ボロボロになるまで肉体を酷使するプロレス稼業よりも、毎日お店に立って、仕込み、調理、接客を続ける飲食店のほうが体力的にも精神的にもキツいというのだ。最も、この川田の本は、客に対するボヤキも満載で、いわゆる「張り紙の多い店」が、なぜそうなってしまうのかを身をもって明かしてくれるのだが…。

 とにかく、松永光弘が97年にオープンしたステーキ店「ミスターデンジャー」は、東武亀戸線「東あずま」駅という立地の悪さあり、逆境からのスタートを余儀なくされた。そこで松永は、比較的安価に手に入る「ハンギングテンダー」という部位を仕入れ、筋や脂を取り除く下処理を徹底的に行い、同業者も驚くほどの柔らかい肉にして提供するというスタイルを編み出す。

「早い時間から店に入って、黙々と肉の仕込みをすることになる。私は元プロレスラー(オープンの段階ではまだ現役のプロレスラーだった)で、腕力も体力もあったからなんとかなったけれども、普通の人がこの仕込み作業をやったら、もう営業時間に厨房に立ち続けるだけの体力は残っていないだろう」(P47)

 体力勝負でお値打ちなステーキを提供するだけでなく、その他様々な試行錯誤を繰り返し、ようやく利益が出せるようになった2001年、あの「狂牛病」騒動が襲いかかる。

 「もうその字面からしてヤバいわけです。ハッキリと「牛」という文字があり、そこに「狂」が加わる。もっと「BSE」という呼称が広まってくれれば、また違ったかもしれないが、さすがに「狂牛病」という文字が連日、テレビや新聞を賑わせていたら「今日は牛肉を食べようか」という気分には、なかなかならないだろう。」(P78)

 狂牛病騒動により「ミスターデンジャー」も客離れが起き、売上が激減。しかし、それよりもキツかったのが、アメリカ牛の輸入が禁止となり、割高なオーストラリア産牛肉に頼るしかなくなってしまい、仕入れ値がハネ上がってしまったことだった。ここでも松永は愚直な奇想で乗り切る。なんと、固くてひき肉にするしかないという部位を、ひたすら加工してステーキ肉に仕上げたというのだ。

「牛のモモ肉の中に、誰も買おうとしないから安く入手できる部位があることがわかった。その肉を仕入れて、あらゆる方法を試みていくうちに、なんとかデンジャーステーキと同じ柔らかさを再現できるようになった」(P88)

 1992年、松永は試合中に後楽園ホールの2階から飛び降りる史上初の「バルコニーダイブ」を敢行した。この模様をいま改めてみると「ダイブ」というより、柵をまたいで「落下」しているだけなのだが、それでも前人未到の偉業。バルコニーから飛ぼうと思いつき、実際に落ちたことが何よりもスゴい。

 このような追い詰められたときに発揮される「奇想」と「実行力」が松永の魅力であり、それがステーキ店経営でも発揮されていったことが綴られる。

 狂牛病ショックから復活を果たしてからも、「ミスターデンジャー」をチェーン化しようとして失敗したり、ラーメン店のフランチャイズを出して失敗したり、店内を急にアルカトラズ牢獄風にイメージチェンジするなどの紆余曲折が語られ、その景気の波との格闘ぶりはまさにデスマッチの様相を呈してくる。

■自分からバカになれ!

 牛肉の価格が高騰し、値上げせざるを得なかった時には、松永が牛に踏まれたイラストに「牛肉高騰の音を上げて…恐縮ながら値を上げました」というダジャレポスターで告知。このような緊急事態にはプライドを捨て、自虐ネタもいとわない姿勢が何よりも大事と説く。

「人間は誰でも「バカだな」と言われることに抵抗を感じるものだ。でもセカンドキャリアを成功させようと思ったら、自分からバカにならなければ、まずうまくいかないと思う。」(P172)

 これは、プロレス界の現人神、アントニオ猪木の名言「バカになれ!」とまったく同じ思想である。こうした姿勢こそが、コロナ渦で追い詰められている飲食業界が生き残るための方法を示唆してくれるのだ。

 そもそも、プロレス界において「デスマッチ」というのは、持たざるものの手段だった。いまでこそ高度化していて、ただ凶器で殴り合ってるだけでは成り立たなくなっているのだが、デスマッチファン側も、ただ血が見たいのではなく、その試合形式に込められた創意工夫や、そこに挑む「人間力」にカネを払っているのである。

 コロナ以後の飲食店も、目指すところは同じだ。もはや、ただ安いとか、美味しいということでは勝負できない。多少高くついても、店がそのメニューに対して費やした努力やアイディア、客に喜んでもらおうという心意気に対して対価を払うという意識になっていくのではないだろうか。

 松永は、狂牛病騒ぎを乗り越えた時に「またこんなことが起きたら、もう耐えることはないかもしれない」と考えており、今回のコロナ騒動が長期化しそうな局面でが「もう『ミスターデンジャー』を畳もう」と決意したそうだ。
 しかし、その渦中に考えを改め、最終的には「70歳までステーキを焼いていたい!」と宣言している。その心境の変化と、コロナを乗り越えるに至ったノウハウについては、ぜひ本書を参照にしてほしい。

 20年以上、何度も地獄の苦しみを味わいながらもステーキを焼き続ける松永の姿は、火炙りにされても、ロープ越しに首を吊られても無表情でフラフラと立ち上がり、有刺鉄線バットを使ってサソリ固めを仕掛け続けた、あの頃のデスマッチレスラー・マツナガの底知れぬ姿と重なる。

 前言撤回。読み終わってみると、本書はいわゆる「プロレス本」でした。

■出洲待央
ライター、編集者。雑誌、書籍、WEBなど媒体を問わず、様々な記事制作やインタビューなどに関わる。

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