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映画『ジョーカー』の“不穏さ”と“安らぎ”が同居する劇中歌 アカデミー賞作曲賞受賞を機に解説

リアルサウンド

20/2/24(月) 12:00

 昨年公開された映画『ジョーカー』が、『第77回ゴールデングローブ賞』作曲賞と『第92回アカデミー賞』作曲賞を受賞し話題となっている。作曲者はアイスランドの首都レイキャヴィーク出身のチェロ奏者、ヒドゥル・グドナドッティルで、女性単独での受賞は前者が史上初、後者が4人目という快挙だ。

 1982年、作曲家である父とオペラ歌手の母の間に生まれたヒドゥルは、同国を代表するグループであるmúmに在籍していたこともあり(客演では1stアルバム『Yesterday Was Dramatic – Today Is OK』から参加)、他にもニコ・ミューリーやThe Knife、SUNN O)))のアルバムへのゲスト参加でも知られている。ソロ名義でも数枚の作品をリリースしているが、彼女の名を広く世に知らしめたのはやはり師匠であるヨハン・ヨハンソン(2018年逝去)とのコラボレーションだろう。『プリズナーズ』や『ボーダーライン』、『メッセージ』などヨハンが手掛けた数多くの映画音楽に参加した彼女は、それぞれの作品の中でチェロやハイドロフォンを演奏し圧倒的な存在感を放っている。ちなみに、ジョーカーことアーサー・フレックを演じてオスカーの主演男優賞に輝いたホアキン・フェニックスが、パートナーであるルーニー・マーラーと共に出演した映画、『マグダラのマリア』のサントラを担当したのもヨハンとヒドゥルである。

 彼女を唯一無二足らしめているのは、「不穏さ」と「安らぎ」が同居したその独特の旋律に加え、前述したハイドロフォン(Halldorophon)と呼ばれる楽器の持つ奇妙な音色によるところが大きい。エレクトロチェロの一種ともいえるハイドロフォンは、通常の4弦とは別に共鳴弦を4本備えており、それを電気的にコントロールすることによってドローンやループ演奏、フィードバックなどを可能にしている。たとえば、『ジョーカー』のサントラに収録された楽曲「Call Me Joker」の2分13秒、2分57秒あたりを聴いてもらうと、ハイドロフォンが一体どのような音色なのか分かるはず。まるで獣の咆哮のような、この不気味なサウンドがジョーカー(アーサー)の「内なる声」を見事に表現しているのだ。

 映画『ジョーカー』の監督を務めたトッド・フィリップスがヒドゥルを起用したのは、彼女がヨハンの推薦によりサントラを手掛けた『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』(『ボーダーライン』の続編)を聴いたのがきっかけだったという。脚本を書き上げたトッドは、それをすぐヒドゥルに送り、「ファーストインプレッションで曲を書いて欲しい」とリクエスト。ヒドゥルは脚本のみを頼りに幾つかの楽曲を制作した。撮影現場では、シーンによってがそれを流しながら行われたという。

「アーサーのコスチュームやコレオグラフィ、映像のエディットなどの影響を受けず、脚本からのダイレクトな印象だけで映画と“繋がる”ことが出来たのは、とても良かったと思っています。椅子に座ってチェロを抱え、アーサーの性格や声、心の中へと入っていく道を探っていると、突然稲妻が走るような感覚がありました。“これこそが、アーサーの音楽だ”という身体的な反応があったのです」(参照:BMI)

 ウェブサイト「BMI」のインタビューで、そう語っていたヒドゥル。『ジョーカー』のサントラがあまりにもアーサーと“一体化”していたため、シーンによっては「音楽」が鳴っていたことすら意識していなかった観客もきっと多いはず。おそらくそれは、こうした「特殊なプロセス」でサントラが制作されたことも大きな理由として挙げられるだろう。

 中でもヒドゥルが奏でる音楽と、主人公アーサーが分かち難く結びついているのは有名な“舞踏シーン”だ。地下鉄で衝動的に3人の男を撃ち殺した彼が、公衆トイレに逃げ込み突如としてダンスを踊り出す。アーサーの内部にジョーカーが立ち現れる重要な部分である。脚本の段階では、凶器となったピストルの隠し場所を探すだけだったこのシーンに舞踏を取り入れたのは、ホアキンのアイデアだったという。しかも先のインタビューによれば、そこで使われた楽曲「Bathroom Dance」こそ、ヒドゥルが稲妻のような身体的な反応と共に生み出した、この映画のための最初の楽曲だったのだ。

 また映画の中でヒドゥルの音楽は、アーサーの精神状態とシンクロし徐々に「音数」を増やしていく。序盤、クラウン(ピエロ)に扮した孤独なアーサーが、ゴッサムシティの路地裏で少年たちに袋叩きにあうシーンでは、ほとんど無伴奏チェロのような楽曲「Defeated Clown」が流れていたが、世間から孤立したアーサーが次第にフラストレーションを募らせると、それに併せてオーケストラの編成も大きくなる。果たしてスコアが最も複雑になるのは、アーサーがゴッサムシティの群衆を先導し、「ジョーカー」となるクライマックス。ここで流れる「Call Me Joker」は、生楽器によるオーケストラとインダストリアルなサウンドを融合した、本サントラの中でもとりわけ複雑なアレンジが施されている。もともと10分以上あった曲を、シーンに合わせて何度もエディットし完成した楽曲だ。ウェブサイト「/Film」のインタビューで、ヒドゥルは次のように語っている。

「この物語は、まるでクレッシェンド(「だんだん強く/大きくなる」という意味の音楽用語)のようです。序盤ではアーサーが何者であり、どこからやってきたのか、彼は何故そこにいるのか観客には全くわからない。そんな曖昧かつ感情的なオープニング・シーンでは、チェロによる独奏が相応しいと私は考えました。監督のトッドも、この作品の主軸となるのはチェロだと最初から決めていたようです。アーサーが少年たちに叩きのめされるシーンでは、ほとんどチェロしか聴こえません。しかし、その後ろでは大編成のオーケストラが隠されている。観客はそれを聴き取ることはできませんが、無意識では“感じて”いる。それをアーサーと共に体験して欲しかったのです」(参照:/Film)

 撮影があらかた終わり、編集前のフィルムを受け取ったヒドゥルは、そこで自分の音楽がどのように使われているかを確認し、そこからインスパイアされた楽曲(テーマ曲を発展させたものや、いくつかのバリエーション)をさらに書き上げたという。

 通常、サントラといえば映像を基に制作されるものだが、『ジョーカー』のサントラはまず脚本の段階で書かれ、それを現場で流しながら撮影し、編集の段階でさらに音楽が追加された。「音楽」がそこで鳴っていることすら意識させないほど映像と一体化したサントラが生み出されたのは、こうした特殊なプロセスを経たからである。それにより、ヒドゥルが奏でるハイドロフォンの胸をえぐるような狂おしい旋律は、ジョーカーことアーサーの「内なる声」そのものとなったのだ。(黒田隆憲)

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