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綾野剛が体現する人のカッコ悪さと愛しさ 実にアッパレな映画『パンク侍、斬られて候』

リアルサウンド

18/7/8(日) 6:00

 『パンク侍、斬られて候』は実にアッパレな映画だ。笑った、笑った、大笑いだ。と、同時に少し心がざわめいた。なんだか現代人が言わずにいる「王様の耳はロバの耳!」を聞いてしまったような気分になったからだ。私たちは、いつだって葛藤しながら生きている。本音と建前のはざまで、各自の大義名分と都合のいい嘘を組み合わせながら。自分を騙し騙し生きていくうちに、何がリアルか、フィクションか。いつしかその境目さえもわからなくなり、本来の目的なんて忘れてしまう。大きなうねりに今さら何を変えられるか、と見て見ぬふりをしてやり過ごす人が、ひとりまたひとりと増えていく。そんな私たちの弱さを、まるっと見透かして「お前ら、ハッタリだろ」と胸ぐらを掴まれるような映画なのだ。真正面から痛いところを突かれると、人は胸をかきむしりながら、笑うしかないのかもしれない。

参考:綾野剛、ストイックな役作りのすごみ 『フランケンシュタインの恋』『武曲 MUKOKU』の演技を読む

 この物語の主人公は、綾野剛扮する自称「超人的刺客」の浪人・掛十之進だ。だが、彼自身が善人でも、悪人とも言い難い。自分を守るために嘘をつき、権力に迎合し、かと思えば潔く敵陣に飛び込む男気を見せたり……そんな白黒はっきりしない正義感こそ人間らしさなのだろう。掛だけではない、正論しか言わない殿様、わかりやすくポジション争いを繰り広げる家老たち、キャパオーバーな家来に、自由を求めながらも仕事相手に振り回される殺し屋などなど、舞台こそ江戸時代だが描かれる人物は、身近にいる“悪い人じゃないんだけど、イラッとしたあの人”を思い浮かべてしまうようなキャラクターばかり。すべての登場人物に愛すべき欠落がありながら、どこか憎めないのは、さすがクドカン脚本だとヒザを叩く。

 物語は、掛がとっくに討伐された“腹ふり党”の復活をでっち上げ、手柄を立てようと奔走するのだが、その自作自演がとんでもない事態を招くというもの。それぞれの思惑が入り混じり、予想外な結末を迎える。バタフライエフェクトで群衆の狂気を誘う展開も、決して他人事ではない。掛の一振りは、現代人のワンクリック……とでも例えられるだろうか。ちょっとしたことで、群衆の心は一気に火がつく。いっぱいいっぱいな心は、いつだって発散のときを待っているからだ。きっかけはなんだっていいとさえ思える。それぞれが自分の正義を振りかざし、傷つけ合って、残るのは真っ白な虚無感だけ。名優たちが演じるアクの強いキャラクターを、ただただ滑稽だと笑いながら、その奥に見え隠れする痛烈なメッセージに斬られたのは私たちの方だ。

 そんなシュールで破天荒でジェットコースターのように駆け抜けるストーリーから、観客が振り落とされないようにつなぐのは掛の、いや綾野剛の素に近いリアクションだったように思う。アクションシーンをスタントなしでこなして肉体的にも過酷な状況が続き、浅野忠信のエキセントリックなアドリブ演技に石井岳龍監督が次々とOKを出すカオスな現場に、綾野剛は初日舞台あいさつで「ひっでえ現場だった」と笑う。きっとその感覚は、私たちがこの映画を観たときに感じた、脳内をかき回される快感に近かったのではないだろうか。

 何が正解かわからない状況に困惑し、強き者を恐れ、美しき者に絆され、感情のままに振り回されながらも、狂いきれもせずにもがく。その無様な姿は、人が生きるということそのものなのだろう。綾野剛の男前な色香はもちろんのこと、悪戦苦闘しながら汗を流す男臭さ、ゾッとするほど残酷な眼差しの血生臭さ……と、スクリーンからこれでもかと人間臭さがたちこめる演技が、人のカッコ悪さと愛しさを強調する。ちなみに、村上淳いわく綾野剛の股間からは夏を告げる石鹸のような香りがするそうだ。ああ、なんてくだらなくて、いい作品なのだろう。大真面目に人の業と向き合った大人たちが、行き着いたカオスで、この上なく人臭い映画。この作品を愛でることが、とっくに“終わってる”この世界を生きていく小さな希望になる。(佐藤結衣)

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