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社会はポジティブに衰退していく……日本SF大賞作家・酉島伝法が描く、フェイクが蔓延する世界

リアルサウンド

21/1/3(日) 10:00

 こんな世界に誰がしたのか。

 酉島伝法の最新短篇集『るん(笑)』は、今の日本とどこか似た世界が舞台となる、デマや疑似科学などのフェイクを主題とした小説3作を収めている。

 冒頭を飾る「三十八度通り」の主人公・土屋は、一カ月以上も三十八度の熱が続いていた。寝ていても寒気で目が覚め、大量の汗をかいて喉が渇いて仕方ない。何とか熱を鎮めようと解熱剤を飲もうとしたその時、〈どうして自分の体を信じてあげないの!〉。妻の真弓に手をはたかれて、錠剤は手から弾け飛ぶ。

〈免疫力の……立場〉〈気持ち、なぜ考えてあげない〉。

 真弓が薬の代わりに夫に処方していたのが、兪水(ゆすい)だ。天然イエロージャスミンの根をすりおろし、浄化された閼伽水(アクア)を注いで長時間かき回してできたこの水は、免疫力を高めるのにいいらしい。彼女のお手製で、〈ごく親しい人間が心から愛情を込めて作らない限り兪効の成分がうまく熟成しない〉のだとか。でも科学的根拠不明の飲料を飲んだところで、病状は好転しない。土屋がふらつきながら立ち上がり、効いていないそぶりを見せると真弓は〈くさい芝居はいらない〉と吐き捨てるように呟く。

 こうした科学リテラシーの低下は国全体で起きており、経済は成長せず婚姻率も出生率も減少の一途をたどる。土屋の働いている結婚式場では披露宴のみで経営が成り立たないのか、離婚式に再婚式、果ては一人で挙げる〈自分自身と出会い、自分自身とわかり合い、自分自身と分かち合うことで自分探しに決着をつける結婚式〉まで企画される始末だった。

 そんな衰退する社会において、ネガティブな言葉は〈忌み言葉〉として徹底的に排除される。2篇目の「千羽びらき」には、「三十八度通り」の登場人物・真弓が再び登場。彼女の母で末期癌を患う美奈子が語り手となり、真弓主導で進められる怪しげな代替療法の顛末を描く。作中世界で病気は言葉としての波長が悪いとのことで部首の「やまいだれ」を取って、「丙気(へいき)」と呼ばれている。癌は「蟠(わだかま)り」と言い換えられそれで終わりでなく、よりポジティブで奇天烈な言葉へと変化していく。医療は発達するどころか、退化しているというのに。

 気休めばかり求めて、問題を解決しようとしない社会。そのごまかしの姿勢を言葉の言い換えが象徴するというのは、独特の漢字表記や意味を付けた造語を用いて奇妙な世界を生み出し、これまでに『皆勤の徒』『宿借りの星』で日本SF大賞を2度受賞した作者・酉島伝法ならではの趣向だ。

 一方で、本書では登場人物の飾り気のない何気ない言葉が、時に強く印象に残る。たとえば、父親そして夫によって抑圧された半生を過ごしてきた美奈子。彼女が大切にしていた、ある翻訳物の詩集。若い頃に、〈社会の秩序には決して従おうとしない〉生き物だからと、飼うことを断念させられた猫への愛着。そこから読み取れる自由への希求を踏まえると、自分の意志で人間ドックを受けて癌と診断された時の〈これほどの安堵に解きほぐされたのは初めてだった〉という一言が、どんな言葉の言い換えよりもポジティブなものに見えてくる。

 それにしても、空疎な言葉とフェイクの蔓延する社会は、一体全体どこへ行き着くのだろうか。その答えとなる作品が、最後に収められている「猫の舌と宇宙耳」だ。美奈子の孫にあたる少年・真(まこと)が主人公となるこの作品で、子供は嘘マナーを真実とする教育の賜物か、何かにつけて〈させていただく〉などとへりくだる。素手で家のトイレを掃除する習慣にも嫌悪感はなく、〈新しい服を着たときみたいな晴れやかな気持ちになる〉のだという。

 それよりさらに不気味なのは、絶対的な悪役が結局本書のどこにも存在しないまま終わるということ。衰退していく社会は誰かの悪意によってではなく、フェイクを無邪気に支持する無数の人々の同調圧力とそれに反抗できない人々の忖度によって、いつの間にか出来上がりダラダラと続いていくのだろう。書かれてはいない成り立ちを察しながら、どうすればそれを防げたのか答えが出ない自分もまた、『るん(笑)』の世界にうまく適応して生きていけそうだ。そう思うと背筋が凍る。

■藤井勉
1983年生まれ。「エキサイトレビュー」などで、文芸・ノンフィクション・音楽を中心に新刊書籍の書評を執筆。共著に『村上春樹を音楽で読み解く』(日本文芸社)、『村上春樹の100曲』(立東舎)。Twitter:@kawaibuchou

■書籍情報
『るん(笑)』
著者:酉島伝法
出版社:集英社
価格:本体1,800円+税
出版社サイト

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