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シリアルキラーものの傑作! 『屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ』に宿る孤独とユーモア

リアルサウンド

20/2/11(火) 12:00

 『ハウス・ジャック・ビルト』や『テッド・バンディ』、『永遠に僕のもの』、そして配信ドラマ『マインドハンター』など、日常的に殺人を犯す“シリアルキラー”を題材とした映像作品が、最近目立っている。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でも、自身の崇拝者に殺人を命じていたチャールズ・マンソンによる事件が描かれていた。

参考:場面写真はこちらから

 そんなちょっとしたシリアルキラー・ブーム(?)のなか、“傑作”といえる本格的な殺人鬼映画が公開される。30代の時点で世界三大映画祭全ての賞を獲得した、天才的な映画監督ファティ・アキンが、ドイツに実在したシリアルキラーを題材に撮り上げた『屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ』である。

 フリッツ・ホンカは、1970年代に複数の娼婦たちを殺害し、さらにその死体を切り刻んで、屋根裏の部屋の隅に押し込んでいた凶悪な人物である。本作は、ホンカを題材にしたベストセラー小説を基に、残忍な犯行を重ね続けるホンカの姿を追いかけていく。

 アルコール依存症のホンカは、寂しい者たちが集う、行きつけのバー“ゴールデン・グローブ”でいつものように酒をあおっている。酒を飲むと欲望が肥大化し、バーの女性客に酒をおごって繋がりを持とうとする。だが、女性たちには「不細工すぎる」と一蹴されてしまう。

 本作の主演を務めたヨナス・ダスラーは、実際のホンカの写真とは似ても似つかない、23歳の美しい俳優だが、ここでは頭髪が薄く、斜視で鼻が潰れ、背中を丸めた怪異な容貌の殺人鬼を演じる。その姿は、『ノートルダムの鐘』のカジモドを想起させられる。

 女性たちに拒絶されて気持ちの収まらないホンカは、年老いたアルコール依存の娼婦を見つけて、酒があるからと、強引に家に連れ込んだ。ホンカは、彼女に娘がいることを知ると、「娘をホンカ氏に差し出します」という内容の誓約書にサインしろと迫る。最悪な人物だ。そして、悪夢のようなシチュエーションである。

 誰もが楽しめるような作品とは言いづらい。中年男のむきだしの欲望や暴力、それに服従したり殺害される、老いた女性たちの姿は、人々が普段見たくないと思っているような、社会の暗い側面を次々と見せつけてくる部分があるからだ。しかし、それこそが本作の最も力強い点でもある。“見たくないもの”のはずなのに、目が離せなくなっていくのである。

 ホンカは、昼間に街で見た美しい女子学生の姿を夢想しながら、「その醜い顔を見せるな!」と老いた娼婦を怒鳴りつけ、顔を背けさせて性欲を発散しようとする。殺人だけではなく、本作は様々な場面で、ホンカの暴力性を見せていく。そしてそれは、彼のなかのコンプレックスに原因があることが、いろいろな態度から分かってくる。原作小説では、人格を形成する少年時代の描写があるが、映画にはない。それでもしっかりとホンカの内面が伝わってくるのだ。

 人並み以上の性的な衝動にくわえ、プライドを傷つけられると激昂し、酔いにまかせて女性に暴力を振るい、それがエスカレートして殺害に至ってしまう。魅力的な容姿と態度で、大勢の女性を惹きつけて殺害したテッド・バンディや、チャールズ・マンソンのようなカリスマ性を持っているわけでもなく、知性もあまり感じられない、冴えないホンカは、語弊があるかもしれないが、“凡庸な”タイプのシリアルキラーだといえよう。

 死体は部屋の隅の収納スペースに無造作に押し込み、匂いが出ないようにガムテープで密閉しようとする。当初は、人目を気にして死体を外に捨てに行けなかったホンカだが、だんだん面倒くさくなってきたのか、部屋を片づけるのをさぼるのと同じような感覚で、死体を部屋の中に置きっぱなしにしている。実際のホンカが、そのような理由で死体を部屋に置いていたのかは分からないが、シリアルキラー界のダメ人間の行動として、異様に説得力のある描写だ。

 片づけないために次第に異臭はきつくなっていき、部屋にやってきた人や、下の階に住んでいるギリシャ人一家も、悪臭に文句を言い始める。彼らも、まさかそれが人間の死臭だとは気づいていないだろう。迷惑というだけでなく、このままでは逮捕されてしまう可能性があるのにも関わらず、ホンカは死体を外に捨てようとはしない。悪臭をいまいましく感じながらも、酒をあおって忘れてしまうのである。

 このように、重大事件を起こしながらも間の抜けた行動をしてしまうホンカの状況が、ところどころコントを見ているように、ユーモラスに感じられるのが、本作の特徴だ。むしろリアルにも感じられてしまうところもある。われわれは殺人を世にもおそろしい行為ととらえているが、現実にはこのように、思ったよりも淡々としていて、コントのように感じられる瞬間すらあるような気がしてくる。

 このような撮り方は、一見すると、ラース・フォン・トリアーやミヒャエル・ハネケの露悪的な演出に近いようにも思える。だが本作は、彼らのように観客の神経をわざと逆なでするような意図を持っているというよりは、もっと登場人物の目線に近いところで描いているように感じられる。アキン監督自身も、実際に被害者が存在する事件を題材にした本作について、「被害者の尊厳を守る」と何度も発言しており、「ホンカの尊厳も守る」とすら述べている。

 事件のあったハンブルクは、アキン監督が生まれ育った土地だ。ハンブルクを作品の舞台にしてきた監督は、この作品も、ある意味、ひとつの地元映画として撮っているところがあるのだ。本作が胸に迫り、一層残酷に感じられるのは、身近な場所で生きた人々に、監督が一種の愛情を感じ、登場人物一人ひとりを、人間として魅力的に描いているからではないのか。

 本作の登場人物は、社会のなかで除け者にされた孤独な人ばかりである。原作者のハインツ・ストランクが演じる謎めいた男や、寂しい独り身の男たち、客を探す娼婦たちなど、ゴールデン・グローブに集まる者たちは、誰もが喪失感を味わいながら、日々の不安をアルコールで紛らわしている。ホンカに目をつけられる、若い女子学生もまた、学校生活に馴染めずにいる。その境遇は、トルコ系の移民としてドイツで育ったアキン監督とも重なるのだ。

 人は、生きている限り、他者との繋がりを持とうとする。それがたとえ一時的なものであったとしても、差し伸べられた手をつかもうとするだろう。殺人鬼であるホンカでさえも、そうしなければ生きていけなかった。彼が被害者の死体を捨てきることができなかったのも、案外それが理由だったのかもしれない。アキン監督が本作で真に描いたのは、殺人そのものよりも、事件によって浮かび上がる、ハンブルクの街に実際に生きて存在していた、希望に見放された人々の物語であり、それでも希望を追い求めてしまう人間の孤独な姿だったのではないだろうか。

 そんな絶望のなかにあって、本作では、ひとりの女性が希望を見出し、神に導かれるように、ホンカの魔の手から逃れる姿が映し出される。陰惨な世界のなかで描かれた、この救いは、本作に神々しいまでの美しい寓話性と感動を与えている。

 人生とは、なんと過酷で醜いものなのか。そして同時に、なんとあたたかく素晴らしいものなのだろうか。本作が傑作といえるのは、映像と物語を通して、観客をそのような境地にまで運んでくれるからである。 (文=小野寺系)

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