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『シン・ウルトラマン』はどんな内容に? 庵野秀明×樋口真嗣のこれまでの作品から考える

リアルサウンド

19/10/5(土) 10:00

 総監督・脚本を庵野秀明、監督・特技監督を樋口真嗣が務めた『シン・ゴジラ』(2016年)は、東宝の看板『ゴジラ』シリーズのなかでも極めて高い評価を受けた成功作となった。その勢いに乗って、今年8月、正式に制作が発表されたのは、同じコンビによる、映画『シン・ウルトラマン』だった。一見冗談のようだが、今度は庵野秀明が企画・脚本、樋口真嗣が監督を担当し、2021年に公開するという大真面目な企画だ。庵野が代表を務める株式会社カラーの発表によると、「庵野は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2020年6月公開予定)の完成後、樋口組に本格的に合流する予定」だという。

参考:Hey! Say! JUMP 有岡大貴、早見あかりら、庵野秀明×樋口真嗣『シン・ウルトラマン』出演へ

 ここでは、そんな期待の『シン・ウルトラマン』の内容について、すでに脚本の“検討稿”を書き上あげたという庵野秀明の作家性を考慮に入れながら、作品の焦点となりそうな部分を、いまから考察してみたい。

 「特撮の神様」と呼ばれる円谷英二が重要な役割を果たした『ゴジラ』、『ウルトラマン』は、そのまま日本の特撮作品の代表といえる、いまでも新作が作り続けられる人気シリーズである。大学在学中からアマチュアとして『ウルトラマン』のパロディ作品を手がけていた庵野、そして東宝で実際に『ゴジラ』シリーズの特撮に参加していた樋口。彼らは若い時代から筋金入りの特撮ファンであり、特撮作品を生み出してきた親交のあついクリエイターでもある。両者がいま、特撮の代表格である『ゴジラ』を経て、さらに『ウルトラマン』を現代の作品として作り上げるというのは、ある意味では順当であるのかもしれない。

 庵野はアニメ作品の監督としてのイメージが強いが、その作家的なルーツには、特撮作品が欠かせない。『ウルトラマン』シリーズの熱烈なファンである彼は、なかでも『帰ってきたウルトラマン』(通称:『新ウルトラマン』)はお気に入りなのだという。そんなシリーズの設定を基に、学生時代に仲間たちと撮った8ミリ実写作品『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』(1983年)では、若さあふれる監督本人がウルトラマン役をこなしながら、学生が作ったとは信じられないクオリティとこだわりで、見応えのある特撮作品を完成させてしまっている。

 その頃からすでに、電信柱を見上げる構図や、手持ちカメラを使った躍動的なショット、室内でも極端なカメラアングルを多用するなど、『新世紀エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』に繋がるような演出のあれこれを見つけることができる。そして、それは低予算の特撮作品がスケール感を醸成するためのものだったことも理解できるのだ。

 そう、アニメーション作品にも特撮作品のテイストはそのまま生きている。庵野が監督を務めた『ふしぎの海のナディア』や『新世紀エヴァンゲリオン』を見ても理解できるように、巨大戦艦や巨大生物などを、リアリティある街の風景とともに効果的に配置していくジオラマを下敷きとしたような手法は、監督のなかでアニメと実写の間における境界が曖昧であり、双方に相乗的な魅力をくわえているといっていいだろう。

 『エヴァ』シリーズが特撮風であることに面白さがあるように、『シン・ゴジラ』にもまたアニメーション風の演出が行われていた。あのゴジラが吐き出す、特徴的で斬新な熱線の表現にしても、庵野がスタッフとして加わった『風の谷のナウシカ』(1984年)における巨神兵が、「なぎ払え!」の声とともに放っていた“プロトンビーム”の演出を応用していたと思われる。

 巨神兵といえば、東京都現代美術館の展示のために制作され、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』でも同時上映された短編『巨神兵東京に現わる』(2012年)を思い出さないわけにはいかない。この作品も『シン・ウルトラマン』と同じく、脚本に庵野、監督に樋口という組み合わせだった。ここでも、やはりプロトンビームが放出されるシーンがあるが、それが『シン・ゴジラ』の熱線表現の前哨戦となっていたことは、両者を比較すれば明らかである。

 面白いのは、アニメーションの巨神兵をただ実写で表現しただけではなく、新たな解釈をくわえている部分だった。『風の谷のナウシカ』では、巨神兵を急いで稼働させたことで、身体がドロドロと溶け出し、その人工的な骨格が露わになることで、巨神兵という存在は、何者かによって造られた兵器であることが暗示されていたが、『巨神兵東京に現わる』では、完全なかたちを保った巨神兵の口内に機械的なシステムが組み込まれていることを強調することで、その正体をさらに明確なものとした解釈がくわえられていた。

 そんな巨神兵の兵器としての真の姿が強調された演出や、ゴジラの熱線の表現を見る限り、『シン・ウルトラマン』にて同様のことが行われることは確実であろう。例えば、ウルトラマンの必殺技“スペシウム光線”の新解釈である。

 スペシウム光線は、地球にはない物質である“スペシウム”の力を利用し、片手ずつプラスとマイナスのエネルギーを集め、両腕をクロスしてスパークさせることで、ターゲットに強大なダメージを与える攻撃方法だ。これまでの庵野×樋口の特撮作品で行われていたように、ここではおそらく原点に立ち返り、「スペシウム光線とは何なのか」という疑問に新しい定義を与え、新鮮な描写が行われるものと思われる。

 そして、それよりもさらに重要な部分だと思われるのは、“ウルトラマン”という存在そのものの再定義であろう。『シン・ゴジラ』では、“シン”という言葉から、観客に複数の意味を考えさせた。進化の“進”や、“新”、“真”、“神”、そして地震の“震”や、英語で「罪」を意味する“Sin”などである。ここでのゴジラは、戦後の日本が本当の意味で変わることができたのかを問うために現れた、神のような存在であり、かつ過去の罪の象徴であるようにも見えるのだ。そしてゴジラがもたらす被害は、東日本大震災のイメージだといえよう。

 もともと第1作『ゴジラ』(1954年)にも常々、太平洋戦争とのつながりを指摘する声は多く、その本質は戦死者の霊であるという解釈がなされていたが、それはあくまで作品単体のなかでは公式に示されることはなかった。そのなかで、金子修介監督によるシリーズ作品『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)では、太平洋戦争での戦死者の魂だということを劇中でハッキリと明言させることで、この一種の“俗説”を新しいゴジラに採用したことになる。重要なのは、『ゴジラ』にそのような思想があるということがもともとあったにせよ、後付けの解釈だったにせよ、それに実体をともなわせることが後からできるということである。

 じつは、『ウルトラマン』にもこのような神秘的な裏設定というのが根強く残っている。それが、「ウルトラマンは“弥勒菩薩”である」という説だ。その根拠は、美術スタッフの成田亨が、広隆寺の弥勒菩薩像の表情に見られる“アルカイックスマイル”をウルトラマンの顔のデザインにくわえたことを明らかにしたことに由来する。ここから派生して、「ブッダの死後、56億7千万年後に現れ、現世に救済を与える」という弥勒菩薩の伝説と、数百万光年離れたM78星雲からやってきて地球の人々を救うウルトラマンが重なるという説が噂されたことがあるのだ。

 このような、“妄想”にも近い説に異様な魅力を感じる人たちがいるというのは、そういった目で見直すことで、従来のウルトラマンの設定に、新たな裏付けや深読みの余地が生まれ、シリーズを再度新鮮に楽しむことができるからではないだろうか。そしてゴジラ同様に後のクリエイターが、それを新しいシリーズ作品の設定に正式採用してしまうことも可能なのである。

 『新世紀エヴァンゲリオン』で印象深い点のひとつに、旧約聖書をはじめとする様々な既存のモチーフが散りばめられていたことが挙げられる。父を殺し母と交わるという運命から逃れられない人物の苦境を描いたギリシャ悲劇『オイディプス王』や、何層にも分かれた構造でできた地獄の最深部に堕天使が幽閉された様子が描かれた叙事詩『神曲(地獄篇)』などから、『新世紀エヴァンゲリオン』は、文学的なテーマや要素を意図的に抽出しているのだ。

 「エヴァンゲリオン」の語源となったのは、ラテン語でキリストの教えである“福音書”を意味する「エウアンゲリオン」からきていることは明らかだ。さらにそこには、旧約聖書における人類最初の女性である“イヴ”や、『神曲(地獄篇)』に登場する“欺瞞の罪の象徴”たる、ギリシャ神話由来の怪物“ゲリュオン”など、複数のイメージが重ね合わされているように思われる。エヴァンゲリオンがこれら聖書や文学を基にしているように、またゴジラに新しい解釈がくわえられたように、『シン・ウルトラマン』にも、その存在自体に弥勒菩薩などの仏教を下敷きにした説、あるいは最新の科学理論の採用など、何らかの意味が付与されるのではないかという気がしてならない。

 それは“シン”という名が、与えられたものの本質を新たに暴き出し、“真”の姿を見せるという気概を示す言葉だということが、作品や監督の発言などによって次第に明らかになってきたからである。庵野秀明が監督として作り上げる『シン・エヴァンゲリオン』、そして脚本と制作に関わる『シン・ウルトラマン』が、『シン・ゴジラ』のように決定的な定義を与えることができれば、作品としての内容的成功は約束されたといって良いのではないだろうか。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。

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