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ヨルシカ、YOASOBI、カンザキイオリ……第二次ブーム「ボカロ小説」の特徴は?

リアルサウンド

20/10/4(日) 16:17

 ボカロP出身のn-bunaが結成したバンド・ヨルシカが2020年7月に発売したメジャー3rdアルバム『盗作』の初回限定盤にはn-buna執筆の中編小説が収録されて話題を呼んだ。

 やはりボカロPであるAyaseがコンポーザーを務めるYOASOBIはソニーミュージックが運営する小説投稿サイトmonogatary発の作品を音楽化するプロジェクトだが、その原作小説を集めた短編小説集『夜に駆ける』は初版3.5万部が即重版と新人作家たちの短編集としては異例の売れ行き。楽曲の原作になった小説『たぶん』は20年晩秋に映画公開予定でもある。

 さらにボカロPカンザキイオリが9月に発売した小説『あの夏が飽和する。』も10月5日重版出来分で6万部とヒット。

 ボカロ出身または現役ボカロPが関わる小説がこれほど話題になるのは5、6年ぶりのことだ。

 ボーカロイド楽曲を原作とした小説、いわゆる「ボカロ小説」は2010年発売の悪ノP(mothy)『悪ノ娘』のヒット以降、2010年代前半にブームとなった。

 2011年からじん(自然の敵P)がメディア横断的に展開するカゲロウプロジェクトの小説版『カゲロウデイズ』はシリーズ累計400万部以上となり、若年層のあいだで社会現象と化した。

 この夏に起こった小説刊行ラッシュは、いわばこれからの第二次ブーム(第二波)のはじまりとなりうる現象だ。

第一次ボカロ小説ブーム 「ボカロキャラの二次創作」から「Pオリジナル作品」へ

 ただ、いくつかの点で第一次ブーム(第一波)の作品と第二波の作品は異なる。

 それを理解するには、ボカロ小説の歴史を少し辿る必要がある。

 2010年8月に『悪ノ娘』が初の本格的なストーリー性をもったボカロ小説として刊行されてシリーズ累計100万部を超えるヒット作となった。PHP研究所はほかにも猫ロ眠@囚人P『囚人と紙飛行機』やhalyosyによる卒業ソングを小説化した『桜ノ雨』などを次々に成功させ、KADOKAWAや一迅社も追随してボカロ小説刊行ラッシュが2012年頃から起こる。

 そのなかからカゲプロの小説版も生まれたのだが――カゲプロは、『悪ノ娘』的な「ボーカロイドキャラクターの二次創作」から「原作はボーカロイドを使った楽曲ではあるが、P(プロデューサー)オリジナルキャラクターのノベライズ」へとボカロ小説の流行をシフトさせた作品でもあった。

 『悪ノ娘』『囚人と紙飛行機』『桜ノ雨』はいずれもミクやリン・レンなどボーカロイドキャラクターがモデルの人物が登場する楽曲を原作とした小説だった。

 だからミクやリン・レンなどの版権元(ボーカロイドの発売元)であるクリプトン・フューチャーメディアとボーカロイド技術の開発元であるヤマハの著作権表記が入っている。

 つまりこれらはクリプトンが権利を持つボカロキャラを原案として商業出版が許諾された二次創作だった。

 しかし、カゲプロにはミクやリン・レンは出てこない。緑の長髪ツインテールのエネはどう見てもミクがモデルだし、エネの出てくる曲はミクを使って歌わせているが、それでも「じんのオリジナルキャラクターである」という立場で曲も小説も作られている。

 この時点でボカロ小説は「ボーカロイドが出てくる小説」だけでなく「ボカロを使って作られた曲を原作にした小説」も含まれるようになり、カゲプロの成功もあって徐々に後者に流行の主流はシフトしていった。

 第二波作品でいえば『あの夏が飽和する。』は後者だが、『盗作』『夜に駆ける』に至っては「ボカロで作られた曲を原作」にすらしておらず、「ボカロPとしても活動していた(している)コンポーザーが関わる小説・音楽連動企画」になっている。

 それならもう「ボカロ小説」と呼ばなくていいのでは、と思うかもしれないが、個人的には呼びたい気持ちがある。この点は脱線になるので、あとで述べる。

キャラクター小説から一般文芸へ 「ボカロ小説」から「ボカロ文芸」へ

 内容面から見ても第一波のような「キャラクター小説」から、第二波では「一般文芸」的なものに変わっている。

 第一波の人気作品は基本的にボーカロイドキャラクターの二次創作にしろ、Pオリジナルキャラの小説にしろ、「キャラクター小説」だった。

 それらはいずれも、大塚英志が言うところの「まんが・アニメ的リアリズム」に基づいて創作された――現実の人間を写生したかのような「自然主義的リアリズム」に基づく“人物”ではなく、誇張された感情表現や振る舞い、口調を特徴とする“キャラクター”を軸に読まれる――作品群だった。

 ところが『盗作』『夜を駆ける』『あの夏が飽和する。』の登場人物たちはいずれもキャラクター然としておらず、名前も描写も物語も一般文芸的だ。装丁にしても、ライトノベル風のキャラクターイラストを表紙にしたものではない。

 楽曲の歌詞を見ると「青春の全部に君がいる/風が吹けば花が咲く」(ヨルシカ「爆弾魔」)、「僕の目に映る君は綺麗だ/明けない夜に溢れた涙も/君の笑顔に溶けていく」(YOASOBI「夜を駆ける」)、「あてもなく彷徨う/蝉の群れに/水もなくなり/揺れ出す視界に」(カンザキイオリ「あの夏が飽和する」)など、視覚的な表現や情景描写を通じての感情表現は鮮烈だ。しかしキャラクター性の表現に力は注がれていない。

 たとえば第一波の作品で言えばLast Note.『ミカグラ学園組曲』やHoneyWorks『告白予行練習』と比べてもらえば一目瞭然だ。『ミカグラ』やハニワ作品では楽曲のMVや小説では、キャラクターのかわいさの表現に心血が注がれている。

 それが第二波作品では、キャラクターから情景に焦点が移っている。

 もともとは中高生中心に読まれた「ライトノベル」から大人向けの「ライト文芸」が派生したように、第二波作品は、中高生向けの「ボカロ小説」から派生した、精神年齢がやや上向けの「ボカロ文芸」になっているのだ。

第一波と第二波に共通する過剰さ、過激さ

 ただ、相通ずる部分もある。

 第一波作品では『悪ノ娘』やカゲプロ、『終焉ノ栞』などに典型的なように、中二病的なダークな世界観、悲痛さ、エグさが描かれていた。

 『ミカグラ』やハニワ作品、『リンちゃんなう!』などはかわいさが前面に出ているが、それはそれで過剰な情報量と誇張された感情が充満していた。

 第二波作品も、『盗作』には雑貨店から母が作ったガラス細工を盗んでは破壊する少年が出てくるし、『あの夏が飽和する。』では家庭内不和、虐待、自殺、殺人が描かれ、『夜に駆ける』収録の作品は、4編あるうちの1編は「夏祭り」ネタだが、ほかは「自殺」「世界の終わり」「出て行った同居人(恋人)」とさわやかさとは縁遠いモチーフで書かれている。

 この過剰さ、過激さこそ、主流のJ-POPやアニソンのオルタナティブとして支持者を集めてきたボカロ文化固有のコードだ。

 第二波作品もこの点では第一波からの流れを継承している。

 だからヨルシカ、YOASOBI、カンザキイオリ作品は、やはり固有のジャンル性を持つ「ボカロ小説」の現在形なのだ。

■飯田一史
取材・調査・執筆業。出版社にてカルチャー誌、小説の編集者を経て独立。コンテンツビジネスや出版産業、ネット文化、最近は児童書市場や読書推進施策に関心がある。著作に『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの? マンガアプリ以降のマンガビジネス大転換時代』『ウェブ小説の衝撃』など。出版業界紙「新文化」にて「子どもの本が売れる理由 知られざるFACT」(https://www.shinbunka.co.jp/rensai/kodomonohonlog.htm)、小説誌「小説すばる」にウェブ小説時評「書を捨てよ、ウェブへ出よう」連載中。グロービスMBA。

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