Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

ぴあ

いま、最高の一本に出会える

松田聖子、小泉今日子、中森明菜…『あまちゃん』でも注目、80年代アイドルはなぜ輝いていた?

リアルサウンド

13/8/18(日) 8:00

 『山口百恵→AKB48 ア・イ・ド・ル論』(宝島社)を上梓したアイドルウォッチャー北川昌弘氏が、40年のアイドル史を振り返った上で、これからのアイドルの在り方を考察する集中連載第ニ回。

第一回「『AKB48は、もはやアイドルじゃない!』古き良き”歌謡曲アイドル”はこうして絶滅した」では、北川氏にとってのアイドルがどういった存在なのかを定義してもらった。第二回では、アイドル全盛期と言われた85~87年と、アイドル冬の時代と言われた88年~93年の間に何が起こったのかを語った。

――NHKの連続テレビ小説『あまちゃん』をきっかけに、80年代アイドルに改めて注目が集まっています。この時期のアイドルの特徴とは?

北川昌弘(以下、北川):まず、70年代後半から80年代初頭にかけて、アイドル界に大きな変化がありました。77年、キャンディーズが「普通の女の子に戻りたい」と引退宣言をした後、80年には映画もドラマもしっかりできるアイドルとして活躍していた山口百恵、奇抜なダンスと楽曲で一大センセーションを起こしたピンクレディーが相次いで引退します。そこに、松田聖子という人が見事にとって代わって現れた。今になって考えると、アイドル界がダイナミックに変化した時期でしたね。で、その松田聖子の影響下に、松本伊代、堀ちえみ、小泉今日子、中森明菜などの82年組が出てくる。誰もが”聖子ちゃんカット”を真似してデビューするのですが、面白いことに、松本や堀のような徹底した模倣者は本家を越えることができず、早い段階で方向転換した小泉や中森が後になって大成したんですよね。

 その潮流には、歌謡曲というものがベースにあり、レコードを売ることがアイドルの本業であるというスタンスがきっちりとありました。テレビに出るのもそのプロモーションの一環でした。そして、85年から87年にかけて、とんでもないアイドルブームが起こります。僕の考えでは、ホームドラマに性教育的な要素を取り入れたドラマ『毎度おさわがせします』に出演していた中山美穂の存在と、ドラマ『スケ番刑事』の大ヒット、おニャン子クラブのブレイクが一気に起こり、一大ブームになったのだと推測しています。この頃から、アイドルたちはレコードを売るのではなく、総合的なキャラクターを売るようになっていきました。

――音楽を聴く媒体も、レコードからCDへ移行している時期でした。

北川:僕の印象では、88年頃にテレビで音楽を聴くというスタイルが終わったんです。最初は、テレビよりFMの方が良い、なんて言っていた。そのうちウォークマンなんかも出てきて、好きな音楽を自分で持って、いつでもどこでも聞けるというような流れが出てきて、だんだんと「テレビで歌うのはダサい」という風潮が生まれました。

 あと、レコードからCDへの移行期の直前に僕がとても気になったのは、レコードジャケットの表面にバーコードが印刷され始めたこと。80年代くらいからバーコードが普及してきたんですが、あれを見た瞬間は「えっ!」て思いましたね。本とかはバーコードを裏にするのに、レコードは目立つところにバーコードが入っていて、ジャケットの魅力を明らかに損なっていた。ジャケットは、アイドルファンにとって大切なアイテムのひとつなのに、それに対してとても失礼なことをしていた。そういう時代の流れもあって、アイドル歌謡曲というものは崩壊していったんです。そしてアイドル歌謡曲という文化が消えていった時に、アイドルにはほとんど何もなくなっていたんですよね。

――そして冬の時代に突入したと?

北川:僕は88年から93年を「アイドル冬の時代」と定義しているんですが、その要因は歌謡曲の崩壊以外にもあります。まず、バブル景気がやってきたこと。これはよく言われていることなんですが、景気が良くなるとアイドルや癒し系の女性よりもセクシー系の女性が世に求められる傾向が強くなるのではないかと思います。つまり、可憐なアイドルは時代にそぐわなくなっていったのではないか。また、一番大きな要因は、当時の中高生に「アイドルファン、オタクだと思われたくない」という意識があったことではないでしょうか。

――というと?

北川:オタクという言葉が世間に浸透したのは80年代の後半なんですが、88年には宮崎勤が東京・埼玉連続幼女誘拐殺害事件を起こします。宮崎はオタクだという報道がなされ、オタク=危険人物というイメージが世間に広く浸透します。そういう報道を観ていた当時の中高生は、アイドルにハマることに対する心理的な抵抗が強かったのではないか。また、その時はテレビゲームとかもありましたから、アイドルにハマらなくても他に夢中になることがあったのでしょう。さまざまな要因が重なって、アイドル冬の時代が来たのだと思います。

――しかし北川さんは著書で、冬の時代ならではのアイドルについても言及していますね。

北川:僕がやっていた『NIPPONアイドル探偵団』は、とにかくテレビに出演している女性で魅力的であれば、みんなアイドルですよ、というスタンスでした。歌謡曲アイドルが終わっても、アイドル的な存在は終わっていません、と。皆さんがアイドル像を見失いかけている時に、こういう女性がアイドルですよ、とわかりやすく提示してきたんですね。若手女優やバラドルはもちろん、女子アナとかお天気おねえさんとか、AV女優とかスポーツ選手とかも、テレビに出ていればアイドルになるんです。

 また、その時は中高生が「アイドルオタクだと思われたくない」という意識を持っていましたが、逆に言えば、魅力的な女性が「私はアイドルではない」というスタンスを示していれば、比較的受け入れやすかったと思います。たとえば、ZARDの坂井泉水さんはあえてテレビには出演しない戦略を採っていて、それは大正解でした。女子アナの永井美奈子さんも、あくまで女子アナであるというスタンスを崩していませんでしたから、抵抗なく好きだと言えました。子役で大ブレイクした安達祐実も同様。つまり、冬の時代でもアイドル的な存在はずっと居続けたんですよね。

――では、冬の時代が終了したきっかけとは。

北川:94年、当時16歳のグラビアアイドル雛形あきこの登場が大きかったと思います。あの瞬間、中高生がみんな彼女に振り返りましたから。飯島直子さんがジョージアのCMに出て、癒し系として社会人の心を掴んだのも94年。そして96年には広末涼子さんがポケベルのCMで中高生の心を掴み、さらには97年には優香が出てきて、中高生から社会人まで心を掴み、グラドルと癒し系の二階級制覇みたいな離れ業をやってのけました。

 一方、88年にアイドル歌謡は滅びましたが、アイドルたちは”アーティスト”と冠することで、90年代の音楽業界を生き抜いていきます。小室哲哉さんがプロデュースした篠原涼子さんや華原朋美さんあたりはその典型でしょう。重要なのは、小室さんはテレビで音楽を”聴かせる”のではなく”見せる”ことに力を入れていたこと。従来のアイドル歌謡曲とは決定的に違います。そしてそんな中から、モーニング娘。が生まれてくるんです。
(取材・文=編集部)
後編「今のアイドルファンは服装が小奇麗で…」オタク第一世代が語る、現シーンへの戸惑いと期待に続く

アプリで読む