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稲葉友の「話はかわるけど」

100回×エッセイ×振り返る【前編】

毎週連載

第100回

連載を始める前はエッセイを書いたことはおろか、ろくに読んだこともなかったという稲葉さん。しかしあっという間に「話はかわるけど・連載100回突破」を達成! その思いを語ります。

この連載が100回続けられたら面白いなという話をたまにしていたけど、現実になりました。読んでくださる皆様、そして一緒にこのエッセイを作ってくださっているチームの皆様あってのこと、感謝しております。ありがとうとおめでとうの100回目。

こうして明確なバックナンバーが残るものを100週間続けたのは初めてなのでなんだかんだ嬉しくはある。毎週何をそんなに書くことがあるのかと自分でも思う。結局、いくらでも書くことはあるのだ。

日常の中での発見や思いを文字に落とし込む作業を通じて自分の内面を知れたように思う。こんなことを考えているだとか、こんなことが気になるんだとか、過去に言われたあの言葉が意外と残っているんだとか、自分で自分に驚く。

「話はかわるけど」というタイトルは元々個人でやっているトークイベントのタイトルから引用したものだが、連載を続けていく中で「話は変わってるのだろうか」という自問自答もよくしている。違う話をしているようで毎回言っていることはあまり変わらないような気もする。

周りには「こんなことをやっています」という話の流れで、ラジオやエッセイの話をすることがある。そうすると「エッセイってどんな?」と聞かれるのだが、正直答えに戸惑う。「自分の思ったことをひたすらに書いている」と答えてはいるが、それだけではないとも言える感覚があるので実際なんとも言えないのだ。

エッセイを書いている中でエッセイとは何なんだろうかと考えるようになった。人のエッセイを読んだことがなかったが今はたまに読むようになった。オードリーの若林さんやハライチの岩井さんなど、芸人さんのエッセイは本当に面白いし、文章力が高く構成も素晴らしい。僕はこの方たちのようなエッセイは書けないと思い知らされるが、エッセイは書き物の中で日記の次に自由度が高い気がするので、自分だからこそ書けることを書くことに意味があると思いながら続けてきた。

それでも自分のエッセイは「読んでて楽しんでもらえているのだろうか」とたびたび考えてしまう。連載初期には「こういうことがやりたい」という目的があったけど、今は先に何があるか分からないけど、続けてみようということで続けている。それが100回にたどり着いたという形。

言葉が並んで文章のようなものにはなっているけど実体がないようにも思える。自分は不気味なものを書いているなとたまに思う。書いている途中でどんどんと違うことを思いついてしまうから、そこから話題が紐づいたり思いつきで修正したり方向性を変えたりしで構築されている。だから「話はかわるけど」というタイトルからは、そんなに外れてはいないのか。

毎週連載のエッセイは物語と違ってゴールがない。〆切は中継地点で、またすぐに次の〆切がやって来る。自分の中でルーティンもできたし、ここまでの道のりの中では「ネタない」と思ったこともある。でもこのエッセイがなくなったら少し寂しいかもしれない。辞めたら、整理がつかなくなる部分が多く出てきそう。ほぼライフワークになってきているのだと思う。

最初は話したままを書いていただけの文章もどんどん変化していき、今は当初より書き言葉に寄せている。初回から読んでいくとそのグラデーションが分かってくすぐったくなる。わかりやすく影響されてしまうタイプだし、明確に自分から文章を出しているから、読んでいる人にも出来るだけ好きに見て好きに感じて欲しい。

ただどこかで読む人を傷つけないようにしたいという思いもある。そういえば人を傷つけるリスクみたいな話もしたようなしなかったような。誰も傷まないように、心に針として刺さらないようにというラインは引いている。これが人に対しての優しさなのか自分に対しての優しさなのかは分からない。多分僕は「傷ついた」というコメントを見て、自分が傷ついてしまう。傷つけてしまったという傷を負うというか。このループは避けたいのだ。

でも傷つけないようにするということは、毒がないということと同義ではない。僕からにじみ出るような毒は出続けてるし、もっと爽やかで軽快なエッセイを書けるものなら書いてみたいが、僕はそれを書くことは出来ない。僕自身が書いている以上、どうしても、ひねくれてしまう。そしてこんなひねくれたエッセイを読んでいる人もきっとひねくれている。と、ひねくれた僕は思う。

少しひねくれた表現というのが昔から好きで、真っ直ぐストレートな表現に焦がれたり魅力を感じることもあるけど、どこかで穿ってたり斜めな目線が好みなのだ。素敵だと思う人が書いているエッセイもやっぱりどこか真っ直ぐ斜めな印象を受ける。

だから今このエッセイを読んでいるあなたも多少は斜めなんだと思う。しかし、斜めな目線は真っ直ぐよりもきっと優しい。斜めは矢印の先の尖った部分を当ててこない、「↗︎」これを先端からは当ててこない。真っ直ぐは刺さると感動も感銘も傷も痛みも真っ直ぐに入ってくる。時に残酷になりえて、僕自身には少し怖かったりする。

真っ直ぐに言葉を伝えるのは勇気があって格好良くて称賛されるべきものだけど、そればかりを受け止められない人もいる。ピュアでいることは簡単じゃない。心の底から出る削ぎ落されたキレイな言葉は良い言葉だし響くけど、だからこそ危なっかしい。発する側も受け取る側も、大きなエネルギーが必要。主人公の気分で発信して、主人公の気分で受け取るという暗黙の了解がないと成立しないというか、なんというか。ムズイな。

そんな基本斜めな僕が僕自身として真っ直ぐに届けようとすると大変な労力が必要だし驚きのピュアさでいかないと発信できない。だからこそ真っ直ぐとピュアの偉大さを強く強く感じる。

こんな具合に話はかわるけど、こうして自分の中に散らばった思考を日々まとめていると整理された引き出しと心の琴線が増えるので助かっていたりする。ので、話はかわるけど、お付き合いください。

次回の更新は12月9日(水)、続けることについての話は思わぬ方向へ…? お楽しみに!

プロフィール

稲葉友(いなばゆう)

1993年1月12日生まれ、神奈川県出身。
2010年、ドラマ『クローン ベイビー』(TBS)で俳優デビュー後、ドラマ、映画、舞台と幅広く活動。
主な出演作に、ドラマ『仮面ライダードライブ』(‘14~’15 EX)、『MARS~ただ、君を愛してる~』(’16 NTV)、『ひぐらしのなく頃に』(’16 BSスカパー!)、『レンタル救世主』(’16 NTV)、『将棋めし』(’17 CX)、映画『ワンダフルワールドエンド』(’15)、『HiGH&LOW』シリーズ、『N.Y.マックスマン』(’18)、『私の人生なのに』(’18)、舞台『すべての四月のために』(’17)、映画『春待つ僕ら』(’19)『この道』(’19)など。
J-WAVE『ALL GOOD FRIDAY』(毎週金曜11:30~16:00生放送)ではレギュラーパーソナリティ―を務める。

撮影/高橋那月、取材/藤坂美樹、構成/中尾巴、ヘアメイク/速水昭仁、スタイリング/添田和宏
衣装協力/コート¥72,000/クルニ
カーディガン¥12,000/エバース
オールインワン¥6,300/キャスパージョン(すべてシアン PR TEL:03-6662-5525)
ソックス(3足セット)¥2,500、スニーカー¥9,000/ともにヴァンズ(ヴァンズ ジャパン TEL:03-3476-5624)
その他スタイリスト私物
※すべて税抜き価格

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