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中川右介のきのうのエンタメ、あしたの古典

大林宣彦監督追悼『時をかける少女』、あのエンドロールはどう放送されたか

毎月連載

第23回

20/5/12(火)

『時をかける少女〈1983年〉』 ポスター

4月10日、大林宣彦監督が亡くなった。

その数日後から、晩年に制作されたドキュメンタリー番組がいくつも再放送された。しかし、地上波で追悼番組として放映された大林映画は、『時をかける少女』(1983)と『ねらわれた学園』(1981)の2作だけだった(4月27日現在)。

2作とも何十回も観ているし、DVDになっているし、ネット配信もされているので、これからも観ようとも思えばいつでも観れるのだが、4月18日13時30分からの日本テレビの『時をかける少女』を観てしまった。

この映画は、「4月16日土曜日」の放課後から始まり、「18日月曜日」に、大きな展開をする。曜日は違うが、放映日と同じだった。天に意思があったかのような偶然だ。

放映時間は2時間枠だった。この映画の上映時間は104分なので、差は16分。民放なのでコマーシャルが入るとしても、どうにかカットせずに収まりそうな時間である。

映画の終わりが近づくと、私は、エンドロールを流すのかどうか気になってきた。どちらでもいいのだが、今日はエンドロールなしのほうがいいのではないかとも思っていた。

そして、あの有名なエンドロールは流れなかった。

その直後からTwitterでは、エンドロールを流さないことへの不満や抗議が、炎上というほどではないにしろ、流れていた。

日本テレビの担当者がどういう意図でエンドロールをカットしたのかは分からない。深い意図があったのか、単に時間の問題だったのか。

ひとつ言えるのは、かつてこの映画がテレビで放映された際に、大林宣彦監督が自ら、エンドロールなしの版を作ったことがある、ということだ。今回は、その前例にならった、のかもしれない。

広く知られているように、『時をかける少女』は、物語が終わった後、いったん暗くなる。これで終わりかと思うと、主題歌の前奏が始まる。スクリーンには映画の冒頭のシーン、原田知世が理科実験室で倒れているシーンが映る。

エンドロールで、映画本編のシーンをつないで流すのはよくある。これもそのパターンかと思っていると、横たわっていた原田知世は立ち上がり、主題歌『時をかける少女』を歌い始める。その後、次々と映画のなかでの時間軸とは関係なく、さまざまなシーンが映り、原田知世が歌う。

間奏では、NGとなったカットが流れる。

これは最初から、こうしようと決めておかなければ撮れないはずだ。それぞれのシーンを撮ったあと、本編とは別に原田知世が歌うのを撮っていたわけで、かなり手間がかかっているのである。

そして手間をかけただけのことはあり、このエンドロールは、もし、「好きなエンドロール」のアンケートをとれば、上位にくることは間違いないくらい、人気がある。3分ほどの間に、この映画の魅力が凝縮されていると言ってもいい。それをカットしてしまったのだから、Twitterに怒りの声が溢れるのも無理はない。

エンドロールなしは、ある意味でのディレクターズ・カットでもある

中川右介著『角川映画 1976-1986[増補版]』(KADOKAWA刊)

『時をかける少女』が最初にテレビで放映されたのは、公開から1年後の1984年10月10日、TBSの「月曜ロードショー」の枠だった。このときは通常より長い放送時間が確保され、エンドロールも放映されたが、翌1985年9月9日に同じ「月曜ロードショー」で放映されたときは、エンドロールがカットされた。

カットしたのは、他ならぬ大林宣彦である。

つまり、エンドロールなしでの放送は、過去に大林が認めたものでもあるのだ。

拙著『角川映画 1976-1986』(角川文庫)の単行本が出たとき、大林宣彦監督にトークイベントに出ていただいたのだが、そのときに、「あのエンドロールは映画館へ来てくれたひとへのサービス。だから、テレビではカットしたんです」という趣旨の発言があった。

エンドロールなしは、ある意味でのディレクターズ・カットでもあるのだ。

大林はこの後、角川映画『彼のオートバイ、彼女の島』(1986)を撮ったが、この映画では、完成した後、二本立てのもう一本が長くなってしまったので「15分短くしてくれ」と言われた。

そのとき、最初にカットしたのは、撮影が困難で苦労し、しかし会心の出来となったシーンだったという。

『大林宣彦の体験的仕事論』(PHP新書)でこう語っている。

「そこを捨ててしまえば、あとはどこでも捨てられます。そうやって、15分短くしたら、傑作になりましたね」

そして、ミロのヴィーナスも腕がないから名作でしょう、と。

そんなことを堂々と言う大林だから、会心の出来のエンドロールをカットしてしまうことは、なんともないはずだ。

もっとも、クリエイターの言うことは真に受けてはいけないというのも真実で、「短くしろ」と言われ自棄になって、いいシーンをカットしたのかもしれないが、もはや真実は分からない。

大林宣彦語り、中川右介構成『大林宣彦の体験的仕事論 人生を豊かに生き抜くための哲学と技術』(PHP研究所刊)

『時をかける少女』のエンドロールは、原田知世のドキュメンタリー映像でもある

ある時期まで、日本映画もハリウッド映画も、キャストやスタッフの名は映画の冒頭に流れ、物語が終わると、「終」「完」あるいは「The End」と出て、それで終わりだった。

何分もエンドロールが流れるようになるのは、1970年代半ば、『スター・ウォーズ』(1977)からとの説があり、それは検証すべきテーマだが、ここでは深入りしない。

ようするに、大林宣彦が少年時代から観てきた映画とは、物語が終われば「終」と文字が出て終わるものだった。

しかし時代の変化で、映画には長いエンドロールが必要となった。とくに角川映画は、主題歌もヒットさせる戦略だったので、エンドロールで主題歌を流すという「お約束」があった。

せっかく、ラストシーンで感動的に終わったのに、その後にエンドロールが延々と続くのは、蛇足である。しかし蛇足と承知で作らなければならない。さて、どうするか。

大林宣彦はテレビコマーシャルの巨匠でもあった。そのCFは独特のもので、最初に見たときは何のコマーシャルなのか最後まで分からない。いわば、30秒の短編映画として作られていた。

「CFでは最後の5秒だけ製品紹介をするが、残りの25秒は僕の個人映画として作っていた」と語っている。

この手法を、『時をかける少女』に導入したのだと思う。104分の映画の最後の3分だけを、原田知世と主題歌のプロモーションフィルムとしたのだ。

映画の本編は、原田知世扮する大人になった芳山和子が、廊下を歩いて画面の奥へ去っていくシーンで終わる。ラストシーンで人物が背中を向けて去っていくのは、あまりにも古典的なアンハッピーエンドだ。『時をかける少女』は、それを正攻法でやり、当時としては逆に新鮮だった。

その余韻の後、スクリーンに映るのは、芳山和子ではない。大林の「カット、オーケー」という声で、芳山和子から原田知世に戻った、素の「原田知世」だ。

エンドロールは主題歌のプロモーション映像であると同時に、原田知世という映画女優が誕生する過程を記録したドキュメンタリー映像でもあるのだ。

エンドロールのラストは、山道を歩いている原田がカメラへ向かって走ってきて、カメラのレンズを(つまりは、その横にいる監督を)見つめて、はにかんだ笑顔をして、終わる。

それは、芳山和子としてではなく、原田知世としての笑顔だ。

アンハッピーエンドだった映画は、エンドロールで見る者に幸福感を与えてハッピーエンドとなり、映画館を出るときは誰もが「とーきをかける少女」と口ずさんだ。

4月18日の放映は、追悼としてのものだった。エンドロール付きの幸福感に満ちた終わり方でもよかったとは思うが、芳山和子が廊下を歩いていく後ろ姿で終わってくれたほうが、少なくとも、私自身のあの日の気分には合っていた。

そう、大林自身が語ったように、エンドロールなしの『時をかける少女』は、ミロのヴィーナスなのだ。

それにしても、エンドロールの有無で、これほど印象の変わる映画も珍しい。

作品紹介

『時をかける少女』(1983年・日本)

配給:角川春樹事務所
監督:大林宣彦
原作:筒井康隆
出演:原田知世/高柳良一/尾美としのり

『角川映画 1976-1986[増補版]』

発売日:2016年2月25日
著者:中川右介著
KADOKAWA刊

『大林宣彦の体験的仕事論 人生を豊かに生き抜くための哲学と技術』

発売日:2015年7月15日
語り:大林宣彦
構成:中川右介
PHP研究所刊

プロフィール

中川右介(なかがわ・ゆうすけ)

1960年東京生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、出版社アルファベータを創立。クラシック、映画、文学者の評伝を出版。現在は文筆業。映画、歌舞伎、ポップスに関する著書多数。近著に『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)など。

『手塚治虫とトキワ荘』
発売日:2019年5月24日
著者:中川右介
集英社刊

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