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黒沢清、10人の映画監督を語る

小津安二郎

全11回

第4回

18/8/11(土)

小津の個性は小津だけのもの

 僕がここであえて小津を語るのも今さらなんですが、最初に名前を覚えたのは、高校生の頃に映画に対する知識を色々取り入れたいと思っていた頃に読んだ本です。おそらく新書で出ていた佐藤忠男さんの『ヌーベルバーグ以後 自由をめざす映画』(中公新書)か岩崎昶さんの『映画の理論』(岩波新書)でしょうか。当時の映画青年のご多分に漏れず、僕もそういった書籍を読んだりした中で、小津安二郎や溝口健二という人がいたんだと知って、教養として観なきゃなと思っていました。

 ただ、当時は小津の映画は二番館でやっているシロモノでもありませんし、東京のフィルムセンターに行くか、図書館での上映とか、ある種の教養として観せる催しがたまたまないかぎりは、観られなかったですね。だから最初に観たのが高校生の時か浪人の時かはっきりしないんですが、夏休みに映画を観る目的で東京へ来ていた時に『淑女と髭』だったかな? フィルムセンターで観たのを覚えています。『大学は出たけれど』や『生まれてはみたけれど』も、その頃観ました。まず普通によくできた映画であることに驚きましたが、ただ、その時はサイレント映画にも面白いものがあるんだなという程度で、いかんせん古臭いし、熱狂的にはなりませんでした。

 それが大学に入ってからは、あからさまに蓮實(重彦)さんの影響を受けます。授業で蓮實さんは、何かにつけ小津はすごいとおっしゃってました。それは多分、当時黒澤明があまりにも日本を代表する大監督だと言われすぎていたことへの異議申し立てもあったのでしょう。すっかりそれに影響され、いつか小津をやっていたら観に行かなきゃと思っていたら、フィルムセンターで満を持して小津特集が始まりました。あれは本当にすごかったです。全部ではないんですが、大概のものは観ることができました。初日は普通に入れたのが、2日目は時間通りに行っても入れないんですよ、長蛇の列で。噂が噂を呼んで若者が押しかけて、数時間前に行かないと入れない。目の前でみるみる小津がブームになっていくのが分かりました。しかもみんな若者ですよ。この時、初めて後期というか、晩年というか、典型的な小津作品を立て続けに1日3本ぐらいやっていて観たんですが、うわっ、すごいとびっくり仰天でしたね。

 僕はその後、8ミリで撮った『しがらみ学園』で、小津そっくりに切り返していくというのをやったんですが、撮っていて怖くなりました。以前お話したアンゲロプロスと違って、撮る側にはひとつも良いことがないというか。周防(正行)さんは、『変態家族 兄貴の嫁さん』で徹底して小津をやっていて見事だと思いましたけど、おそらく周防さんも一回やって思い知ったと思います。小津みたいにやろうとすると、単に小津の真似をしているというだけになるんです。アンゲロプロスだと、長回し、1シーン1カットとか別な文脈で、映画の演出法の技法として様々な応用が効くんですが、小津は単に小津風になるだけ。あれは怖いですね。

 是枝裕和監督の『万引き家族』も、他はそんなに小津っぽくないんですけど、安藤サクラが洗濯屋の同僚に「あんたこれバラしたら殺すわよ」とか言って路上で向き合って喋るところがほとんど小津になっていました。是枝さんも、急にここでこんなことをやりたいという抑えがたい欲望に駆られたんでしょうね。僕も今でも、ふと気づくとやってしまうことがあります。やっている時はそれが小津だとはあまり思わないんです。俳優にほとんど顔を動かさずカメラのレンズギリギリのところを見ながら喋ってもらって切り返していくというだけなんですが、撮っている時はある種の技法に感じるんですが、編集して繋ぐと単に小津になるんですよ。ある種の個性は、本当に応用の利く技法になるんですけど、そうじゃない個性はもうその人だけのもので全く応用が利かない。小津はその典型ですね。

小津のどこが日本的で、どこがミニマリズムなんだ

 僕が商業映画の現場に行くようになってからは、どちらかというと日活系だったので、小津と関係したスタッフとの接点はありませんでした。関西テレビの仕事で、宝塚映像という、かつては東宝宝塚撮影所だったところへ行った時、『小早川家の秋』の編集助手だった方が編集の担当でした。ちなみにもう10年近く前ですが、僕が『一九〇五』という映画で京都の松竹撮影所にセットを建てようとして――そこまでやっていて結果ダメになったんですが――その時、松竹撮影所で大道具をやっている人で、もう80いくつの方がいました。その方は美術助手として溝口の『雨月物語』についたと言っていて、びっくりしたこともありました。

 それにしても、いつの間にか小津が日本だけではなく、世界的な巨匠の1人になってしまって、『東京物語』が世界中の映画ベストテンの上位に入るようになりましたね。たぶん、70年代後半のある時期から突然ですよね。とっくに死んでしまった人が、死んでからずいぶん経ってここまで評価されるっていうのは大変珍しいと思います。ただ、超過激なドギツい個性であることは間違いないので、これが映画のお手本みたいに思われると……。小津がここまでポピュラーなものになってしまって、これぞ日本的とかミニマリズムとか言われると、ついムッとして小津のどこが日本的で、どこがミニマリズムなんだって噛みつきたくなるんです。

 『晩春』を一番わかりやすい例でよくあげるんですが、ものすごくあざといというか、全然ミニマリズムじゃない映画なんですよね、実際は。まず東京で撮ったように言われることがあるんですけど、東京でほとんど撮ってない。鎌倉と京都なんですよね。わかりやすい観光地ばかりで。少しだけ出てくる東京のオフィス街も全部セットだと思うし、鎌倉と京都は絵に描いたような日本的なところがあるんですが、原節子の友達の月丘夢路の家は露骨な西洋館なんです。コカコーラの看板があったり、古風な日本とアメリカンなものを合体させたような、けばけばしい映画なんですよ。白黒だからちょっと落ち着いて観えますが、もしカラーで『晩春』を撮っていたら、ほとんどフェリーニに近いものに見えたと思います。それを狙ったんですね。実は小津って思い切ったことをけっこうやっているんです。

 淡々とした家族の日常が描写されるミニマリズムの中で、そこはかとない感動があるものが、世界の良質な映画の定番みたいに言われると、そういう映画もなくはないですが、映画ってそういうものばかりじゃないし、それが小津から来ているとか言われると、小津は全くそうじゃないって言いたいですね。それぐらい小津は強烈です。

(取材・構成:モルモット吉田/写真撮影:池村隆司)

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