Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

第164回芥川賞は誰が受賞する? 書評家・倉本さおりが予想

リアルサウンド

21/1/20(水) 6:00

 第164回目の芥川龍之介賞(以下、芥川賞)の候補作が12月18日に発表された。2020年6月から11月までに発表された作品が対象となる下半期の選考。

今回候補作として選ばれたのは

・宇佐見りん『推し、燃ゆ』(文藝 秋季号)
・尾崎世界観「母影(おもかげ)」(新潮12月号)
・木崎みつ子「コンジュジ」(すばる11月号)
・砂川文次「小隊」(文學界9月号)
・乗代雄介「旅する練習」(群像12月号)

の5作品。いわゆる「五大文芸誌」とも呼ばれる純文学を掲載する文芸誌5誌からバランスよく1作品ずつがノミネートされた形だ。選考委員は、小川洋子・奥泉光・川上弘美・島田雅彦・平野啓一郎・堀江敏幸・松浦寿輝・山田詠美・吉田修一の9名。2021年1月20日の選考会で、受賞作が発表される。

 書評家の倉本さおり氏は、近年の芥川賞候補の選出の傾向を以下のように語る。

「2010年代の芥川賞は30代~40代の、もはや中堅と呼ばれていてもおかしくなさそうな顔ぶれが集まることが多かった印象ですが、ここ数年はばらつきがあり、“新人”のイメージが強い書き手の選出が目立ちます。例えば今回でいえば、宇佐見さん、木崎さん、砂川さんの3名が90年代生まれ。同日に発表された直木賞は、全員が初ノミネート作家です。これは単純に話題性で選んでいるということではなく、同時代の感覚を切り出せるような作家が求められている結果なんじゃないかと思います」

 中でも宇佐見りんは、1999年生まれの新鋭。『かか』で文藝賞を受賞しデビューし、同作で史上最年少となる21歳で第33回三島由紀夫賞も受賞した注目の作家だ。今回芥川賞にノミネートされた『推し、燃ゆ』は、とある男性アイドルを推すことにすべてを捧げている高校生の少女が主人公の一人称小説。ある日、その“推し”がSNSで炎上してしまい、主人公の生活にも避けがたい変化が訪れるというストーリーだ。

「『推し、燃ゆ』という作品のポイントは、アイドルやSNSといったモチーフを、いかにも現代的な小説のギミックとして表面的に捉えてしまうと取りこぼしてしまう部分です。この語り手は、世間一般のいう“普通”の生活がうまく営めない。病院で診断名ももらっているものの、現実的にはセーフティーネットからこぼれ落ちているような状態。作中、自分の体を〈鈍く重たい肉〉と表現するのですが、その肉を動かすための唯一の手段が、推しに自分の時間を全て預けることなんですよね。いうなれば“人並み”に動くための痛々しい自己選択。ものすごいスピードで生きていかなければいけない現代人の悲鳴みたいなものが聞こえてくる気がしました。冒頭〈「(学校に)来ててえらい」〉という友人の言葉を〈「生きててえらい」〉と聞き違える場面は静かな凄みがあります。特殊な文体を採用していた前作『かか』と異なり、文章そのものは普段小説を読まない人にも非常に読みやすい部類なのですが、描かれている情景の密度はみっちりと濃い。はっとさせられるような表現も頻出するのでぜひ実際に読んでもらいたいです」

 同じように“今”を切り取って描いた作品が砂川文次の「小隊」だと倉本氏は続ける。砂川文次は元自衛隊員という経歴を持ち、文學界新人賞を受賞したデビュー作「市街戦」をはじめ、これまでもさまざまな形で戦争をモチーフにした小説を書いてきた作家だ。

「砂川さんは、『戦場のレビヤタン』という作品でも(第160回)芥川賞の候補にあがったことがあるのですが、この作品は海外の戦地に傭兵として派遣された男が主人公の話。力作でしたが、現在進行形の戦地で生きている海外作家の作品が翻訳されているなか、分が悪い勝負を迫られた形で、彼の本質まで見出されず受賞には至らなかった。一方、今回の『小隊』では、現代の日本であり得るかもしれない戦争、情報過剰社会の行き着く果てで、ただただ押し出されるように起きてしまう戦争を描いていて、非常にリアリティのある作品です。特に人が肉片と化す場面、人の身体とモノが等価になるその瞬間を鮮烈に描写したくだりは圧巻の読み応えがありました。

 実は砂川さんは、『臆病な都市』という、コロナ禍を予見したような小説も昨年発表しているんです。ウイルスがあるかもしれないという不安に自らはまり込むように人びとが疲れてゆき、むしろコントロールされることを望んでしまうようになる姿を描いた作品で、これもまた爛熟した情報社会を生きる人びとの現実を浮き彫りにしていました。新人のなかでも砂川さんや宇佐見さんの作品は、いまの若い世代を取り巻く言葉の在り方や現実との距離感から社会の構造を鮮やかに浮かび上がらせる力があると言えます」

 砂川文次と同年生まれの木崎みつ子は、第44回すばる文学賞を受賞したデビュー作「コンジュジ」でのノミネートとなった。

「『コンジュジ』は、母親が出奔したあと、実の父親から性的に搾取されることになる少女が主人公。昏く重たいテーマですが、つかのま母親代わりとなる自称・ブラジル人女性の強烈な登場シーンや、微妙に謎の残る彼女の手料理など、小説ならではのユーモアを手放さない点がいい。モチーフとなっている出来事のおぞましさに単一的にひきずられることのない筆致に、書き手としての芯の強さを感じます。例えば作中、決定的な性暴力の場面が敢えて空白のまま綴られていく。その苛烈な記憶からわざと視点を外すように、主人公が傾倒するミュージシャンの評伝がたびたび引用されるうち、現実と妄想が混ざり合いながら並走していくという複層的な構造がすばらしい。この作中評伝の出来といい、事実の重さを空白の大きさによって描き出す手腕といい、デビュー作にして力は充分。ただ、妄想のいびつな安直さが物語の勘所なのに、“地味な主人公をバカにしてくる派手な女”のような、いかにもわかりやすい場面を現実の職場に安易に登場させてしまった点はちょっともったいないなと。“もう一作見てからにしましょう”という、芥川賞におなじみの流れで今作での授賞は見送られるパターンに落ち着くのではないかと思っています」

 候補作発表の際、注目の的となったのは、ミュージシャンでもある尾崎世界観だ。尾崎は、2016年に半自伝的な小説『祐介』でデビューして以来、コンスタントに作品を発表している。今回ノミネートされた「母影」は小学生の娘の視点から、性的なマッサージを非合法に提供して生計を立てているシングルマザーの母親の姿を描いた小説。

「奇妙なですます調で稚拙な悪意をぶつけてくる同級生の男子の姿といい、その男子から肩に執拗にグーパンチされて〈嫌いな気持ちが熱いって知った〉という一文といい、感覚の鋭さが光る箇所がたくさんある。給食の杏仁豆腐の上に可愛がっていたハムスターの糞を載せられているのを見つめて、〈ウンコだからちゃんとかわいがってあげれなくて、私はちょっと悲しくなった〉っていう場面なんて最高ですよ(笑)。尾崎さんは人の心の襞を写しとるのが上手い。他の人に見えていない風景、あるいは、そこにあるはずなのに通り過ぎてしまう瞬間や場面を拾いあげることができる稀有な書き手のひとりです。ゆくゆくは芥川賞や三島賞あたりにもノミネートされる日が来るだろうと思っていましたが、今作に関していえば、文体が仇となってしまっているような気がします。語り手の少女がまだ書けない漢字を敢えて排して文章を綴ることで、子供の視点から見た世界にリアリティを与えようとしているのですが、大人たちの台詞は通常のように漢字で表記されるため、誰の視野なのか統一されずところどころ違和感が拭えない。いうなれば“子供を装った”文体のように見えてしまう懸念がある。そうした作為の匂いを嫌う選考委員は多いので、受賞自体は難しいんじゃないかと。とはいえ、子供には大人たちの行為の全容がわからないからこそ、カーテンにぼんやり映る影にかすかな希望と祈りを投影してしまうさまは非常に読ませる。強く心を揺さぶられる読者も多いと思います」

 前回に引き続いて2度目のノミネートになったのは、乗代雄介。コロナ禍の春休み期間中、姪っ子のサッカー少女が、出来心で持ち帰ってしまった合宿所の本を返すため、サッカーの練習をしながら鹿島まで歩いて目指す。その道程を小説家の叔父の視点で描いたロードノベルだ。

「『旅する練習』に関してはネタバレしないように説明するのが難しいのですが、“誰のために/何のために書くのか?”という問いを、乗代さんならではの職人芸で小説として昇華させた、非常に感動的な作品でした。とにかく二人の掛け合いが面白いし、そこから浮かび上がる姪っ子・亜美のキャラクターがたまらなく魅力的でぐいぐい読ませる。そうやって読み進めた時間そのものが、結末で別の意味を持つことになるという。我孫子から鹿島までの旅の景色を目で追うだけでも愉しいのに、サッカーの描写がまた秀逸で。とくにアントラーズファンには嬉しいエピソードが満載だし、『おジャ魔女どれみ』ファンも涙なしに読めない(笑)。あらゆる読者にとって幸福な体験をもたらす小説だと思います。ゆえにいちおう懸念を挙げるとすれば、書くという行為をめぐる“忍耐”がテーマなのに、終盤堪え切れずにじゃんじゃん泣かせにかかってきてしまう点でしょうか。

 とはいえ小川洋子さんなどはすでに前作でのノミネート時に実力を評価していますし、近年の芥川賞選考はある意味“良心的”で、その候補者が前作で指摘された課題を乗り越えた際にちゃんと評価する傾向がある。女性を語り手にした乗代さんの前回の候補作『最高の任務』は痴漢撃退の場面で物議を醸しましたが、男性視点で描かれる今作にそういう危うさはなく、ジェンダーバイアスのありようにも気を配った、隙の少ない作品に仕上がっていると思います」

 では今回の芥川賞の本命は乗代氏ということだろうか。倉本氏は「単独授賞ならその可能性は高い」としつつ、「二作授賞」の可能性にも言及する。

「今回は非常に良い作品が集まったので、むしろ二作授賞の可能性のほうが高いんじゃないかと。その場合、本命は宇佐見さんと、乗代さんないし砂川さんですね。前述のとおり、宇佐見さんと砂川さんの小説には、今の若い世代特有の息苦しさや切実さが見事に言語化されています。ちなみに前回受賞したのは遠野遥さんの『破局』。山田詠美さんから“ほとんどゾンビ化している人間たちによる群像劇”とも評されたあの作品から、現代人の切実な心情を読み取った選考委員には、宇佐見さんと砂川さんの作品も響いてるかもしれません。その一方、例えば島田雅彦さんなんかは『破局』を“不愉快な読後感”という言葉で評しています。

 ここで思い出すのは古市憲寿さんが候補に挙がったときのこと。選考委員からかなり厳しい言葉を向けられた古市さんが描く主人公も、“情報社会に過剰適応しちゃった人”であることが多い。選考委員が表象的な部分やキャラクター性だけではなく、そうならざるを得なかった若者の切迫感を読み取って審査するか否かが評価の分かれ目のように思います」

新着エッセイ

新着クリエイター人生

水先案内

アプリで読む