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脚本・北川悦吏子が明かす、『半分、青い。』執筆の苦悩と喜び 「才能を毎日試されているようでした」

リアルサウンド

18/9/29(土) 6:00

 4月2日からスタートしたNHK連続テレビ小説『半分、青い。』が9月29日に最終回を迎える。主人公・鈴愛(永野芽郁)の半生を追いかけながら、幼なじみの律(佐藤健)をはじめ、たくさんの愛すべきキャラクターたちが描かれてきた本作。“これまでにない朝ドラ”として、この半年間、多くの視聴者の心を揺さぶり続けてきた。

 リアルサウンド映画部では、全156回の脚本を執筆した脚本家・北川悦吏子にインタビュー。初めて挑戦した朝ドラの苦悩と喜び、物語を体現した出演者たちへの思いなど、じっくりと語ってもらった。

参考:『半分、青い。』はなぜ新しい朝ドラとなったのか インタビュー&コラムからその軌跡を振り返る

●15分×156回をどう見せきるか

ーー初の朝ドラとなりましたが、書き終えた後の率直な感想からお話いただけますか。

北川悦吏子(以下、北川):今は『あしたのジョー』の矢吹丈のように、「まっ白な灰に…」という気分です。本当に魂が抜かれてしまった感じで(笑)。朝ドラは経験された脚本家の先輩の方々から「もっともつらい」と漏れ伝え聞いてはいたのですが……。身体の弱い私が「やりたい!」という気持ちだけで突入してしまったんだなと、書き始めてから気付きました。本作を書き上げることができたというのは奇跡だったなと今は思います。15分×156回という朝ドラの枠組みは、1時間の連続ドラマ、およそ2時間の映画とはまったく違います。1年半をかけて執筆に取り組みながら、自分自身どんどん新しい技を編み出していく楽しさもありました。

ーー北川さん渾身の“新しい技”を挙げるとすれば?

北川:渾身のアイデアとしては、岐阜犬の存在かもしれません。岐阜犬を通して和子さん(原田知世)と律が最後の会話をするのは、最初に考えていたものではないんです。鈴愛が最終的な発明を行う前の、最初の一歩として岐阜犬を思いつきました。亡くなった仙吉さん(中村雅俊)の最後の言葉をどう花野(山崎莉里那)から聞き出すか。花野と一緒に仙吉の言葉を聞いていたのがココンタ(花野が持っているぬいぐるみ)であり、そこに岐阜犬をなんとか結びつけようと。一方で、和子さんが死に向かっていくストーリーもある。そのときに、岐阜犬の声を担当する和子さんと、律の最後の会話ができるんじゃないかと思いつき、興奮したのを覚えています。15分をどう見せきるかというのは、書いている途中で何が思い浮かぶかが勝負なんです。あらかじめ計算は仕切れない。計算してしまうと、つまらない。15分の中で、話の中心となる人物を突然変えてみる手法もありました。具体的に言うと、仙吉さんが草太(上村海成)と「真夏の果実」を歌うシーンがある回です。メインのストーリーは、晴さん(松雪泰子)が秋風ハウスにいる鈴愛の元を訪れてマア君(中村倫也)との恋話を聞く、というものでした。晴さんがいない、ならば楡野家には女性がいなくなって男性しかいなくなる、じゃあここで仙吉さんから草太に何かを伝える描写ができないか、とその回を書いている途中に思いついたんです。

ーー全156話、どう見せきるかを考えるのは本当に大変なことだと感じます。

北川:1話につき、当てられる時間が3日しかないんです。こういったアイデアが自然に湧いてこなかったら私はどうなるんだろうと、1日目、2日目に追い詰められて……。漫画のネームが描けなくなった鈴愛が、甘い物を食べるだけ食べてアイデアをひねり出そうとするシーンがありましたが、私も同じようなことをやったんです。そうすると頭の中のエネルギーが補充されるのか、「ハッ!」と思いついて書く。なんとか終わった……と思ったのもつかの間、また次の回がやってくる。その繰り返しの日々は、精神的な拷問のようでした。どこかで自分なりに気を抜いてしまえばよかったのかもしれないのですが、毎話毎話設定したハードルは飛び越えたいと思って臨んでいました。いろんなアイデアを考える楽しさはありましたが、3日に1本というペースは本当に尋常ではなかったです。自分にどれだけの才能があるか、毎日試されているようでした。

ーー通常の連続ドラマにはない、朝ドラならではの特徴が「ナレーション」の存在です。ナレーションの存在は、脚本を執筆するにあたりどんな効果がありましたか?

北川:ナレーションが使える、それはどこにでも視点を飛ばせるということです。一般的なナレーションは、登場人物たちは違う次元にいる、いわゆる神の視点なわけですが、本作の場合は物語の中にいた廉子さん(風吹ジュン)がそのままのキャラクターとして担当しています。だから、「この先は私もまだ知らないんです」と突然言ってしまったり、遊びがあるんです。視聴者の視点にときに寄ってみたり、ときに誘導したり、さまざまな仕掛けを作ることができました。

●律は佐藤健だからこそ生まれたキャラクター

ーー2月の取材の際には、佐藤健さん演じる律が、「これまで書いてきたラブストーリーの相手役としての集大成になる」と話していました。全話を書き終えて、改めて律はどんなキャラクターになったでしょうか。

北川:佐藤健くんは、「律は自分自身の像が見えなくて、周りの人から見た律という像で成り立っている」と語っていましたが、確かに律は何を考えているか分かりづらい、でもそんなところが魅力的なキャラクターだったように思います。私自身も、脚本を書いている間に律との距離を取りかねている時もありました。和子さんが亡くなるのが怖くて眠れなくなったり、意外と情けなくて分かりやすい面も入れてみたり、一方で鈴愛のすべてを受け入れることができるようなタフさがあったり。ユラユラしたまま進んだ部分があったのですが、律に関してはそれがむしろ良かったのかなと。佐藤健くんのお芝居が本当に素晴らしかったこともあり、私のユラユラをリアルに立体化して画びょうのように止めていってくれたのかなと。彼が演じてくれることで、そうなるだろうなという計算がついたので、そのユラユラがあってもいいという幅を作れたように思います。最終的に、「律はこんな人」というわかりやすい答えを出すのではなく、焦点を結ばないまま終わらせたいという気持ちになっていきました。理想というわけではないのですが、ある種のファンタジーというか、みんなの心の中に「律みたいな人がいたらいいな」と思ってもらえる存在になってくれたらと。佐藤健くんだからこそ生まれたキャラクターだったと思います。

ーー鈴愛の母・晴、律の母・和子、それぞれ違った個性を持ったお母さんが序盤から物語のラストまで非常に強く印象に残りました。

北川:晴さんは、なんとなく自分の母親をイメージしていた部分があり、私自身も娘を持つ1人の母でもあるので、晴さんの気持ちになってみたり。ただ、どちらかと言えば自分の母親を投影した部分があったかもしれません。ちょっと小言は言うけど、娘のことをいつも心配していて、愛してくれている田舎のお母さん。その部分を大事に書いたような気がします。和子さんに関してはまったくの原田さんの当て書きです。律の出産のときに自分の分娩台がないという、ちょっと笑ってしまうようなエピソードをこなせる女優さんは原田さんしかいないと思います。原田さんはジブリの世界から出てきたような、本当に屈託がなくて嫌味のない方です。原田さんだったらこんなお母さんが演じられるな、という思いから生まれたキャラクターです。50歳の女優さんで、岐阜犬として「ワン!」と言っても許される方はなかなかいないと思います(笑)。

●豊川悦司×永野芽郁への思い

ーー視聴者の中でも特に人気の高かったキャラクターが豊川悦司さん演じる秋風羽織です。書籍『秋風羽織の教え 人生は半分、青い。』も発売されましたが、北川さんはどんな思いを秋風に込めたのでしょうか?

北川:秋風羽織はとても思い入れが深いキャラクターです。自分が創作について思っていることをすべて彼が代弁してくれるような存在でした。1995年に放送されたドラマ『愛していると言ってくれ』(TBS系)で豊川さんと出会い、喧々諤々とやり合いながらあの作品を作り上げました。豊川さんは作品と役にのめり込む方です。耳が聴こえない画家という役どころでしたが、手話を完璧にマスターして、パリにまで行って画も描いてきて。豊川さんがそこまで本気でぶつかってくれるだけに、私もそこに寄り添えるように脚本を当時は作っていきました。今回も一緒に作品を作れることを楽しみにしつつも、お互いに50歳を超えて、舞台も朝ドラとなって、あのときの熱はないだろうと思っていたんです。そしたら、まったく衰えずで(笑)。「たとえば、僕はこうしたい」「こういうのはどうだろう?」と真摯に秋風羽織に向き合ってくれて。世の中では「格好いい」というイメージがついてる豊川さんが、あそこまで振り切った演技をして秋風羽織になってくれました。撮影が終わったときに、「還暦になるまでにもう1本一緒にやろうよ」と言ってくれて、まだまだこりてないんだなと(笑)。豊川さんと再び一緒に作品を作ることができて本当にうれしかったです。

ーーそして、なんと言っても鈴愛を演じた永野芽郁さんです。改めて永野さんの鈴愛はいかがでしたか?

北川:毎日出演しているのは芽郁ちゃんだけで、毎日書いているのは私だけだなと思って。私は1人地獄だと思っていましたけど、芽郁ちゃんも本当に大変だったと思います。「笑えなくなった日もあったし、泣いている日もあったし、眠れなくなった日もあった」と話していて、私と同じように、いや、それ以上に苦しんでいた人がここにいたんだと。タフなように見えがちな芽郁ちゃんですが、タフなだけじゃあの感受性豊かなお芝居はできません。年齢は離れていますが、本当に同志だったなと思っています。朝ドラは収録期間が非常に長いこともあり、徐々に表情が平らになっていってしまうのではという心配もあったのですが、彼女にはそれがまったくありませんでした。先日、星野源さんが『あさイチ』のインタビューで、鈴愛が漫画が描けなくなり、秋風先生、ボクテ(志尊淳)、裕子(清野菜名)に当たり散らすシーンを最も印象に残るシーンとして挙げていましたが、私も同じなんです。あのシーンは好きというよりも、本当に芽郁ちゃんの凄さを感じたシーンで、あの表情は忘れられないです。才能が枯れ果て、どうしていいのか分からない。師も叱ってもくれない。そこに生まれる絶望という一連のシーンは、クリエイターに寄り過ぎてるだけに、観ている方を置き去りにしているかなという反省がありました。ただ、個人的なことだっただけに、ものすごい熱量であのシーンは書けたと思いますし、芽郁ちゃんもそれに応えてくれたと思います。

(取材・文=石井達也)

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