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峯田和伸(銀杏BOYZ)のどうたらこうたら

佐野元春さんがいかに凄かったか・その①

毎週連載

第141回

前回、「優れたアーティストでも日本国内の評価は低め」「ヒット曲だけで判断されるのが寂しい」って話をしたけど、最近、特に悔しく思うのが佐野元春さんなんだ。僕なんかがエラソーに語れるはずがない、超大御所で日本を代表する男性シンガーだけど、今回は生意気を承知であえて言わせてもらいます。

佐野さんのことを語るとき、だいたいの人は「佐野元春?『SOMEDAY』の人だよね」みたいに言うんだけどさ、こういう声を聞くと僕は無性に腹が立ってくるんです。「お前、佐野さんの何知ってんの?『SOMEDAY』だけじゃねぇからさ」と。

『SOMEDAY』は確かにヒットしたけど、以降もアルバムごとに色んなジャンルの音楽に挑戦してきているし、名曲だらけなんだ。むしろ『SOMEDAY』はそういう素晴らしい楽曲群のひとつであって、佐野さんはそれだけじゃないんだよ!

……というような話をするでしょう。するとさ「峯田さん、詳しいっすね。『意識高い系』ですね」みたいな返され方をすることもある。あのさ……僕は特別なコレクター気質でもないし、意識を高くしてるわけでもなく、普通に音楽を聴いてるだけなんだよ。でもさ、そういう「普通に聴く」「真摯に作品に向き合う」っていう態度がない人が結構いて。単に面倒くさいのか、あるいは「自分だけの判断」ってことに自信がないのか、超わかりやすい「売れた曲」だけで判断する人がいる。

嘆かわしいことですよ、これはマジで。アーティストにとってはこれほど寂しい話はないと思う。

こんな風に、佐野さんが思ったかどうかは知らないけどさ、『SOMEDAY』の大ヒット後、佐野さんはいきなりニューヨークに行っちゃうんだよね。人気真っ只中だからさ、日本で過ごしていればそれなりの生活をおくれたであろう時期にいきなり渡米。しかも、『SOMEDAY』をヒットさせるまでの佐野さんは、バンドを組もうとしたのに別のバンドにメンバーを引き抜かれちゃったり、違うアーティストの楽曲に参加したり、CM音楽を作ったりとか、かなり遅咲きのアーティストだったんだよ。

その長きにわたる苦労を経てやっとヒットに至ったわけだけど、その直後にいきなりニューヨークに行っちゃった。「同時代の海外のアーティストと同じ環境にいたい」みたいな理由だったらしいけど、凄いよね。80年代前半にして、こんなことを考えて実行したってことが。

そもそも佐野さんは10代の頃から海外文学とかを読んでいてJ・D・サリンジャー、ジャック・ケルアックが好きだったらしい。言うまでもなくボブ・ディランには強い影響を受けたらしいし、もう視野が日本の文化レベルなんかはるかに超えていたんだろうなって僕は解釈してる。

佐野さんの凄さを、僕が語るなんておこがましいことは十分わかってる。わかっちゃいるけど、失礼を承知で来週もまだまだ語らせてもらいます。マジでヤバいです、佐野元春さんは。

『物語なき、この世界。』(作・演出/三浦大輔)、いよいよ京都で終演を迎えます

構成・文:松田義人(deco)

プロフィール

峯田 和伸

1977年、山形県生まれ。銀杏BOYZ・ボーカル/ギター。2003年に銀杏BOYZを結成し、作品リリース、ライブなどを行っていたが、2014年、峯田以外の3名のメンバーがバンド脱退。以降、峯田1人で銀杏BOYZを名乗り、サポートメンバーを従えバンドを続行。俳優としての活動も行い、これまでに数多くの映画、テレビドラマなどに出演している。


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