片桐仁の アートっかかり!
20世紀建築の巨匠、画家としての顔に迫る! 『ル・コルビュジエ』展
毎月連載
第7回
世界文化遺産でもある国立西洋美術館の開館60周年を記念して2月19日(火)より開催されている『ル・コルビュジエ 絵画から建築へ—ピュリスムの時代』展。今回は、国立西洋美術館副館長兼学芸課長の村上博哉さんに解説いただきながら、片桐さんがル・コルビュジエの画家としての顔に迫ります!
ピュリスム(純粋主義)とは?
片桐 今回はル・コルビュジエの絵画がメインの展覧会ということですが、ル・コルビュジエが画家として活動していたこと自体知りませんでした。
村上 彼は子どもの頃からデッサンや水彩を描いていて、故郷スイスで美術学校に通っていたんです。そこの先生の勧めもあって建築家の道を選び、20代の頃にドイツやオーストリアで建築家として修行を積んだ後、29歳でパリに拠点を移します。
片桐 当時のパリは芸術の中心と言われていた頃ですよね?
村上 そうですね。ピカソをはじめとした芸術家たちが集まり、キュビスムなど新しい絵画が隆盛していた時代です。そこでル・コルビュジエは1歳上の画家、オザンファンと出会い、キュビスムを否定してピュリスム(純粋主義)という運動を起こします。
片桐 ピュリスムとはどういうものだったんですか?
村上 簡単に言うと、物の形を立方体や円筒形などシンプルで幾何学的な形で表して、秩序と調和のとれた美を目指すものでした。
片桐 ル・コルビュジエの建築と重なりますね。建築と並行して絵画作品を描いていたんでしょうか?
村上 パリにやって来た直後は、建築の注文がすぐに入るわけではありませんでした。オザンファンに教わって本格的に油絵を始め、ふたりで絵の展覧会を開いたり、雑誌や本を発行して建築の新しい考え方を発表したりしていたんです。
片桐 まずは絵画や文章で自分の考えを表現していったんですね。
村上 雑誌の記事や著作で初めて「ル・コルビュジエ」というペンネームを使ったんです。そこから、絵画では本名の「シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ」で発表を続けるんですが、建築家としては「ル・コルビュジエ」という名前で仕事をしていくようになりました。
近代建築のパイオニアだったル・コルビュジエ
村上 会場の1階部分では、ル・コルビュジエが設計した建物の模型を展示しています。非常に単純化された形を使った装飾のない建物というのは、今では当たり前のように見られるスタイルですけど、当時としては新しかったんです。
片桐 近代建築の走りですよね。
村上 こちらはパリ中心部の都市計画として1925年に発表した「ヴォワザン計画」の模型です。
片桐 なんだか未来都市っぽいですね。
村上 高層ビルにオフィスを集中させて、広場を作って緑を増やし、その周りに低層の住宅を配置しています。ル・コルビュジエは、自分たちが生きているのは機械の時代であり、自動車や飛行機、工場が人間の生活を支えている。それに対応して建築も都市も新しく作っていかないといけない、と主張したんです。
片桐 なるほどね。でもパリの古い街並みがこんな近代都市になっていたらすごかったでしょうね!
ピュリスム誕生、オザンファンとの歩み
村上 2階のフロアでは、4章に分けてピュリスムを紹介しています。第1章「ピュリスムの誕生」では、オザンファンとル・コルビュジエの作品を見ていきます。

片桐 ギターに瓶、コップ、本・・・オザンファンとル・コルビュジエで同じものを描いているんですね。
村上 身の回りにあるものを題材にして、シンプルな形を強調して、それらを組み合わせることで秩序を生み出そうとしています。
片桐 同じものを描いていても、ル・コルビュジエの絵の方が奥行きを感じるというか、立体をイメージしているというか・・・。見えてくる空間が違いますね。それに色の使い方も渋いですね。
村上 題材は同じでも、やはりオザンファンは色の使い方がうまいですよね。ル・コルビュジエもピュリスム運動をはじめてしばらく経ってくると、だんだんしっかりとした構成で色使いもよくなってくるんです。
片桐 何度も何度も、ビンを描いて、コップを描いて、本を描いて・・まあ飽きもせず(笑)。ずっと実験している感じですね。
キュビスム批判、そして受容へ
村上 第2章「キュビスムとの対峙」では、ピュリスムより少し前の時代のキュビスムの作品を展示しています。ル・コルビュジエは当初はキュビスムを批判するんですけど、次第にキュビスムの方向性と自分たちの方向性が一致していることを認め、キュビスムの後継者として自分たちの立場を変えていきます。