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『野ブタ。をプロデュース』なぜ男女3人の物語に? 木皿泉が脚色で重ねた世界観

リアルサウンド

20/5/1(金) 6:00

 日本テレビ系、土曜10時枠で放送予定だった『未満警察 ミッドナイトランナー』のピンチランナーとして『野ブタ。をプロデュース』(以下、『野ブタ。』)が再放送されている。

【写真】再放送中の『野ブタ。』より堀北真希、亀梨和也、山下智久

 久しぶりに観た『野ブタ。』は、まったく古びていなかった。むしろ「あの教室が、すべての始まりだったのだ」と思った。

 『野ブタ。』は白岩玄が21歳の時に2004年の第41回文藝賞を受賞した青春小説をドラマ化したものだ。「この世の全てはゲームだ」と思い、クラスの人気者を演じていた桐谷修二が、いじめられている野ブタ(小谷信太)を影からプロデュースして人気者に変えていく姿を描いた同作は、スクールカーストを題材にした青春小説として話題になり、第132回芥川賞の候補作にも選ばれた。

 その1年後にドラマ化された本作は、原作小説の持っている、教室の狭い人間関係が作り出す空気によって、あらゆることが簡単に入れ替わっていく確かなものなど何もないゲーム的な世界を踏まえた上で「そんな世界でどう生きればいいのか」を模索する作品となっていた。

 脚本を担当した木皿泉は、男女2人(和泉務、妻鹿年季子)の共同ペンネーム。2003年に河野英裕プロデューサーと初めていっしょに制作した連続ドラマ『すいか』(日本テレビ系)は低視聴率ながらも、その内容が高く評価され、第22回向田邦子賞を受賞した。当時の木皿泉は宮藤官九郎と並ぶ2000年代ドラマのニューカマーだった。

 34歳のOLが一人暮らしをすることで自分を見つめなおす姿をリリカルかつコミカルに描いた『すいか』は木皿泉の原点で、食事を中心とした日常生活を通して「老い」と「死」を見つめる姿は、後の作品でも繰り返し描かれている。

 対してイジメを題材にしたジャニーズアイドル主演の学園ドラマである『野ブタ。』は、木皿泉にとっては未知の題材だったが、だからこそ他の作品にはないポピュラリティと深さが存在した。

 原作小説を連続ドラマにする際に木皿泉は多くの脚色を加えた。それはそのまま、白岩がスクールカーストを通して描こうとした最先端の現実に対して、木皿泉がどう答えたのかという回答として現れていた。

 まず、シニカルな修二(亀梨和也)の相棒として草野彰(山下智久)という変わり者の少年を配置。そして原作では男子生徒だった野ブタを小谷信子(堀北真希)という女子生徒に変えた。つまり修二1人の物語を男2人女1人の3人の物語に変えたのだ。

 同時に空疎なコミュニケーションしか存在しない教室というゲーム盤に、木皿泉ならではの世界観をレイヤーとして重ねた。

 それは第1話なら猿の手、第2話なら真夜中様、第3話なら文化祭に訪れた生霊といった都市伝説的な世界だ。夏木マリが演じる教頭や忌野清志郎が演じる本屋の店主にしても同様で、本作の大人たちは息が詰まるような教室の外側から子どもたちを優しく見守るファンタジックな存在として描かれている。

 つまり若者よりも大人たちの方が自由で楽しそうに生きているのだが、そのことによって、この教室は絶対ではなく「外側がちゃんとあるんだよ」と提示されており、それが修二たちにとっての救いとなっていた。

 第1話の柳の木や、第2話の体操着をめぐるエピソードも同様である。本作は、ある存在が別の場所に移動することで、まったく別の意味をもった存在に変わってしまう現象を繰り返し描いている。それは、人は変わることができるという希望の象徴であると同時に、この世に確かなものは何もないという不安の現れでもある。

 また、これは今回見返して、改めて気づいたのだが、『野ブタ。』は魅力的な外部を提示しながらも、教室とそこで生きるクラスメイトを否定しない。

 どんな願いでも叶う猿の手を教頭から渡された野ブタは、「(自分をいじめる)バンドーなんか消えてしまえッ!」と願う。しかしその後、考えを改め「バンドーがこの世から消えろというのを取り消して下さい。私はバンドーがいる世界で生きてゆきます」と改めて願う。やがて修二たちは「とほーもなく暗くて深い、人の悪意」と対峙することになるのだが、この時、野ブタは悪意を持った他者を滅ぼすのではなく、共に生きていくことを宣言したのだと思った。

 『野ブタ。』について木皿泉は以下のように語っている。

「十年前、テレビドラマ『野ブタ。をプロデュース』の教室のシーンを書いていて、私は突然泣けてきた。この教室にいる生徒たちは、全てひとりぼっちでとても頼りなく立っているのだと思えたからだ。それは教室の話だけではなかった。この日本に生きている全ての人、年寄りも働き盛りも子供も、みんな頼りなく自分の力で立っていなければならないということである。私は、泣きながら、そうだ、これからは、その人たちのために仕事をしようと思った。」(木皿泉著『木皿食堂3 お布団はタイムマシーン』(双葉社)「しあわせを書く」より)

 あの教室ではじまったことが、今は世界中で起こっている。

(成馬零一)

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