和田彩花の「アートに夢中!」
円山応挙から近代京都画壇へ
毎月連載
第23回
今回紹介するのは、東京藝術大学大学美術館で開催中の『円山応挙から近代京都画壇へ』。多種多様な流派、そして絵師たちが百花繚乱のごとく咲き乱れた18世紀の京都。写生画で一躍時の人となった円山応挙が率いる円山派、与謝蕪村に師事したのちに、晩年の応挙に教えを請うた呉春によって興った四条派も、この時期に花開いたもの。そしてこの二派は円山・四条派として京都画壇の主流となり、近代に至るまで大きな影響を及ぼしてきたのだ。さて、写実を大事にした円山・四条派だが、西洋美術、そしてマネを研究する和田さんは、この日本美術の流れをどう見たのか?
日本美術はやっぱり難しい!
私はこれまで日本美術にあまり触れてきませんでした。なので今回、18世紀から近代までの長い歴史の中で、円山応挙がいかに後世に影響を与えてきたのか……と言われても、正直難しかったというのが本音です。本当にいままで、私の中に日本美術が全然関係してこなかったんだなって、改めて思わされました。
でも、私が研究しているマネやその時代と重なる部分も本当は多いはずなんです。マネは19世紀のフランスで活躍した画家なので、当然、それ以前の絵画、画家の技法などから影響を受けて、自分たち独自の道を模索し、探求していたわけです。共通点があるはずなのに、なかなかそれを見つけることができなくて。
それはどうしてだろうと思っていると、大きな変化に気付けなかったからだと思います。まず、応挙たちの前は何が主流だったのかをわかってなかったことも大きいです。そして応挙たちが求めた、写生することがどういうことなのかも。だってそれって絵を描くにあたって当たり前のことじゃないの? 何がどう変わっていったの? って。私の知る西洋美術では、実物や実景を写生した絵画やスケッチという意味での「写生」は珍しいことではないと思いました。だから西洋美術との流れの違いと、わかりにくさに戸惑ってしまったんです。
呉春の手数の少なさに 驚かされる
わからないながらも会場を進んでいく中で、私が特に興味を持ったのが、呉春が描いた大乗寺の襖絵《群山露頂図》です。この作品は、技術的な面ですごく惹かれてしまいました。
点描のような点々と細い線で描かれているのは、山の風景。点描によって、山の凹凸や影、木、そしてその葉っぱの重なりも描き出しています。でも近くで見ると、ただの点々と線だけで、何を描いているかはわかりません。でも少しずつ絵から離れていくと、そこには雄大な山の風景が描かれています。一見抽象的なのに、すごくいろんなイメージが湧き上がってくる感覚がすごく面白いなって思ったんです。
点描は点描でも、西洋絵画作品のように、色なんかを塗り重ねていって絵をはっきりと描くのではなく、きちんと描かれてはいないのもこの絵の特徴です。しかも水墨画ですから、墨の濃淡だけですべてを表現しています。 よくよく見ていると、山にしても稜線は途中で途切れていて、なんとなくぼんやりとしています。しっかりとした線は描かず、ピューっと薄く線だけ引いてある場所もあって、そういうのを見た時に、はじめは何も描かれてないように見えたんですね。でもそこにはなんとも言えない儚い線が存在しています。それが生きていると感じるのは、やっぱり引いて全体像を見た時でした。