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藤圭子と沢木耕太郎の真剣勝負 『流星ひとつ』が音楽ジャーナリズムに投げかけるもの

リアルサウンド

13/11/17(日) 12:00

 本書『流星ひとつ』は、『深夜特急』などで知られるノンフィクションの大家、沢木耕太郎が、引退を決意した当時28歳の藤圭子にロングインタビューを敢行し、1980年に『インタヴュー』というタイトルで刊行を予定していた一冊だ。その時のタイトルからもわかるように、その本は藤圭子のタレント本という意味合いよりもはるかに大きく、アメリカのニュージャーナリズムの洗礼を受けた沢木耕太郎の新たな挑戦作という位置付けの作品だった。1980年といえば、沢木の初期の代表作『テロルの決算』『一瞬の夏』の狭間にあたる時期。当時まだ30代に入ったばかり、若手ノンフィクション作家としてのりにのっていた時期に大いなる野心をもって書かれた作品という点だけをとっても、日本のノンフィクション史的に重要な作品と言える。
 
 それが30年以上封印されてきた経緯、そして今回その封印が解かれた経緯については、藤圭子の死去を受けて今回新たに沢木自身が書き加えた「後記」を読んでもらうしかない。そこには、とても一言で要約しきることのできない著者の複雑な思いがあり、またその行間から読者が様々な想像を巡らせてしまう余白がある。したがって、ここでは音楽ジャーナリズム的な視点から見た、本書の意義についてのみ語りたい。

 日本の音楽雑誌の狭い世界に「2万字インタビュー」という言葉がある。これは、1986年に創刊されたロッキング・オン・ジャパンがその初期から特集記事に銘打っていた「アーティストが音楽についてではなく自身の生い立ちについて語るインタビュー」を意味するコピーで、やがて特殊用語として音楽業界内で認知されていき、近年は他誌でも使われる用語になっている。ちなみに当初は2万字を基準に文字数を律儀に計算して記事が作られていたが、業界内一般名詞となって以降は、実際は1万5000字だったり3万字だったりする時も、「2万字インタビュー」というコピーを使うことが多かった(編集部に在籍時、自分が担当した記事でもそうしていた)。また、その内容も時代が経つにつれて、相手の語りたがらないことについてはあまり深く突っ込まないという、いわば暗黙の了承のようなものが形成されていった。

 そんな「2万字インタビュー」が重宝された理由は、媒体側、アーティスト側、双方にメリットがあったからだ。通常、音楽雑誌は広告との兼ね合いもあってリリースに合わせてアーティストに取材をするが、作品について語る必要のない「2万字インタビュー」では、雑誌の売り上げにダイレクトに反映するような人気アーティストに、リリースタイミング以外にも登場してもらうことができる。一方、自分の生い立ちについてじっくりと訊いてもらえるというのは、アーティスト自身にとって、どこか自分のステータスが上がったような気がして、まんざらでもないものなのだろう。多くの若手アーティストから「2万字を受けるのが夢なんですよ」という話を耳にする機会も多いし、自分の知る限り、「2万字」のオファーを断ったアーティストはほんの数人しかいなかった。

 地の文章はゼロ、完全に2人の会話だけで長編のノンフィクションを成り立たせるというラジカルな方法論で執筆された『流星ひとつ』は、今風に言うなら、当代きってのジャーナリストによる、その時代を象徴してきた歌姫への究極の「2万字インタビュー」である。もっとも、その文字量は原稿用紙にして約500枚、つまり20万字近くに及ぶ。自分の経験上、仮にほぼノーカットだとしても(そんなことはあり得ないが)、実際にここまでの文量のインタビューを一度にやるのは、インタビュアー、インタビュイー双方の精神的にも体力的にも不可能だ。「1979年の秋の一夜」に行われた一本のインタビューとしてまとめられている本書も、「後記」で明かされているように、原型となるインタビューをその夜に行った後、同年に追加取材が数回行われている。

 本書の最もスリリングな点は、そこで語られている内容(それも十分にショッキングなものだが)よりも、インタビュイーとインタビュアーの距離感にある。食い下がるところは執拗に食い下がるが、相手がどうしても話したくないところは深追いをしない沢木。最初は相手を値踏みしながら、徐々に心を開き始め、沈黙で押し通していた質問についてもやがて自分から話し始める藤。自分の仮説を相手に投げかけながらも、それを否定されると素直に引き下げる沢木。一度は否定しながらも、やがてその仮説を軌道修正しながら認めていく藤。仕事でよくインタビューをする自分のような人間にとっては、身に覚えのあるテクニックの宝庫である。最終的な記事には必要ないことがわかっていても、まず自分のエピソードを語って、相手が話しやすい空気を作るというのも、まさに常套手段だ。

 本書の際立った内容を成り立たせている理由の一つは、話し手への聞き手の敬意だけでなく、聞き手への話し手の敬意があることだろう。そのやりとりからもわかるように、藤圭子はこのインタビューを受けるにあたって、沢木耕太郎の著作をしっかり読み込んできている。また、音楽に関しては門外漢であるジャーナリストと、作詞作曲に関わらない純粋な歌い手であるアーティストという組み合わせもここでは功を奏している。沢木耕太郎は「70年代を代表するスター歌手の藤圭子」ではなく「自分にとっての藤圭子」にしか興味がないし、そんな聞き手だからこそ、(インタビュー中にずっと飲み続けているウォッカの力も多分に影響しているに違いないが)藤圭子はここまで自分のことを語る気にはなったのだろう。

 しかし、そのようにいくつかの特殊な背景があったとしても、本書が30年以上の時を超えて現在の音楽ジャーナリズムに投げかけるものは決して小さくない。これは自戒も込めて言うが、インタビュアーが本心から質問することを恐れ、インタビュイーが本心から語ることを恐れているなら、生い立ちインタビューなどという本来の音楽ジャーナリズムの常道から外れたことはするべきではない。会って間もない人間に、その生い立ちを訊くのは卑しいことである。会って間もない人間に、その生い立ちを語るのも卑しいことである。お互いがその卑しさと真正面から向き合って、インタビュアーもインタビュイーも覚悟を持って臨んでいるからこそ、この『流星ひとつ』は「特別な一冊」となったのだ。

 本書『流星ひとつ』が『インタヴュー』というタイトルで出版される予定だった1980年の2年前には、矢沢永吉が一人語りのスタイルで自身の生い立ちを語り、それをコピーライターの糸井重里が見事にまとめあげた『成りあがり』が出版されて、大ベストセラーとなった。『成りあがり』は現在のタレント本の原型とも言えるほど大きな影響力を持った名著だが、もし本書があの時代に予定通り刊行されていたら、『成りあがり』のカウンター的な存在となって、日本の音楽ジャーナリズムの在り方(というか、今や存亡に近いが)も違ったものになったのではないか。ふとそんな夢想もしてしまった。

■宇野維正
音楽・映画ジャーナリスト。音楽誌、映画誌、サッカー誌などの編集を経て独立。現在、「MUSICA」「クイック・ジャパン」「装苑」「GLOW」「BRUTUS」「ワールドサッカーダイジェスト」「ナタリー」など、各種メディアで執筆中。Twitter

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