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わたせせいぞうが描く、“青い空”の意味とは? 80年代カラーコミックの傑作『ハートカクテル』の功績

リアルサウンド

20/5/28(木) 8:00

 「前例のなかったいろんな道を切り開いてきたわたせせいぞうという作家は、日本の漫画界の宝」――これは江口寿史がわたせせいぞうとの対談でいった言葉だが(『illustration 2019年3月号』)、まさにその通りというか、わたせと同じように80年代からいまにいたるまで、漫画家兼イラストレーターとして道なき道を歩んできた江口ならではのリアルな発言だといえるだろう。

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■わたせせいぞうの「青」へのこだわり

 では、そのわたせせいぞうが日本の漫画界にもたらした最大の功績は何かといえば、カラーコミックの魅力と可能性を広く世に知らしめたことに他ならない。1974年、ビッグコミック賞(佳作)を受賞してデビューしたわたせが最初にブレイクしたのは、『モーニング』で連載された『ハートカクテル』(1983年~1989年)だった。同作は都会的な男女が織りなすさまざまな恋愛模様を、毎回4ページのオールカラーで描いたショートストーリーの連作だが、おそらくは、物語的には初期の村上春樹や片岡義男、絵的にはバンド・デシネやアメコミ、イラストレーターの鈴木英人、永井博の影響下にあるものと思われる(もちろん、それらの要素にわたせならではの洒脱な味が付け加えられている)。

 ちなみにこの「オールカラーの連載漫画」というスタイルだが、電子書籍やウェブ連載という手段があるいまならまだしも、紙の印刷物が主流だった80年代当時は、コスト的にも技術的にも、かなりハードルが高いものだったろう。まず、コスト的な問題だが、カラー印刷の原価が白黒のそれと比べてかなり高くなるということは、出版業界の人間でなくともなんとなくはご存じだと思う。無論、多かれ少なかれ漫画雑誌というものには、毎号ある程度の枚数のカラーページが付くわけだから、連載時のコストについては(4ページ程度なら)その一部として予算に組み込めばいいのかもしれない。だが、単行本にする際のコスト計算は間違いなくシビアなものになるだろう。にもかかわらず、『ハートカクテル』の単行本は、本文オールカラー、サイズは(雑誌と同じ)B5判、しかもハードカバーというなんとも豪華な造本で世に出た。これは、いくら当時がバブル直前の資金が潤沢にあった時代だったとはいえ(第1巻の刊行は1984年)、漫画の単行本としては異例の造りだったといっていい。

 そしてもう一方の技術的な問題だが、同作でわたせが採(と)った着色の手法は、手塗りと色指定を併用するというものだった。具体的にいえば、人物の肌などは手作業で塗って(マーカーを使用)、それ以外の背景――たとえば空や海といった部分は白いまま印刷所に入稿して、そこに指定した濃度(%)の色を入れてもらうというやり方なのだが、当然、これだと普通のカラー原画を分解する作業よりも、ひと手間もふた手間もかかってしまう。だが、若き日のわたせには譲れない何かがあったのだろうし、それがあの、彼が描く独特な空や海の表現につながっていったのだと思えば、決して無駄な作業ではなかった。そう――この空や海が象徴するある種の“開放感”こそが、わたせせいぞうの漫画が持っている最大の魅力だといってよく、その証拠に、『ハートカクテル』の各回のラストはたいてい突き抜けるような青い空か海の水平線のカットで終わっている。そしてその空や海の「青」が、時に爽快な、時に切ない主人公たちの心情をも表しているのだ。いずれにせよ、こうしたこだわりぬいた色の表現というものは、白黒の印刷が主流の日本の漫画界にあっては、希有な例であった。

 さて、そんなわたせせいぞうの新刊が、先ごろ出た。タイトルは『ハートカクテル ルネサンス』。といっても別に前述の『モーニング』連載作の続編ではなく、近年、複数の媒体で発表されたレアな短編や連作が収録された作品集だ。もちろん、本書に収録された作品もオールカラーで、現代(いま)を生きる男女のさまざまな恋愛模様が描かれている。

 注目すべきは2点。まずは、近年のわたせ作品で時おり見られるようになった「和」のテイストだ。もともと80年代のわたせの漫画では、オールディーズやジャズが似合う西海岸風の街が舞台になることが多かったのだが、本作に収録された作品のいくつかは具体的な日本の街を舞台にしており、満開の桜や銀杏(いちょう)の紅葉など、そこで描かれている四季の「画(え)」が本当に美しい。そしてもうひとつの注目すべき点は当然「色」についてなのだが、現在のわたせは手塗りをやめ、おもにCGで着色しているようだ(昔ながらのファンのあいだでは賛否両論あるかもしれないが、個人的には、CGを使うことでわたせの都会的なセンスがより洗練されたと思っている)。ただし前述の江口寿史との対談によると、空の部分だけは、いまでもここぞという場面では色指定で着色することが少なくないらしい[注]。

[注]これはあくまでもわたせが前述の対談で語っている近年の着色のスタイルのひとつであり、本書『ハートカクテル ルネサンス』に収録されている作品が入稿時に色指定を併用しているかどうかは不明(筆者)

 それにしてもなぜ、わたせはそこまで空の表現にこだわるのか。ひとつは、先に書いたように突き抜けた“開放感”を描きたいということがあるだろう。そしてもうひとつ。いま、この瞬間も、世界のどこかで、いくつもの恋が始まったり終わったりしているはずだ。もちろん、その恋人たちの頭上では、彼らを包み込むようにして雄大な空がひろがっている。だからもしかしたら、わたせせいぞうの漫画における空というものは、世界中にいる無数の恋人たちを見守る作者の温かい眼差しを表象しているのだ、というのはいささか強引な結論だろうか。

■島田一志
1969年生まれ。ライター、編集者。『九龍』元編集長。近年では小学館の『漫画家本』シリーズを企画。著書・共著に『ワルの漫画術』『漫画家、映画を語る。』『マンガの現在地!』などがある。

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