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よりにもよって気球で亡命!? 『バルーン 奇蹟の脱出飛行』は実録サスペンス映画の秀作

リアルサウンド

20/7/8(水) 12:00

 よりにもよって、気球ですか? 『バルーン 奇蹟の脱出飛行』(2018年)の観客は映画が始まった途端、そんなふうに頭を抱えるだろう。しかし、すぐさまこの映画が堅実なサスペンス映画の秀作だと気づくはずだ。

参考:気球で西ドイツへ亡命を図った家族の実話『バルーン 奇蹟の脱出飛行』

 1979年、まだドイツが東と西に別れていた時代。東ドイツことドイツ民主共和国では厳しい監視社会が完成しており、自由を求めて西ドイツへ逃げる者が後を絶たなかった。しかし、国家保安省・シュタージの暗躍と、国民の相互監視によって、西へ逃げようとする者は炙り出されて施設送り。無理やり国境を越えようとする者は、警備隊に容赦なく射殺されていた。そんな中、ある一家がよりにもよって気球を使って西への逃亡を計画する。不審すぎる大荷物、細い紐とペラペラの板で作られたゴンドラ、火の輝きで全体的に発光する目立ちすぎる本体、何より横移動ができないうえに、飛べるかどうか天気次第という気球の本質的な問題……数々の問題が重なり合った結果、1回目の作戦は大失敗に終わる。しかし一家は諦めず、自由を求めて2回目のチャレンジへ準備を始めるのだった。そのころ当局も、国境付近で気球の残骸を発見。気球で国境を越えるなんてド派手なチャレンジ、成功されたらメンツ丸つぶれやないかと大憤慨。シュタージは鬼のような大捜査を始めるのであった。再び国境を越えるため、大量の布を買い込み、夜な夜な気球を作り続ける一家。わずかな手がかりを執念深く検証し、国をあげて一家を追いかけるシュタージ。一般市民VS国家の壮絶な戦いが始まる……!

 結論から書くと、最初から最後まで手に汗を握りっぱなし。125分間、サスペンスが途切れるタイミングがない。すべては主人公一家が気球を使うせいだ。密入国という題材はよくあるが、目立たずに気球を作る映画はそうそうないだろう。いや、ホント冷静に考えてください。気球ですよ? 人を乗せる気球なんて目立ってナンボ。今や雄大な大自然を堪能する観光地でしか見ない乗り物です。ましてや家では作らないですよ。おまけに乗り物としても難が多すぎます。デカいし、横移動は風まかせだし、落ちたら死ぬし。私は密入国の経験はないが、もしやることになっても「いっちょ気球を作って国境を越えるか!」とは絶対に思わない。おまけに警備のヘリが飛んでいる時代なのだから、こんなもの誰がどう考えても負け戦。話の出発点からして誰の目にも無茶が過ぎるが、だからこそ本作は面白い。主人公たちが圧倒的に不利な戦いを繰り広げるからこそ、本作は手に汗を握る迫真のサスペンスになっているのだ。気球を作っている主人公宅のチャイムが鳴るたびに、登場人物さながらに、観ているこっちも全身が硬直してしまう。

 さらに、本作は「日常」をサスペンスにするのが非常に上手い。ひとつの例として、その魅力が詰まった前半のワンシーンを紹介しよう。主人公一家のおむかいさんの家は、亭主がシュタージである(近所づきあいが最悪すぎる)。それだけでも十分にサスペンスだが、一家の長男と、シュタージさん家の娘が付き合い始める最悪の事態に発展。恋は落ちるものだと人はいうが、落ちるタイミングが悪すぎた。最初の国境脱出計画の直前、長男は「もう二度と会えないかもしれない!」と、若者らしい純情からラブレターを彼女の家のポスト(つまりシュタージの家のポスト)に投函。しかし、予告で描かれている通り、気球が大破してトンボ帰り。ラブレターを奪還しないとシュタージに捕まる大ピンチに陥るのであった。

 こっそり取りに向かうが、ポストの口が狭くて指が入らず、落ちていた木の枝を引っかけて中身を漁る羽目に。ポストの口に指が入らないもどかしさ、木の枝などの細い棒を使って何かを取ろうとして上手くいかない苛立ち、こういった感情は日常で経験したことがある人も多いだろう。なんでもない日常なら、あるあると笑っていられる場面だ。しかし、本作の場合は「死」が隣接している。あるあると共感できるがゆえに、観客も「死」を身近に感じられ、サスペンスが増すのだ。本作にはこうした地味だからこそ我がことのように感じられる場面が非常に多い。ちなみに本作の監督・脚本・製作を務めたミヒャエル・ブリー・ヘルビヒは、主役の奇跡的な原作再現度が話題になった『小さなバイキング ビッケ』(2012年)を筆頭に、コメディで鳴らした人物。先に紹介したポストあるあるは、コメディ畑で育ったからこそモノにできた名シーンだろう。「あるある」は、文脈によって「笑い」と「恐怖」、どちらにも簡単に転がりえるのだ(そもそも「気球を家でバレないように作る」という作戦自体が、一歩間違えばコメディである)。

 そして、ここまで書いてきたように、本作はサスペンスを基調としながらも、人間ドラマ部分も非常に濃い。国の都合で東西に引き裂かれた家族のドラマや、子どもの自由な未来のために勇気を振り絞る親たち、英雄ではない一般市民の良心の発露など、さりげないが、非常に印象に残る場面が多い。もちろん悪役であるシュタージ側も気合いが入っている。こうした作品には必須だといってもいい、ボスが部下を静かに、しかし冷酷に激詰めするシーンも入っていたりと、本当に手堅い作りだ。

 基本的にサスペンスは「バレる? それともバレない?」の待ち時間に宿る。本作の主人公たちは「気球」という、バレない方が難しいものを隠しているうえ、バレたときにフォローできないものをずっと作っているわけで、サスペンスが全編にみなぎるのは必然だ。明らかに無謀すぎる挑戦。次々と起こる予想外のアクシデント。極限状況でさりげなく、しかし印象的に描かれる人間同士のやり取り。実録モノではあるが、娯楽映画のツボを絶妙な形で押さえた手堅い演出と脚本が光る。『ホテル・ルワンダ』(2004年)、『アルゴ』(2012年)、『ホテル・ムンバイ』(2018年)などの流れに連なる、実録サスペンス映画の秀作だ。

■加藤よしき
昼間は会社員、夜は映画ライター。「リアルサウンド」「映画秘宝」本誌やムックに寄稿しています。最近、会社に居場所がありません。

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