海外映画取材といえばこの人! 渡辺麻紀が見た聞いた! ハリウッド アノ人のホントの顔
メル・ギブソン
連載
第41回
── 今回は、現在公開中の『博士と狂人』に出演しているメル・ギブソンです。世界最強の英語辞書と言われている“オックスフォード英語大辞典”の最初の編纂時の責任者、言語学博士ジェームズ・オーガスタス・ヘンリー・マレーを演じています。
渡辺 メルギブがその“博士”で、彼の仕事をサポートする、精神病院に入れられた“狂人”のウィリアム・チェスター・マイナーをショーン・ペン。ハリウッドの暴れん坊ふたりが初共演というのも大きな話題ですよね。私は言語おたくのふたりの友情物語だと思いました。メルギブはこの映画の同名原作を読んでたいそう感銘を受け、すぐに映画化権を買い、20年を経てやっと映画化にこぎつけたそうです。
── 自分で監督していないんですね。
渡辺 メガホンを取ったのは『アポカリプト』(06)で脚本を担当したファラド・サフィニア(クレジットではP.B.シャムラン)。メルギブは演技に専念していますが、なにせ彼はこういうなにかに夢中になっているというか、一心不乱なキャラクターが大好きですからね。彼がサイモン・ウィンチェスターの同名原作を読んですぐに原作権を買ったというのはとてもよく分かる。
── メルギブは、ハリウッドでは何度も叩かれ、そのたびに甦っている印象が強いですけど。
渡辺 2006年には飲酒運転で捕まりユダヤ人警察に暴言を吐いて干され、2010年には当時の恋人だったロシア人歌手にDVで訴えられと、最初の奥さんと別れた後はなにかと荒れまくっていましたよね。
その後、映画もインディペンデント系やB級アクションに出ていて忘れ去られるのではと心配していたときに、『ハクソー・リッジ』(16)を監督して見事に返り咲いた。アカデミーの作品賞や監督賞にノミネートされ結局、才能がある人は、なにがあってもカムバックできるのかもしれない、なんて思ってしまいましたね。
── 本人も暴れん坊な感じなんですか?
渡辺 暴れん坊ではないけど、優等生でもない。最初のインタビューは『ブレイブハート』(95)だったんですが、このときはクレバーな印象でした。たとえ同じ質問をされても同じ答えは返さないという感じ。詳細は覚えてないんですが、そういう記憶があります。ちなみに、このときはとてもハンサムでした。青い目がすてきで。私、大好きなんですよ、メルギブ(笑)。
次はぐっと飛んで『ワンス・アンド・フォーエバー』(02)でした。これはベトナム戦争の初期に実際に起きたイア・ドラン渓谷の戦いを描いていて、戦闘シーンがすごい。血しぶきがカメラに飛び散ったりしてる。メルギブは実在した米軍の中佐役です。当時、米国で兵役の話も出ていたせいか、こんなことを言っていました。
「国を守る正当な理由があるなら、国民としてそれなりのことをやらなければいけないのだろうが、それでも自分の子供を戦場に送るなど、絶対に考えたくない。子供を従軍させるくらいなら、オレが行くよ」
── いいお父さんじゃないですか。確かすごい子だくさんなんですよね?
渡辺 信仰している宗教(伝統主義的カトリック)が避妊をよしとしていないからみたいです。最初の奥さんとの間に7人いて、その後も恋人などの間に生まれた子供を入れると11人の子供のパパのようです。
そのとき、彼は続けてこう言っていました。「オレは、子供がオレを必要としているとき、その場所にいたと思っている。だから、ご飯も食べさせたし、おむつも替えた。歯磨きも教えた。何度も何度も繰り返して教え込んだんだ」って。ちょっとメルギブに「教え込まれる」のって恐ろしそうですけどね(笑)。
そして、なんと子育てのポイントも教えてくれたんですよ。「あきらめないことが子育ての最大のポイントだ。彼らを我慢強く見守ってあげなきゃいけない」。
── メルギブに子育てを教えてもらうなんて稀有な体験じゃないですか?
渡辺 そうですよね(笑)。このときのインタビューを読み返してみると、他にこんなことを言っていたんです。
「戦場という地獄に放り込まれたとき人間は、自分たちよりもっと大きな存在を信じることでしかサバイブできないことに気づく。だから、フォックスフォール(戦場に掘った隠れ穴)の中には無神論者はいないんだ」
これと似たようなことは、それから14年後に作った『ハクソー・リッジ』のときも言っていました。この作品は、沖縄戦線に従軍した実在の米国兵デズモンド・ドスを描いたもので、彼はその信仰から決して銃を取らず、戦場ではひたすら人助けをするんです。米兵のみならず日本兵も。そんなことができた彼の強さを支えていたのは“神”だというわけです。
「ドスは、神が彼にやってもらいたいと思うことをやっただけなんだ。神への信仰心こそが、彼を強くしたんだよ」というんですよ。
メルギブは自身も厳格なカトリック教徒で、自費で教会を建て、さらにはその信仰心から『パッション』(04)というすさまじい映画も自主製作してますからね。彼を語るとき、宗教とは切り離せない。
── 家族がその宗教を信仰していたからですか?
渡辺 そうみたいです。当人はこう言ってました。「オレは、オレの家族の信仰(伝統主義的カトリック)で育てられた。でも一度、それに疑問を抱いて離れたことがあるんだ。そうやって客観視できたのが良かったんだと思う。結局はまた戻ってくることができたから」って。
そして、『ハクソー・リッジ』のドスについて「オレと似た信念を持っていると思う。ただ、オレは彼ほど強くはないから、戦場を銃も持たずに這いずり回ったりはしない。だからこそ彼はヒーローになり、オレはフィルムメーカーにしかなれないんだ」と言っていました。
── 『パッション』を筆頭に、彼の映画は残酷描写が多いしすごいですよね。
渡辺 『ブレイブハート』にも『アポカリプト』(06)にも『ハクソー・リッジ』にも血みどろシーンがいっぱいある。『アポカリプト』のインタビューのときは「人間の多くの行動の根源になっている基本的な恐怖心を、原始的な“足”を使って描きたかった」と言っていました。そして、人間が抱く恐怖心については「恐怖心とは病気のようなもので、恐怖心が人間にいろんな行動をとらせる。恐怖心は国を動かすこともできるんだ。もし本作にメッセージがあるとするなら、この社会に渦巻く恐怖心を克服すること。そうすれば自分を解放できるだろう」。
ちなみに“恐怖心”については「ずっと前から、人間としての最も根源的な感情だと思っていた。残忍さは恐怖に対する反応だ」と語っているくらいなので、『パッション』のような映画を作るのも分かりますよね。これも、いわば恐怖の映画ですから。キリストの存在を恐怖するローマ人やユダヤ人と、彼の受ける受難の数々を目にして恐怖する人々。私はこの映画をL.A.の劇場で観たんですが、中高年の観客のほとんどが震え上がって泣いてました。中には泣きながら飛び出す人もいた。メルギブは観客にも恐怖を植えつけたんです。私はこの作品、大好きだったんですけどね。
── 怖いし痛い映画でした。
渡辺 そう、痛いんですよ。だから『アポカリプト』のとき「もしかしてマゾなんですか?」と聞いたんです。マゾであることと、恐怖心は関係していそうじゃないですか。そしたら大笑いして「確かにひとつの恐怖の表現だろう。自分がマゾと言えるのかは分からないが、オレは生きること自体が、さまざまなトーチャー(責め苦)を通過することだと考えているのは事実だ。残忍な試練に直面し、戦うことになったとき苦悩し耐える。そうすることで良くなると思っている。しかし、平和な状況だと、自分たちを敵に回すようになってしまう。敵を自分たちで作り出してしまうんだ」って。
── なるほど、だから苦しむキャラが多いんですね。
渡辺 だと思います。『リーサル・ウェポン2/炎の約束』(89)のときも、自虐的なことをしてたじゃないですか? 身体をボキボキやって縄抜けみたいなことをやっていた記憶がある。それについては「あのときは、痛みを感じるキャラクターだと言いたかった。なぜなら当時のアクションヒーローといえばアーノルド(・シュワルツェネッガー)とかスライ(シルベスター・スタローン)が演じるような人工的でアンリアルな連中だったから、それとは違うと言いたかったんだ」って。
メルギブがアカデミーの監督賞を受賞した『ブレイブハート』で彼が演じた主人公、ウィリアム・ウォレスも相当、自虐的なキャラですからね。死ぬときに、やっと救われた顔をする。この映画でも、窓から突き落とす行為にためらいがまったくなかったり、首を掻っ捌く様子をワンカットで撮ったりと、やはり恐怖をあおる演出が強烈だった。
メルギブは『博士と狂人』の前に、『ブルータル・ジャスティス』(18)というクライム映画に出ているんですが、この監督のS.グレイグ・ザラーも独特というか異常というか、驚くべき暴力趣味がある。メルギブとの組み合わせは興味深いと思いました。
── やはり暴力や残忍さとは無縁にはなれない人なんですね。
渡辺 次の監督作はサム・ペキンパーの『ワイルドバンチ』(69)のリメイクだというから納得ですよね。ペキンパーの暴力描写には哀惜と美学があったけど、メルギブはもっと容赦ないので、そのあたりがどうなるのかすっごく気になりますよね。このリメイク、めちゃくちゃ楽しみです!
※次回は11/10(火)に掲載予定です。
文:渡辺麻紀
Photo:AFLO
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