安倍寧のBRAVO!ショービジネス
ミシェル・ルグラン自伝第二弾『君に捧げるメロディ』には 取って置きのエピソードが満載です
毎月連載
第38回
『君に捧げるメロディ ミシェル・ルグラン、音楽人生を語る』 アルテスパブリッシング 2640円
『君に捧げるメロディ ミシェル・ルグラン、音楽人生を語る』(高橋明子訳、濱田高志監修、アルテスパブリッシング刊)が滅法面白い。取って置きのエピソードが惜し気もなくさらけ出される。そして、その数多くの挿話のなかから、おのずとルグラン本人の人懐っこい素顔が浮かび上がってくる。単なる感傷的な回顧録ではなく自分ともきちんと向き合っている。2015年、同じ訳者・監修者で、同じ版元から刊行された『ミシェル・ルグラン自伝 ビトゥイーン・イエスタデイ・アンド・トゥモロウ』も読み応えがあったが、この続篇はそれ以上かもしれない。前作とは無関係に独立した書物として読んでも十二分に楽しめる。
日本でも繰り返し劇団四季が上演してきた傑作ミュージカル『壁抜け男』について、「壁と境界を抜けて」というタイトルで特別に一章割かれている。
『壁抜け男』は、ある日突然、厚い壁を自在にすり抜けることのできる魔法を身につけた若い男が主人公である。下っ端役人に過ぎず美女とも縁遠かった青年は、この魔法のお蔭で恋を謳歌できるようになる。物語がファンタスティックならばルグランの音楽も負けず劣らずファンタスティックで、たちまちパリの観客の心を捉えてしまった。もっとも完成までには10年あまりの歳月を費やしている。ルグランがマルセル・エイメの幻想短篇小説を基に発想したのが1985年秋、パリでの初演が実現したのが1997年1月だという。
1997年のある日、パリ郊外のディズニーランド・ホテルに宿泊していたマイケル・ジャクソンからルグランのもとに電話が入る。是非とも『壁抜け男』を観劇したいという。クインシー・ジョーンズに勧められたらしい。当日は地味な服装でやってくるという約束だったが、黒いマント、金モールの付いたベスト、ピザ・サーバーみたいな帽子と怪傑ゾロのようないでたちで現われた。出演者には内緒にしてあったが、舞台上からあっという間に気づかれてしまう。主役の公務員を演じる俳優がフィナーレでムーンウォークをやってみせる始末だった。客席の騒ぎは推して知るべし。ちなみにマイケルは、この出来事よりずっと以前、1973年にルグラン作曲「ハッピー」をシングル・リリースし、1983年のアルバム「ミュージック&ミー」に収録している。
『壁抜け男』日本版は1999年の福岡を皮切りに全国各地で上演されてきた。東京公演は1999年、2006年、2012年、2016年と4回を数える。このような大ヒットについてルグランは次のように述べている。海外ミュージカルのオリジナル作曲家が日本版について見解を披露することはきわめて珍しい。ちょっと長くなるが、あえて引用する。
それ自体が想像を超えていた―太平洋の大きな島で、モンマルトルの娼婦が、日本語で、客との交わりをジャヴァのリズムに乗せて歌う。ディディエ・ヴァン・コーヴェレール(脚本家)と私は、この勝利の理由をやっと解析した。四方の壁に閉じ込められた、しがない勤め人が、奇跡の能力によって自由になり、もうひとりの人間に生まれ変わる姿に向き合うのは、深い部分で日本の文化に訴えるのだ。日本の社会構造を見せられて、観客は二重に感動し、自分との関りを感じる。ディディエはしばしば繰り返した―「冴えない臆病者の公務員が孤独の隔壁を乗り越えるのを、いかに愛が助けることになるか。『壁抜け男』の中心的テーマはそこにある」
『壁抜け男』は、2002年、ブロードウェイにも進出した。しかし、わずか17回で公演を終えた。この惨憺(さんたん)たる結果はなにに起因するのか。ルグランは演出家が美術、照明すべてを大掛かりなものに仕立て直したことにあると見る。そして「彼は私たちのポケット版オペラを、主題をはずれた巨大なものに向かわせ、ブロードウェイのホルモンで肥大化させたのだ」と云い放つ。それにしても「ブロードウェイのホルモン」とは云い得て妙である。
もうひとつ大きな過ちがあった。『Amour』とタイトルを変えたことだ。愛という意味のこのフランス語は抒情的な物語、楽曲を連想させる。「これは大きな思い違いを招いてしまう。なぜなら『壁抜け男』には、堂々たるアリアも、切ない愛の二重唱も入っていない。この作品は、滑稽なファンタジーであり、遊び心あふれた、奔放なおとぎ話なのだ」
日本で大成功したフランス産ミュージカルがブロードウェイでは大コケにコケた―ミュージカル史上興味深い出来事である。作曲家自身の分析とともに記憶にとどめたい。
ミシェル・ルグラン回顧録『君に捧げるメロディ』のなかで抜群に面白い章のひとつは、バーブラ・ストライサンドについての「その名はバーブラ」である。天性のまま奔放に生きるこの大歌手、大女優の素顔を描いて興趣尽きない。そのなかからエピソードをふたつほど紹介したい。
1966年1月、ニューヨークでふたりがアルバム『ジュ・マペル・バーブラ(私の名はバーブラ)』を制作したおりのこと。バーブラがブロードウェイでミュージカル『ファニー・ガール』に主演していたため、録音は夜ごと午前零時から3時にかけておこなわれた。普通ならこのようなスケジュールは“自殺行為”である。しかし、彼女の場合は舞台がほどよい“ウォーミングアップ”になっていたという。驚くほど強靱な声帯なのだ。
こんなこともあった。マンハッタンのレストランで昼食をとっている最中のこと。突然彼女からスタジオにきてくれと連絡が入る。駈けつけたルグランにバーブラはこう告げた。「ミシェル、あなたの編曲だけど、このピアニストはあなたがわたしの家で弾いたように弾いてくれないのよ。あなたが替わってくださらない」そのピアニストは誰あろう、かの名手ハンク・ジョーンズだったという。
ミシェル・ルグランの音楽は“愉楽の音楽”である。人生の楽しさをたっぷり味わわせてくれる。同じように回顧録『君に捧げるメロディ』も私たちの心を弾ませずに措かない。格調のある、しかも読みやすい訳文、行き届いた注解、年譜にもひとことご苦労様といいたい。
そのよく出来た年譜によればルグラン最後の来日は2018年8月で、ブルーノート東京などでコンサートをおこなった。私も一向に枯れないピアノ演奏を楽しんだひとりである。翌2019年1月、急逝する。享年87。この回顧録を読むとミシェル・ルグランがいかに卓越した音楽家だったか、改めて納得させられる。
プロフィール
あべ・やすし
1933年生まれ。音楽評論家。慶応大学在学中からフリーランスとして、内外ポピュラーミュージック、ミュージカルなどの批評、コラムを執筆。半世紀以上にわたって、国内で上演されるミュージカルはもとより、ブロードウェイ、ウエストエンドの主要作品を見続けている。主な著書に「VIVA!劇団四季ミュージカル」「ミュージカルにI LOVE YOU」「ミュージカル教室へようこそ!」(日之出出版)。