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秋吉久美子 秋吉の成分

刹那の驚きに出会うことが旅の動機

全10回

第7回

20/10/30(金)

ケニアの闇夜、ライオンに囲まれて

旅のお話をしましょう。女優活動をやり始めた十九歳くらいの頃、アンドレ・カイヤット監督の映画『カトマンズの恋人』を観て刺激を受けて、私はカトマンズに行ってヒッピーになると決意して、マネージャーに通告しました(笑)。すると社長兼マネージャーが「久美子ちゃん、こちらはどうかしら?」と言って、ケニア行きを勧めてきた。「知り合いのスクリプターの女性がアフリカに行くので、それに便乗させてもらいなさい」とのこと。その女性は羽仁進さんの映画でアフリカに長く行ったことがあって、現地にいる海外青年協力隊の方とも懇意にしていた。その男性に旅先のナビゲーターをやってもらえるらしいので、マネージャーもとても安心だったんでしょう。私は私でカトマンズはどこへやら、「え、アフリカ!それはいい話だ。ケニアに行く!」とそっちに乗っちゃったんです(笑)。

ケニアは、ナイロビからモンバサへ、さらにラム島まで行きました。全体で8日間くらいの強行軍でしたが、とにかく印象深い経験が多かった。ナイロビでは観光せずに、さっそくその海外青年協力隊の方の車で移動を開始したんですが、なんとインターナショナル・パークの真ん中で車バッテリーの問題でガス欠?かなんかで、動かなくなった。おかげで野性の王国でそのまま一夜を過ごすことになりました。夜ともなれば周りは獣だらけで、ライオンがすぐ目の前を一小隊で、狩に向かっていく(笑)。 圧倒されました。

闇夜に猛獣に囲まれて、「せめてコーヒーでも飲んで落ち着こう」ということになって、私がたまたま土産物屋で買った真鍮のストーブのようなものを使って、協力隊の方も火をおこすことなどお安い御用だったので、さっそくコーヒーを淹れて飲んだんです。ところが、朝の明るい光のなかで見ると緑青がいっぱいくっついていて焦りました(笑)。そうこうしているうちに誰か往来する車にガソリンを譲ってもらって事態は解決したんですが、出だしがこれだったおかげで「こういう冒険の要素がないと旅とは言えない」ような感覚になってしまった(笑)。

車でケニアを移動する道中は、車中泊もあれば途中で見つけたゲストハウスに泊まったりもしました。海外協力青年隊の彼の友人で、フランス人の絵描きさんがサバンナに別荘を持っていた。外見は掘っ立て小屋なんだけど100平米くらいの広さがあって、内装はヨーロッパ風で暖炉もあった。豚がいっぱい飼われていたけど、ガーディアンの犬もいるおかげで豚が野生動物に喰われることもなく、増えすぎて困っている。だから「好きな豚を食べていい」と言われた。私は当時まだイケイケにワイルドで、「あの豚が美味しそうだ」と程よい子豚を追いかけました(笑)。すると全長2メートルはあろうかというその豚の両親が現れて、「キーッ」と吠えながら追いかけられて怖くて怖くて家の中に逃げ込みました。恐かった。その時に「ああ豚って感情なんかないのかと思ったら、こんなにと親子愛があるのか」と知りました。その感覚はわすれません。今では、ファーストフードにもお祈りしちゃう(笑)。 そんな自然の教訓も体で感じた。

そしてモンバサの港から小さな船に揺られていくと、いきなり島が見えてくる。それがラム島なんですが、その時のおどろきと感動たるや。遡れば高校の文芸クラブで佐渡島に行ったこともあるし、幼い頃に四国の徳島に住んでいた時は、まだ瀬戸大橋もないので汽船で本州に渡る時に島のある風景はいつも見ていた。だから別に島なんていくらでも見ているので別に驚かないはずなんですが、あの時のラム島が現れる光景は『未知との遭遇』のマザーシップが現れたようだった。海の中に忽然と現れる島の美しさ。

猛獣に囲まれた車中泊やサバンナの家で豚に襲われたりした後、ケニア旅行の最後に白く光る神々しいラム島が待っていたんです。そこに三泊くらいしたのかな。路地が石づくりで凄く狭い。だから、町の家々の屋上どうしも近くに接していて、まるで宙空でつながっているみたいな感じ。そこに出るとお隣と「こんにちは」と言い合うような不思議な町なんです。その町の子どもたちになつかれて、ワイワイやってました。国は違うけど、イスラム教徒の街は、オマー・シャリフが出ていた映画『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』みたいな雰囲気かな。

秋吉さんがインドに持って行った付箋だらけのガイドブック(本人提供)

瞳孔いっぱいの巨大なインドの太陽

94年にインドで遠藤周作さん原作の『深い河』に出演した後、96年に再び、ひとりでインドに行きました。映画のロケの最中に、今度はひとり一人で行こうと決めていたのです。まずカルカッタを皮切りにインド入りし、北東部の仏教の聖地ブッダガヤで電車を降りて、リキシャ(インド伝統のオート三輪タクシー)の荷台みたいなシートに座ってテンプルホテルに向かいました。テンプルホテルというのはブッタガヤの巡礼に来ている仏教徒のための宿というので、なんだかそこが安心な気がしたんです(笑)。朝5時の未明の駅から、予約しておいたテンプルホテルに向かったんですが、2月なのでとても寒かった。

インドは時期によっては大変な暑さになるので、気候について調べて1月のアタマくらいに行って2月までが旅程でした。その頃のインドは、昼間はとても暑いのですが、夜の寒さは、想像できないくらい寒い。ふるえながら「いったいこれからどんな宿に着くんだろう」と不安に思いつつ、早暁のリキシャに揺られました。頭から身体全体を、カルカッタの市場で手に入れた大きなストールで包み、キャラバンの一員のように巻いてひた進む中、朝日が真っ黒な地平線から上がりました。ブッダの映画に出て来るような、あるいはカルト教団の宣伝映画とかに出てきそうな(笑)デカい朝日だった。真っ黒の闇を溶かす真っ赤な朝日。赤道が近いからとてつなく大きい。瞳孔の中いっぱいの朝日でした。この時の興奮というのは、ツアーで行くとなかなか味わえないかもしれないですね。私は本職は旅行者かなと思うくらい旅が好きですが、それも旅している途中のそういう刹那の魅力ゆえなんです。

ダラムサラではダライ・ラマの法話会にも行った。いわゆる大祈願祭と呼ばれるティーチングです。ダライ・ラマは言わばトップ外交官のような役割も担っているから、神聖な世捨て人というよりは立派な王様や大学教授みたいな感じだったなぁ。平和について語ってた。意義のあるお話でしたが、インド旅行の中で、ダライ・ラマのお説教は最大の目的ではなくて、私にとって大事なのはそこへ行くプロセスでした。自分が旅で感動する刹那というのは、「目的地」よりもそういう移動の「過程」に訪れることが多い。その刹那での感動を探るのが自分の旅の目標だし、もっといえば人生全体がそういう瞬間を探す「旅」だと思っています。

旅行者としてひどい目にあったとか不自由な思いをしたとか、そこはたいしたことではありません。たとえ緑青のコーヒーを飲むはめになっても、自分というテリトリーから一歩出た時の驚愕にくらべればなんでもないこと。もっともそれを果たすことが大切なことなのかどうかはわかりませんが、旅をすると自分という惑星の外の宇宙に出たような驚きがありますよね。旅行とは面白いとか面白くないとかではなくて、そういった驚きの瞬間に出会うこと、そのかけがえのなさが私の旅の動機なんです。

秋吉久美子 成分 DATA

『カトマンズの恋人』
1969年 フランス
監督・脚本:アンドレ・カイヤット 音楽:セルジュ・ゲンズブール
出演:ルノー・ベルレー/ジェーン・バーキン/エルザ・マルティネリ/セルジュ・ゲンズブール

『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』
2003年 フランス
監督・脚本:フランソワ・デュペイロン
出演:オマー・シャリフ/ピエール・ブーランジェ/ジルベール・メルキ/イザベル・アジャーニ

『秋吉久美子 調書』(筑摩書房刊/2,200円+税)
著者:秋吉久美子/樋口尚文

特集上映「ありのままの久美子」
2020.10.17〜30 シネマヴェーラ渋谷

上映作品:『十六歳の戦争』(1973)/『赤ちょうちん』(1974)/『妹』(1974)/『バージンブルース』(1974)/『挽歌』(1976)/『さらば夏の光よ』(1976)/『あにいもうと』(1976)/『突然、嵐のように』(1977)/『異人たちとの夏』(1988)/『可愛い悪魔』(1982)/『冒険者カミカゼ -ADVENTURER KAMIKAZE-』(1981)/『さらば愛しき大地』(1982)/『誘惑者』(1989)/『インターミッション』(2013)

取材・構成=樋口尚文 撮影=南信司

当連載は毎週金曜更新。次回は11月6日アップ予定です。

プロフィール

秋吉久美子(あきよし・くみこ)

女優・詩人・歌手。1972年、松竹『旅の重さ』で映画初出演、その後、1973年製作の『十六歳の戦争』で初主演を果たし、1974年公開の藤田敏八監督『赤ちょうん』『妹』『バージンブルース』の主演三部作で一躍注目を浴びる。以後は『八甲田山』『不毛地帯』のような大作から『さらば夏の光よ』『あにいもうと』のようなプログラム・ピクチャーまで幅広く活躍、『異人たちとの夏』『深い河』などの文芸作での主演で数々の女優賞を獲得。早稲田大学大学院公共経営研究科修了。

樋口尚文(ひぐち・なおふみ)

映画評論家、映画監督。著書に『大島渚のすべて』『黒澤明の映画術』『実相寺昭雄 才気の伽藍』『グッドモーニング、ゴジラ 監督本多猪四郎と撮影所の時代』『ロマンポルノと実録やくざ映画 禁じられた70年代日本映画』『「砂の器」と「日本沈没」70年代日本の超大作映画』ほか多数。共著に『有馬稲子 わが愛と残酷の映画史』『女優水野久美』『万華鏡の女女優ひし美ゆり子』『「昭和」の子役もうひとつの日本映画史』など。監督作に『インターミッション』『葬式の名人』。早稲田大学政治経済学部卒。

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