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下層から“ざわめき”のように生まれたギリシャ音楽を描く、傑作バンド・デシネ『レベティコ-雑草の歌』

リアルサウンド

20/9/28(月) 10:00

 表紙に描かれた自分の額にグラスを叩きつけている男性の姿、力強さを纏うA4変形判という大きめの造本、そしてページをめくると目に飛び込んでくる柔らかな陰影の美しさ。本を前にしてこれほどまで興奮したのは久しぶりだ。

 『レベティコ-雑草の歌』は第二次世界大戦の前夜、ギリシャを舞台にしたバンド・デシネ(フランス語圏のコミック)だ。エーゲ海に面したギリシャという我々の素朴なイメージを著者ダヴィッド・プリュドムは冒頭で柔らかな陰影をもって街並みや人々を描き読者を巧みに物語に導いてくれるものの、一転して描かれるのは木漏れ日や柔らかな陽射しの下ではなく夜の帳がおりたテケース(ハシシを吸引するためのたまり場の店)で反抗の音楽を奏で歌うやくざ者たちの話なのだ。

 本書の“レベティコ”とはギリシャの大衆音楽のことで、今でこそギリシャではポピュラー音楽となってはいるものの、その誕生は1923年にギリシャとトルコの間で始まった希土戦争によってトルコから移り住んだギリシャ人たちから始まった。移り住んだ人々はギリシャでは蔑まれ差別の対象となりギリシャ社会では下層として貧しく生きる人々が多かった。その下層から“ざわめき”のように生まれたのが“レベティコ”という音楽なのである。

 また社会の底辺で暮らす人々の苦悩や不満、犯罪や暴力を歌う“レベティコ”は権力者からは忌み嫌われ、政情不安であった本書の舞台当時のギリシャでは“レベティコ”を歌う者、演奏するものはブズーキやバグラマといった“レベティコ”の楽器を持っているだけで取り締まりの対象にまでなっていた。

 不思議なことに本作で描かれるギリシャの人々からは鏡を覗くように現代が見えてくる。貧困、差別、移民、音楽、西洋と東洋の交わり……。時代が変わらないのか、それとも人間が変わらないだけなのか。

 また時代が変われど音楽は変わらないと思っていた自分の考えもそれが間違いだったと『レベティコ』かは気づかせてくれた。

 『レベティコ』はまだ音楽が“奏でる者、歌う者と耳を傾ける者”が一つだった頃の話なのだ。音楽が包み込む世界はまだ僅かな範囲でしかなかった時代。歌われるのは幼き頃の物語、思い出、敵意、挑発、その全てが目の前にいる人々の歌なのだ。時代とともに変容した歌と音楽の性格についても考えさせてくれるのが『レベティコ』なのである。

 そして『レベティコ』のバンド・デシネの特徴についても一つ。本書は音楽をテーマにしたコミックだ。もちろん本からは音を聞くことはできない。しかし驚くべきことに本書のページからは音楽が“感じられる”。その“音楽”の正体は巧みに描かれた空気と色の振動だ(p.62)。

 もちろん著者は漫画において欠けている“音”の表現について考えていたようで、“音楽を感じさせるために”鉛筆での陰影を描きコンピューターで色のレイヤーを重ねることで音楽の“振動”を表現したという。

“学校の先生は オレを叩いて読み書き教えようとした でもオレの頭は ハシシの吸いすぎで朦朧とするばかり 先生 どうか叩かないで 言ったじゃないか どうしてオレが字を読めないのか・・・”(p.62)

 最後にこの『レベティコー雑草の歌』が刊行された経緯を書いておきたい。本書はバンド・デシネ翻訳の第一人者である原正人氏が惚れ込み翻訳出版化を様々な出版社に持ち込んだものの10年近く実現できなかった本であった。そこで昨年からクラウドファンディングで翻訳化の支援を募り、遂に翻訳刊行を実現できた作品である。

 世界には良質のバンド・デシネやグラフィックノベルが存在するものの国内の出版社では採算面で翻訳出版されることが少なくなった現在、多様性が叫ばれる昨今の事情と相反して多くの人の目に止まらない現状にとても惜しいと感じていた中で、クラウドファンディングによって海外のコミックが翻訳され陽の目を見ることができる道筋が生まれたことは原正人氏の大きな功績であると思う。

 今後も『レベティコ』のような良質な海外の作品に触れられることを期待したい。

■すずきたけし
ライター。ウェブマガジン『あさひてらす』で小説《16の書店主たちのはなし》。『偉人たちの温泉通信簿』挿画、『旅する本の雑誌』(本の雑誌社)『夢の本屋ガイド』(朝日出版)に寄稿。 元書店員。

■書籍情報
『レベティコ-雑草の歌』
著:ダヴィッド・プリュドム
訳:原正人
あらすじ
 第二次世界大戦前夜の1936年、軍人上がりのイオアニス・メタクサスが首相に就任し、ギリシャはファシズムへの道をまっしぐらに進んでいた。当時ギリシャのアテネでは、レベティコという音楽が流行していた。レベティコのミュージシャンたちが歌ったのは、自らが属す下層階級の人々の生きづらい日常。それが下層階級の人々から熱烈に受け入れられた。一方、当局にとっては、定職につかず、ハシシを常習し、喧嘩に明け暮れ、犯罪まがいのことに手を染めることもいとわず、昼はぶらぶら過ごし、夜な夜なバーで演奏してひと騒動起こすレベティコのミュージシャンたちは、風紀を乱す社会のお荷物以外の何ものでもなかった。
 主人公のスタヴロスもそんなミュージシャンのひとり。彼は仲間たちとグループを組み、自由気ままな生活を送っていた。グループのリーダー、マルコスが半年ぶりに刑務所から出所したその日、スタヴロスと仲間たちは再会を祝い、久しぶりのセッションを楽しみ、乱痴気騒ぎを繰り広げる――。戦争が間近に迫り、自由がまさに失われようとする窮屈な時代に、あくまで我を通し続けた愛すべき人物たちの長い一日の物語。

著:ダヴィッド・プリュドム(David Prudhomme)
1969年10月4日、フランスはロワール川流域古城群にほど近いトゥール生まれ。7歳で初めてンド・デシネバ(=フランス語圏のマンガ)を描く。左利き。ルーヴル美術館、先史時代の洞窟、奇人変人たちが住む村、中世の動物寓話、浜辺の一日など、これまでに多種多様なテーマのンド・デシネを発表。新作に取り組むたびに、テーマに合わせて新しいスタイルに挑戦している。2004年、日仏のマンガ家によるアンソロジー『JAPON』(飛鳥新社)の企画に参加するために初来日し、九州に滞在。さまざまな刺激を受ける。2012年に再来日を果たし、福岡を拠点に力士をテーマにした創作に励む。力士のイラストは300点にのぼり、それらをもとにフランスで展覧会が行われ、「スモウグラフィ(Sumographie)」という書籍が出版された。その後、2016年、2018年、 2019年にも来日している。本書『レベティコ-雑草の歌』はダヴィッド・プリュドムが自分自身の一部だと語る自信作。

訳:原 正人(サウザンコミックス 編集主幹)
1974年静岡県生まれ。フランス語圏のマンガ“バンド・デシネ”を精力的に紹介する翻訳家。フレデリック・ペータース『青い薬』(青土社)、トニー・ヴァレント『ラディアン』(飛鳥新社)、ジャン・レニョ&エミール・ブラヴォ『ぼくのママはアメリカにいるんだ』(本の雑誌社)、オーレリアン・デュクードレ、メラニー・アラーグ『金正日の誕生日』(誠文堂新光社)、アレックス・アリス『星々の城』(双葉社)、バスティアン・ヴィヴェス『年上のひと』(リイド社)など訳書多数。監修に『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』(玄光社)がある。本書『レベティコ-雑草の歌』とともに立ち上がるサウザンコミックスでは編集主幹を努める。

サウザンブックス 『レベティコ』ページ
http://thousandsofbooks.jp/project/rebetiko/

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