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アンナ・カリーナはなぜ映画に愛されたのか? ゴダールら作家との蜜月から、その演技を振り返る

リアルサウンド

20/7/2(木) 12:00

「女は女であることを証明しながら、映画は映画であることを証明してみせる」(ジャン=リュック・ゴダール)

 『女は女である』(ジャン=リュック・ゴダール/1961年)の制作に挑む若きゴダールの野心は、「アンナ・カリーナはアンナ・カリーナであることを証明する」ことでもあった。当初アンナ・カリーナを主演に添えることをまったく考えていなかったゴダールは、『今夜じゃなきゃダメ』(ミシェル・ドヴィル/1961年)でアンナが披露する存在感に強烈な嫉妬を覚え、ほとんど復讐心であるかのように、「我が最高のアンナ・カリーナ」を撮り上げてしまう。

 室内劇の傑作といえる『今夜じゃなきゃダメ』以降、60年代のアンナは憧れの『スタア誕生』(1954年)の監督であるジョージ・キューカーと組むことになる『アレキサンドリア物語』(1969年。共演はアヌーク・エーメ!)に至るまで、数々の魅惑的なダンスをスクリーンに披露している。デニス・ベリーの撮ったドキュメンタリー『アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい』(2017年/国内では2020年)の中でも本作のダンスシーンの抜粋が収められているが、アンナのダンスが証明する身体のしなやかさは、ゴダールが『小さな兵隊』(1960年)でまだ発見できていなかった側面であり、何よりゴダールがアンナをフェティッシュに撮ったように、ミシェル・ドヴィルもアンナをフェティッシュに撮ってしまったことこそが、強烈な嫉妬をゴダールに呼び起こしてしまったことは想像に難くない。なにしろゴダールとアンナが結婚したのは1961年3月、「神の前で僕と結婚してくれ」と新婚ほやほやの時期である(結婚式の写真はアニエス・ヴァルダによって撮影されている。素敵なウェディングドレスはアンナ自身によるデザイン)。翌年、ゴダールに「どうしてこんなくだらない映画に出るんだ」と出演することを反対された『シェヘラザード』(ピエール・ガスパール=ユイ監督/1962年)でも、アンナの素晴らしいダンスは披露される。

 『シェヘラザード』は、馬に跨るアンナの美しさを堪能できる良作であることでも重要だ。60年~70年代のアンナは美しい乗馬姿を幾度か披露している。ゴダール作品以外の60年代のアンナの出演作を振り返っていて思うのは、映画作家の誰もがアンナに恋をしてしまうという台風のようなアンナ・カリーナ現象、アンナ・カリーナ旋風が生じているということである。ミシェル・ピコリが恐ろしいほどナチュラルに危険人物を演じている傑作『スタンダールの恋愛論』(ジャン・オーレル監督/1965年)の中で、とても興味深いショットがある。車内で恋人とキスをするアンナをバックミラーで捉えるショットで、運転席の男がバックミラーの小さなフレームに窮屈さを覚えるのと同じように、画面を見つめる者もその小さなフレームに窮屈さを感じる。すると、カメラはバックミラーに急激にズームアップしていく。これは、もっと近づきたい!という視線の欲望が、劇中と観客の間で合致してしまう極めて映画的な瞬間といえよう。カメラアイがアンナに引き寄せられてしまうというエロティックともいえる現象。誰もがアンナに恋をする。

 『アンナ』(ピエール・コラルニック監督/1967年)という名前を冠した作品が制作された背景には、こういった現象があるのかもしれない。アンナをフェティッシュに撮ったのは何もゴダールだけではないのだ。そして60年代のアンナの出演作には、ゴダール作品の影に埋もれてしまった作品が溢れている。その意味でアンナは、決定的に映画に愛された女優である。それでもゴダールとの作品群が圧倒的な輝きを放つことには変わらない。では、ゴダールはアンナとの短編を含め計7作に及ぶ作品群の中で、アンナの何を神話として証明したのか? ゴダールの言葉を再び引用しよう。

「アンナ・カリーナは北欧的な女優で、事実、体全体をつかって、サイレント映画の俳優たちに似た演技をします。人物の心理を追うような演技は少しもしないのです」(ジャン=リュック・ゴダール)

 『女は女である』の中でアンナはとにかく忙しい。どこを切り取っても出色のシーンで構成された本作の中でも、とりわけアパルトマンのシーンにアンナの忙しさが見て取れる。どれだけ忙しいかといえば、「24時間以内に子供がほしい!」と駄々をこねるその理不尽なセリフの性急さにふさわしい忙しさ。あるいは「なぜいつも女ばかりが苦労するの?」というセリフに倣って、その苦労を運動としてそのまま描いたかのような忙しさ。身振りとアクションの凝縮。まるで身振りの百貨店。それほど広くない室内シーンにこれほどの多様な身振りとアクションを凝縮させてしまえることに震撼する。

 アンナとジャン=クロード・ブリアリのたった2人によるショウタイムであるにも関わらず。ここには心理を追うような演技の物語的叙述は存在しない。アンナは電気スタンドを傘のように持ち歩き、ブリアリは自転車で狭い部屋をぐるぐる回る。やがてジャン=ポール・ベルモンドが加わりシャドーボクシングを始めるや、ついに3人組という図式が構成される。この鮮やかさ! 一方、多くの方が指摘するように、ゴダール作品で唯一ともいえよう多幸感がスパークした『女は女である』と、次作となる『女と男のいる舗道』(1962年)は、完全に対照的な作品である。娼婦・ナナは、ファーストショットの逆光シルエットの輪郭から既にその決定的な悲劇を肖像として浮かび上がらせる。むしろこの肖像の輪郭に、デンマークから無一文でパリに放浪した少女時代のアンナの実人生の孤独を読み取るのがふさわしく思える。映画館で『裁かるるジャンヌ』(カール・テオドア・ドライヤー監督/1928年)のファルコネッティと向き合うナナは、1人映画館で何度も同じ映画を観てフランス語を習得したアンナの実人生とも重なる。

 また、この作品でゴダールが発見したものは、次作『はなればなれに』(1964年)に、あの美しいマジソンダンスという幸福な導きをもたらすだけでなく、後のアンナ・カリーナのキャリアにおいても重要な側面を担うこととなる。『女と男のいる舗道』のビリヤード場でのダンスシーンと、『はなればなれに』のマジソンダンスという二つの映画史に残るダンスシーンは、アンナの振り付けによるものなのだ。アンナの振り付けを受け入れたというよりも、ゴダールはむしろアンナの能力の発見へと向かうドキュメンタリー性に積極的に魅了され、アンナを再発見したのであろう。

 この頃のゴダールは自身の資質を、「どちらかといえばドキュメンタリーから出発して、ドキュメンタリーにフィクションによる真実をもちこむ(=発見する)」映画作家と定義している。ゴダールはアンナを撮るという“ドキュメント”のその過程で、「アンナ・カリーナはアンナ・カリーナである」ことを発見した。ゴダールの投げかけた視線は、アンナによって新たな身振りとして投げ返された。そしてこの理想的な共同作業によるお互いの発見は、後に映画作家アンナ・カリーナとしてデビューすることになるアンナの大きな一歩となる。

・映画映画作家アンナ・カリーナの誕生
 60年代~自身の監督作品を撮るまでに、ゴダールとの作品以外にもアンナの活動は積極的に外部へ向かっている。アニエス・ヴァルダやジャック・バラティエといったヌーヴェルヴァーグの仲間たちの作品へのカメオ出演(ジャック・バラティエの作品は“カメラを持った女たち”という趣きで興味深い。8ミリカメラを抱えて集団で踊りだす、みずみずしい作品)、ジャン・オーレルとのスタンダール原作物2部作(『スタンダールの恋愛論』『ラミエル』)、アンナの女優としての評価を決定的なものにした、当初舞台として出発したジャック・リヴェットによる傑作『修道女』(1966年)といったフランス国内での作品のほかに、イタリアでの『国境は燃えている』(ヴァレリオ・ズルリーニ監督/1965年)、ルキノ・ヴィスコンティとの『異邦人』(1967年)や、『ブリキの太鼓』で知られるドイツ人監督フォルカー・シュレンドルフによるとても興味深いヒッピー的解釈による残虐映画『ミヒャエル・コールハース』(1969年)、そしてジョージ・キューカーの『アレキサンドリア物語』への出演(アンナはここでダンサーとしての激しい演技を見せている。また、ジョージ・キューカーから演技をすることについて、とても多くのことを学んだと後年告白している)など、国境を映画で超えていく動きが目立っている。こうした動きをデルフィーヌ・セイリグやジュリエット・ベルト、ビュル・オジエのような素晴らしい女優たちの活動と同時代的に捉えることもできよう。

 そしてアンナは映画作家として長編作品『Vivre Ensemble(原題)』(1973年)をセルフプロデュース作品として発表する。この『女と男のいる舗道』の原題『Vivre Sa Vie』とよく似たタイトルを持つ作品を制作する当初、アンナは監督名を男性の名前のペンネームにしようと考えていた。この時代に女優が映画を撮ることの困難や偏見がよく表れたエピソードだ。いまでこそ、たとえばメラニー・ロランのように、フランスの女優が映画作家として世界的に評価されることは当たり前のことになったが、当時はそのこと自体がひどく色眼鏡な視線を送られていたのだとアンナは述懐する。フランソワ・トリュフォーが激賞の手紙を送ったこの作品で、アンナはこれまでのキャリアの経験を総括している。私たちがよく知っているアンナの笑顔のアップが開巻早々に披露される本作は、アンナがプロデュースする「アンナ・カリーナ作品」であるだけでなく、当時のニューヨークの公園での反政府集会をゲリラ撮影する等(アンナ曰く「ゲリラ撮影はゴダールの現場で慣れていた」)、記録映画の様相を帯びた、いわばアンナによるアメリカン・ニューシネマへの接近ともいえる内容だ。

 アンナはヌーヴェルヴァーグの狂騒をくぐり抜け、自ら「アンナ・カリーナ」をプロデュースする。ゴダール時代は否定されるのではなく、アンナ自身の手によってむしろ拡張、再定義される。アンナは映画によって自分を知り、それを映画に返したのだ。あの世界一魅力的な、大きな口を開けた笑顔で。スクリーンでのアンナのキスの特徴はいつだって変わらない。ここでもアンナのキスは唇と唇を重ね合わせることより、頬と頬、鼻と鼻を重ね合わせ、大きな口を開け、世界にかけがえのない笑顔を見せてくれる。改めてここで追悼の気持ちを込めた言葉を送りたい。ありがとう、永遠のアンナ・カリーナ。永遠に誰のものでもないアンナ・カリーナ。 (文=宮代大嗣(maplecat-eve))

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