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山本益博の ずばり、この落語!

お気に入りの落語、その五『寝床』

毎月連載

第31回

‌(イ‌ラ‌ス‌ト‌レー‌ショ‌ン‌:‌高‌松‌啓‌二)‌

『寝床』ー大家の旦那が聴くに堪えない素人芸で長屋連中を困らせる

落語の名作に『酢豆腐』がある。ある長屋で、夏場の時分に「豆腐」を腐らせてしまい、棄てるところを、いつも蘊蓄(うんちく)ばかり垂れて通人ぶる半可通に「唐来もの」の土産物と称して、食べさせてみようと一計を案じる。結末をご存じない方は『酢豆腐』をお聴きになると良いが、この「半可通」のことを、「酢豆腐」と呼んだりする。

『やかん』も同様で、隠居の先生が神羅万象、なんでも知ったかぶりして、知らないものはないと豪語する。そういう強がりを言う者を「あいつは、やかんだね」という。旅先での出来事を、針小棒大に、あることないことまくしたてる虚言癖、ほらふきは「弥次郎」となる。

その伝で、素人芸、旦那芸のことを「寝床」と言う。

『寝床』を初めて聴いたのは、六代目の三遊亭圓生の高座だった。圓生は上方大阪出身で、幼少の頃、豊竹豆仮名大夫を名乗って、義太夫語りだった。

肺を患い、義太夫語りをやめ、落語家に転身しただけあって、素人義太夫の旦那が主人公の『寝床』は得意の演目と言ってよく、まくらでは「竹本義太夫」「近松門左衛門」の名まで出して、浄瑠璃の解説をかいつまんで聞かせた。

本題に入れば、床本の名作の名前を、いくつでもすらすらと読み上げ、一節語ったりまでして、観客を感心させ、楽しませてくれた。今でも、映像に残る圓生の高座を聴くと、正調の『寝床』が堪能できる。

ところが、八代目桂文楽の『寝床』を聴くと、印象ががらり変わってしまった。義太夫の素人芸を押し売りする主人公の旦那がクローズアップされ、旦那の喜怒哀楽が短い時間の中で目まぐるしく展開する面白さ。噺の運びで、文楽の「ご機嫌な芸」が満喫できる十八番になっていたのだ。

『寝床』のあらすじは、以下の通り。

長屋の家主でもある大家の旦那は義太夫に凝ってはいるものの、聴くに堪えない素人芸で、毎度、店の者や長屋連中を困らせ、嫌がられている。

今日もまた、芸のお披露目と称して、義太夫の三味線のお師匠さんを呼び、料理の準備を整え、あとは、お客様を迎えるだけだった。

そこへ、長屋を廻ってお披露目の声がけをしてきた番頭の勢蔵が帰ってきた。早速、旦那は誰が聞きに来るかと問い詰めるが、番頭は、いろいろ言い訳を並べては、結局、誰も来られないと白状する。

はじめは、旦那は都合の悪い者に同情していたのだが、次第に機嫌を悪くして、とうとう癇癪を起してしまう。「師匠には帰ってもらい、料理は返してしまい、見台なんぞは壊してしまえ」と。最後には、「全員、明日の12時をもって、店を明け渡しておくれ」とまで、無茶を言い出す始末。

そこまで、旦那に言われては、長屋の者は、旦那の素人芸に付き合わざるを得ない。仕方なく、それぞれが言い訳を用意しつつ、とりなしの巧い者が、旦那のご機嫌を取ってゆく。

機嫌を直した旦那が、みっちり語り始めると、誰もが飲み食いしたあと、居眠りをしたり、寝転んで寝てしまう。

御簾内で語っていた旦那が御簾を明けて、この様子に再び激怒する。ただ、丁稚の定吉のみが泣いている。旦那は義太夫を聴いて泣いていると感心したのだが、「馬方三吉の子別れ」「先代萩」と、どんな狂言で泣いたのか聴いても泣き止まず、定吉は「あそこなんです」と指を指したところは、旦那が義太夫を語っていた床だった。「あそこは、私の寝床なんです」。

文楽ならではの場面は、とりなしの巧みな者が、旦那の機嫌を直してゆくところである。とりなしの巧みな者と言いながら、旦那のご機嫌が次第に直ってゆく間、噺の会話には登場しない。

旦那がとりなしの者の言葉に反応し、はじめは一言一言に言い訳をつけて返すが、調子のよい言葉に乗せられ、もったいをつけながらも渋々承諾する。

この長いシークエンスが旦那のひとり語り、言ってみれば、電話で受話器をもって、相手の言葉に反応するひとり台詞と同じと思えばよい。観客は旦那と一緒に気持ちよくなっていく自分に気づくのだ。文楽の十八番なかでも、傑作の名場面として記憶してよいのではなかろうか。いまでも、DVDやYouTubeで楽しめる。

文楽とは正反対のシュールな話芸で魅せる古今亭志ん生。古今亭志ん朝、橘家圓蔵(月の家円鏡)の『寝床』も忘れられない

文楽のライバルだった古今亭志ん生も『寝床』を高座にかけた。速記本などによれば、オチまでやらず、因果と丈夫な番頭一人に旦那が義太夫を対面で語りだし、1段2段で終わらず、たまりかねた番頭が逃げ出すと、旦那が見台をもって追いかけ、番頭が蔵へ逃げ込むと、窓から旦那が義太夫を吹きこんだ。蔵の中で義太夫が渦を巻き、番頭は七転八倒の苦しみ、翌日、お暇を頂戴と言って、ドイツへ飛んでいったと言ってさげた。

なんというスラップスティック(ドタバタ喜劇)な展開。志ん生ならではの噺の運びで、文楽の克明なリアリズムとは正反対のシュールな話芸である。

文楽の一点一画揺るぎない写実芸を踏襲しながら、志ん生の破天荒なギャグを加えたのが、古今亭志ん朝の『寝床』である。文楽型の旦那を丁寧に描写しながら、長屋の陽気な者たちを生き生きと描き出した。私が聴いた最後の志ん朝の高座は、亡くなる3か月ほど前の「紀伊國屋寄席」での『寝床』だった。

もう一つ忘れられないのが、橘家圓蔵の月の家円鏡時代の『寝床』。私がお手伝いしていた「月の家円鏡独演会」では、番頭の勢蔵がことのほかおかしかった。『猫と金魚』に出てくる調子が良くってそそっかしい番頭にそっくりで、長屋の連中の来られない言い訳をしゃべるのも、苦し紛れでなく、次から次へと思いついたまま速射砲の如く言葉が飛び出してゆく。とくに、豆腐屋の断り口上で、がんもどきの製造法をしゃべる件は圧巻だった。じつは、この番頭こそが蔵へ逃げ込んだ番頭ではないかと思わせるほどの面白さ。今でも、DVDやYouTubeで楽しめる。

COREDOだより 桃月庵白酒の『寝床』

さて、12月の第24回COREDO落語会では、桃月庵白酒が『寝床』をかけてくれた。この演目、師匠自ら選んだ演目である。

旦那がことのほかおかしい。ことあるごとに聞くに堪えない奇声、嬌声を張り上げ、それだけで、奇人変人そして偏執狂の素人義太夫の主人公を巧みに演出する。

人間が何かにとり憑かれると常軌を逸して、裸の王様になってしまうことを教えてくれる。会場は、ターザンにも似た旦那の稽古の声が響くたび、爆笑に次ぐ爆笑だった。

今、こんなに面白い『寝床』は、白酒以外にはないのではなかろうか。白酒の十八番の一席と言ってよい。

プロフィール

山本益博(やまもと・ますひろ)

1948年、東京都生まれ。落語評論家、料理評論家。早稲田大学第ニ文学部卒業。卒論『桂文楽の世界』がそのまま出版され、評論家としての仕事がスタート。近著に『立川談志を聴け』(小学館刊)、『東京とんかつ会議』(ぴあ刊)など。

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