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映画館の予告編は長すぎる? サブスクリプションの浸透にともなう広告モデルの変化

リアルサウンド

20/1/26(日) 10:00

 東京は立川にある独立系シネコン、【極上爆音上映】等で知られる“シネマシティ”の企画担当遠山がシネコンの仕事を紹介したり、映画館の未来を提案するこのコラム、第42回は“映画館の予告編は長すぎる?”というテーマで。

●何をもって「長い」とするのか

 映画の予告編をめぐる問題はたくさんあります。よく取り上げられるのは「ネタバレ」問題。映画の「おいしいシーン」を数珠つなぎにして観せてしまって、本編鑑賞が確認作業みたいになってしまうというヤツですね。派手なアクション映画にありがちです。こういうのは、予告編が面白さのピークであることも(笑)。

 作りがうますぎて、予告編だけで観た気になってしまうものもあります。最近なら『フォードvsフェラーリ』の第2弾予告がそんな感じでした。メチャクチャよく出来ていて、ビシッとストーリーが頭に入ってきます。ただ本編はこの予告編の満足感と予定調和の印象をはるかに上回ってくれるので、予告編だけで満足していた方は、今すぐ映画館へどうぞ。

 あとは、予告編と本編の内容が思っていたのと違う、というのもありますね。少し古いですが、僕がこの宣伝プロデューサー天才か、とほとほと感心したのが『ローマ法王の休日』です。これナンニ・モレッティ監督作品なわけです。素晴らしい作品ですが、はっきり言って、コアな本格映画ファン向けの監督です。普段ハリウッド映画とか話題の邦画を楽しんでいる方が観て、面白いわけがありません。

 ところがポップなタイトルへの変更、キュートなポスターデザイン、ライトでユーモラスな予告編で、僕のいるシネマシティでも100席クラスの劇場で満席が頻発するほどに大ヒット。『青春のくずや~おはらい』『親愛なる日記』の監督の作品を、シネコンで満席にすることもできるという、これは宣伝する側から観た好例中の好例でしょう。ダマされたお客様はたまったもんじゃないでしょうけど(笑)。

 さて予告編は様々な観点から語れるものですが、今回取り上げるテーマは、映画館での予告編のあり方についてです。映画館での予告編というと「長い問題」が最も話題になるテーマでしょう。ただこの問題を、普遍的に語るのは非常に難しいですね。まずそもそも何をもって「長い」とするのか。

 判断要素のひとつは、映画館に、もっと言えば同じ映画館に、どのくらいの頻度で行っているか、ということでしょう。長く感じる要因のひとつは、すでに観たことがある映像、もちろん映画の予告編だけでなくCMやマナー映像を含めてですが、これが続けば長く感じます。年に1回や2回しか映画館に行かない人や、その映画館で観るのが初めてならば、すべての映像が新鮮ですから、20分近かったとしても、まあなんとか耐えられなくもありません。逆に同じ日に2本とか、翌週に同じ劇場で観た場合は、ほぼ同じ映像を再び観ることになり、これは10分でも長いということになるかも知れません。映画の予告ならば、その作品に興味があるかないか、というのも大きいですね。

 特殊例ですが『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の時は全国の映画館で予告編の無料上映会が行われたこともありました。そして結構なお客様が集まりました。こうなると長いも短いもありません。お金を払ってでも観たい、というファンがいる作品もあります。お客様の興味のあるなしは、予告編の編成の問題でもあります。

 本編と関連性があったり、ターゲットが似ている作品の予告を流せば、むしろもっと色々観たい、という方も現れるのではないでしょうか。

●映画館の「広告宣伝」いつまでもつ?

 ただ、アニメだからアニメ作品の予告ばかり、ミュージカルだから音楽系作品ばかり、壁ドン胸キュン映画だからそれ系ばっかりの組み方では、ざっくりすぎると思います。こういうのはいわゆるネットショップの自動で表示される「おすすめ商品」とか「この商品を買われた人はこれも合わせて買っています」的で、大きな失敗はなくても面白みに欠けます

 出演者が共通している、制作陣が共通しているのは当然として、ジャンルを越えてもテーマが共通している、インスパイア関係にある等、映画ファン的視点を持ち込むと、予告編もエンタテイメントに出来ます。シネマシティは「映画ファンのためのシネコン」を標榜しているので、可能な限りこの手のネタを仕込んでいます。

 映画の予告編はまだいいけど、「シネアド」と呼ばれる映画と関係ない企業CMや映画館の売店商品や会員勧誘CMがイヤだ、という方も多いでしょう。そこそこ長期間に渡って同じものが流され続けることもあって、ストレスを感じやすいものではあります。それこそ「タケモトピアノ」のように、十何年も続ければそれはそれで、その映画館になくてはならないモノのひとつにもなるかも知れませんけど。

 ……実際、20代の方はご存知ないかも知れませんが、フィルム上映時代、つまり2010年頃までは、昭和にタイムスリップしたみたいなCMがよく流れたものです(笑)。田舎だけの話じゃないですよ、日比谷のあそことか、渋谷のあそこでも。

 さてこれらを踏まえて、そろそろ今回取り上げるテーマの本質にせまっていきます。テレビでCMが流れるのが当たり前ということもあって、映画でもなにかしら宣伝がついてくることにさほど違和感を覚えることはありませんが、この感覚、果たしていつまでもつの? というのが僕の疑問です。

 テレビよりもネットを見ている時間がどんどん右肩上がりに増えてきていて、そっちの感覚のほうが一般的になりつつあるのが現状です。いや、YouTubeでもCMバンバン流れるでしょ、と反論があると思いますが、それは無料視聴の場合です。

 いわゆる「広告モデル」と言われる、観たり聴いたり使ったりは無料、ただし広告入ります、というのがネットのサービスの主流です。テレビもこのパターンですね。とりわけ映像を観るということに関しては、まだまだこの「広告モデル」利用者が圧倒的主流なので、今のところほとんど誰も問題にしていないかも知れませんが、じわじわと「サブスクリプションモデル」が浸透しても来ています。

 ネットの感覚だと「課金すれば広告排除」が一般的です。アプリでも音楽でも同様ですね。YouTubeもプレミアムに入会すれば、広告は入りません。Netflixやhuluも同様です(ただしAmazonプライム・ビデオは番組CMとか予告編が入るんですよね。これは特別に会費が安いからでしょうか?)。この感覚が浸透してくると、映画館というのは入場料を取る「課金サービス」なわけです。予告上映時間が長いとか短いとかいう以前に、広告の存在自体に疑念が生まれてきます。

 一般的に「え、課金しているのに、なんで広告流してるの?」となるのに、どれくらいの期間が残されているでしょう。最近はほとんど見ない気がするのですが、以前はセルのDVDやビデオに、その作品のものではない、宣伝の予告編が入っていることがありました。これは最初から相当違和感がありましたね。何千円か出してこっちは買っているのに、なんで関係ない予告編が入っているのかと。

 レンタル商品ならまだわかるんですよ。たった数百円で観られているわけだし。でもセルはダメでしょう。これは当時もかなり評判が悪かったので、なくなってきたのだと思います。……ただ、正直これも今、15年とか20年経って見直してみると、むしろ時代を感じられてありがたい気もしてくるのは、映画ファンの悲しい性なんでしょうか(笑)。

 10年もさかのぼれば、映画の予告編をちゃんと見られる場所は、ほとんど映画館でだけでした。テレビでも流れましたが、それは30秒とか長くて60秒とか、短いものです。なので映画館での予告編は映画ファンにとって超貴重な情報源だったのです。テレビで流れるようなのは、たいてい大作モノですしね。特に渋谷や新宿、日比谷や銀座あたりのミニシアターが集中してあった地域では、バーターで近隣他館の作品の予告も流していたので、20分くらい予告があるのが当たり前でしたが、どんな情報も見逃すまいと目をこらしていたものです。

 ですが、ここ7~8年で、それこそYouTubeの普及によって、パソコンやスマホでいつでも予告編が観られるようになったわけです。映画の宣伝は大きく様変わりしました。ですので同じモノを観せられる、という話題で言えば、同じ劇場ではなかったとしても、観たことがあるものばかり見せられるという状況にもなり得るわけです。

 その作品を観に来ているお客様に合わせた予告編成の話で言えば、表面的な単純編成では、そこにいるお客様はすでにその予告編をネットで観ている可能性が高いということです。これでは、あまり宣伝になっていません。そしてこういう状況だと、シネアドが悪目立ちし始めるわけです。「課金は広告排除」感覚の促進につながります。

●灯りが落ちたら本編開始がベスト?

 このコラムではよく映画館は演劇やコンサートのあり方に近づきつつある、と書いています。それでいうと、演劇やコンサートで、場内の灯りが落ちたあとに宣伝が始まることはまずありません。ただし音楽系だと、始まる前に大きなスクリーンや常設のモニタでCMが流れているのはよく見ます。アリーナとかドームとか、主に大きな会場ですね。ブルーノートとかビルボードライブのようなハコでもずっと流していますね。

 演劇では、規模が大きな作品の場合はCMも流れることはありますが、宣伝のメインは入場時に渡される大量のチラシでしょうか。この流れに沿うと、予告編を流すのは入れ替え中だけ、ということになるかも知れません。今も入れ替え時間に予告編を流す映画館はありますが、たいてい場内灯が落ちてからも流しています。

 未来には、入れ替え中には流しても、灯りが落ちたら流さないのが常識になるかも知れません。これが予告編やCMは流したいし、楽しみにしている人もいる、というところと「課金は広告排除」感覚との折衷案になる気もします。

 映画館としては、この未来、ありがたい側面もあります。より上映回数を増やすには、予告編上映は短いほうがいいに決まっているからです。たとえば20分も流したら、1日5回上映だとすると1時間40分にもなるわけです。これを全カットできるなら、短めの作品をあと1回増やせます。増やせなくても、早くなりすぎ、遅くなりすぎの上映時間をもっとうまく調整できます。

 こういう未来はまだ数年は来ないでしょうし、そもそも来ないかも知れませんが、想定はしておいても良いでしょう。珍しく、僕からの新アイディア、新提案はありません。問題提起のまま終わります。

 ただ、ひとつ言っておきたいことがあります。どんなことも、当たり前ではない、ゼロベースで考える必要がある、ということです。そこからしか生まれないことがあります。

 You ain’t heard nothin’ yet !(お楽しみはこれからだ)

(文=遠山武志)

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