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演者の個性と時代性が強く表れる? 歴代大河ドラマで描かれた帰蝶像

リアルサウンド

20/7/26(日) 6:00

 大河ドラマ『麒麟がくる』(NHK総合)は、織田信長(染谷将太)を裏切った悪役として描かれてきた明智光秀(長谷川博己)を主役にすることで、戦国時代を語り直そうとする意欲作だ。

 今川義元(片岡愛之助)を倒した「桶狭間の戦い」以降、放送休止となっている本作だが、前半の見どころは新しい切り口で描かれた信長と、その妻・帰蝶(川口春奈)だろう。

【写真】染谷将太演じる信長の変貌

 『麒麟がくる』の信長は、歴代大河の中でもっとも不気味な存在だ。演じるのは染谷将太。映画『バクマン。』や連続テレビ小説『なつぞら』(NHK総合)で天才を演じた染谷は、それらの作品で演じた不気味な天才像を信長に持ち込んでいる。

 染谷・信長は、戦の天才だが母親に愛されなかったことをコンプレックスとして抱えており、やることなすこと不安定。そんな信長に対して帰蝶は母親として振る舞うことで、アンバランスな信長を、裏側から支えるプロデューサー的存在へと変わっていく。

 何より面白いのは、信長を見る帰蝶の眼差しだ。

 信長の奇行をキモいと思っているが、その感情が顔に出さないよう必死で取り繕う一方で「母性のようなものを感じている」という複雑な表情を、川口は見せる。

 そもそも帰蝶とはどんな女性だったのか?

 彼女は「美濃の蝮(マムシ)」と呼ばれた斎藤道三の娘で、道三の気質を受け継いだ木の強いお姫様。時代小説や大河ドラマでは濃姫の名で広く知られている。ただ具体的にどういう人だったかというと資料は少なく、明智光秀の従兄弟であることとも光秀の出自自体に不明な点が多いこともあり、真意は定かではない。

 晩年に関しても、子宝に恵まれなかったため、道三が亡くなった後で信長と離縁したという説もあれば、信長の死後も生き延びたという説もある。明治時代の浮世絵「本能寺焼討之図」(楊斎延一:作)には、本能寺で薙刀を持って戦う帰蝶の姿が描かれている。しかしこれは後に小説などで描かれた創作である。

 つまり、実在したことは確かなのだが、具体的にどういう人だったかは不明な点が多いのだ。そのこともあってか、歴代の大河ドラマに登場した帰蝶には、演者の個性と時代性が強く表れる。

 例えば、信長を高橋英樹、光秀を近藤正臣、秀吉を火野正平という若手俳優陣が大抜擢された1973年の『国盗り物語』は、田中角栄の日本列島改造計画を背景にした高度経済成長の荒々しい勢いが刻印された大河ドラマだ。本作で帰蝶(濃姫)を演じたのは松坂慶子で、マムシの娘にふさわしい強さと大人の色気を見せており、本能寺の変では薙刀を振り回して戦う姿も再現されている。

 『麒麟がくる』の帰蝶は元々、沢尻エリカが演じる予定だったが、もしも沢尻・帰蝶が実現していたら松坂・帰蝶のような存在感を見せていたのかもしれない。ある種、帰蝶のスタンダードと言えるだろう。

 一方、1992年の『信長 KING OF ZIPANGU』で帰蝶を演じたのは菊池桃子。こちらは現代人が共感できる等身大のお姫様といった感じである。信長役の緒形直人を筆頭に民放の若者向けドラマで活躍する俳優が多数出演していたこともあってか、菊池・帰蝶は当時の恋愛ドラマのヒロインのようで、なにかあるとすぐに信長とケンカする。里帰りを許してくれない信長に対し「この帰蝶は、未だに人質なのでござりますか!」「このお城に閉じ込めたまま死ぬまで出さぬおつもりにござりますか」と信長に激高する場面を見ていると、現代の夫婦ゲンカみたいである。

 帰蝶には男勝りの強さだけでなく、正室(正妻)だが子どもがいない境遇に苦しんでいたという弱い部分を抱えており、菊池・帰蝶は後者の部分が強く打ち出されていた。おそらく大河ドラマに現代的な女性の悩みを持ち込むことで恋愛ドラマを観るようなF1層を取り込もうとしたのだろう。

 仲間由紀恵が山内一豊(上川隆也)の妻・千代を演じた2006年の『功名が辻』は、信長を舘ひろしが演じ、帰蝶を和久井映見が演じた。和久井・帰蝶はビジュアルこそ菊池桃子が演じたかわいいお姫様だが、思考は松坂・帰蝶に通じる男と対等に渡り合う強い女というハイブリッドタイプ。「戦のことはわかりません」と一歩引いた姿勢を見せながらも、要所々々で的確な助言をする頭のキレる女性で、彼女もまた本能寺の変で薙刀を持って戦い、最後は討ち死にする。

 つまり、帰蝶の持つ二面性(強さと弱さ)がしっかりと描かれていたのが和久井・帰蝶だったと言えるだろう。

 男まさりの気の強さと、女としての弱さ。この両極で揺れる姿こそが帰蝶の持ち味だと過去の大河ドラマを観ているとよくわかる。

 対して『麒麟がくる』の川口・帰蝶は、とてもニュートラルだ。彼女は普通のお嬢さんで、生き残るためにあえて母を演じている。その姿は信長を影から操っているようにも見えるが、母として振る舞うことと引き換えに彼女が傷ついていく姿も描かれている。

 果たして川口・帰蝶は「本能寺の変」をどのような形で向かえるのか? 8月30日からの放送再開が楽しみである。

(成馬零一)

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