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東京オリンピック延期は“物語の世界線”も変えたーー『東京ホロウアウト』は“今”読むべき小説だ

リアルサウンド

20/5/21(木) 10:00

 世界線が変わり、現実に即した物語が、一瞬にして虚構の世界の物語に変容することがある。もっとも最近の例でいえば、東京オリンピックを題材にした作品だ。昨年あたりから、今年の7月から8月にかけて開催される予定の、東京オリンピックを何らかの形で扱った物語が増えてきた。ところがコロナ禍により、オリンピックの延期が決定。その瞬間に、オリンピックが開催される物語は、すべて別の世界線の話になってしまったのだ。『東京ホロウアウト』も、そのような一冊といっていい。だが、世界線が変わっても、本作を読む価値はある。現在の日本の状況を先取りしたような、内容になっているからだ。

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 オリンピック開催間近の東京。奥羽タイムス東京支社に、オリンピック開催日に東京にいるトラックの荷台で、シアン化水素ガスを発生させるという不審な電話がかかってくる。その後、燕エクスプレスの配送トラックから、シアン化水素ガスが発生。オリンピック特派員として、東京支社に駆り出された記者の塚口文人は、その電話を受けたことから、事件に関わることになる。

 一方、長距離トラックドライバーの世良隆司も、この事件に深く関係することになる。彼と、ハマさんこと浜口義三、トラこと岩坂巧、エツミこと本郷恵津美。4人は会社の垣根を越えた、トラッカー仲間だ。しかしガス発生の事件を引き起こしたのは、ハマさんであった。そのことを知った世良は、姫トラッカーであるエツミと協力して、ハマさんを発見。警察に自首させる。

 疎遠になっていた弟で、警視庁オリンピック・パラリンピック競技大会総合対策本部警備担当の梶田淳警部にも連絡をし、世良としては一件落着のつもりだった。しかしこれは、一騒動の始まりに過ぎない。道路やトラックを狙ったテロが相次ぎ、物流が滞ったことで、東京は機能停止に陥ろうとしていた。一連の騒動を引き起こした犯人の目的は何か。梶田警部の捜査が続く。そして世良たちは、東京の物流を守るために、トラックを走らせるのだった。

 コロナ禍により緊急事態宣言が出され、人々の生活は大きく制限された。幸いにも私は家で出来る仕事なので、それほど影響は受けていない。仕事で使う本に関しては、比較的大きな書店が閉まっていて、ちょっと困ったくらいだ。ただ、ネットで注文すれば宅配で届けてもらえたので、それほど慌てる必要はなかった。その他にも食料品を頼んだりと、宅配大活躍である。ありがたいと思うと同時に、もし物流が途絶えたら、とんでもないことになっただろうと戦慄した。

 その物流の危機が、本書で描かれている。テロにより物流が滞った東京。人々は買い占めに走り、スーパーからは商品が消える。これはコロナ禍のときの、マスクを始めとする一部の商品の状況と一緒である。また、ゴミの回収に問題が出た点も、現実を先取りしていた。高度に複雑化した現代社会を踏まえ、それが崩壊したときに、どのような問題が噴出するかシミュレートする。そのリアルな結果を、本書は突きつけているのである。今の私たちは、ここで描かれたことが、どれほど現実的か、納得せざるを得ないのだ。

 しかし作者は、混乱した首都に希望を与える。代表になっているのが、世良たちトラッカーだ。テロに立ち向かうなどという、大袈裟なことは考えていない。ただ、人々の生活のために荷物を運ぶ。その心意気が気持ちいい。

 いや、トラッカーだけではない。スーパーの店長や、食堂の主人……。困難な状況だからこそ、誰かのために行動する。必死になって働く。現場で頑張るたくさんの人がいるからこそ、東京は破滅を乗り越えるのである。たしかに描かれていることは理想かもしれない。しかしフィクションが理想を語らないでどうするのだ。作者の希望と祈りが、ここに込められているのである。

 もちろんミステリーの部分も、読みごたえあり。梶田警部たちの捜査により、一連の事件の意外な真実が明らかになる。また、過去の経緯から疎遠になっていた世良と梶田警部が、しだいに兄弟の絆を取り戻していく様子も、注目ポイントだ。面白いエンターテインメントでありながら、現在の日本について深く考えたくなる。まさに“今”、手に取るべき作品といえよう。

(文=細谷正充)

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