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片桐仁の アートっかかり!

版画やポスターなど19世紀末の最先端アートが刺激的! 『1894 Visions ルドン、ロートレック展』

毎月連載

第23回

『1894 Visions ルドン、ロートレック展』(1月17日(日)まで)が開催されている三菱一号館美術館を訪ねた片桐さん。本展を担当した学芸員の安井裕雄さんの解説で、1894年前後の作品を鑑賞してきました。

1894年を軸に名画が集結!

片桐 この美術館、建物がものすごくかっこいいですね!

三菱一号館美術館外観

安井 三菱一号館美術館の建物は、英国人建築家ジョサイア・コンドルの設計で1894年に建てられた三菱一号館を復元したものなんです。当時と同じようにれんがを積んだり、解体したときに保存しておいた部材を使うなど、明治時代の原設計に忠実に復元しています。

片桐 当時から美術館だったのですか?

画面中央 三菱一号館美術館学芸員安井裕雄さん

安井 明治時代はオフィスビルとして使われていました。その前はこのあたりは軍の練兵場だったんですよ。その土地が一括して払い下げられ、開発されました。霞が関が官庁街、兜町が金融の街、銀座が商業の町、そして丸の内にはオフィス街という感じですかね。

当時は、建物の一部は銀行としても使われていて、現在ではCafé 1894になっています。展覧会のタイトルにある1894年は、この三菱一号館が竣工した年。本展はこの1894年前後のアートシーンの特徴を、ルドンやトゥールーズ=ロートレックを軸に展観していこうとしています。

片桐 だから重厚な雰囲気なのですね。この建物と内装だから、絵も一層引き立ってる感じがします。ルドンとロートレックとタイトルにありますが、最初の部屋には結構有名な画家たちの作品もたくさんありますね。ルノワールやモネなど教科書に出てくる有名な画家たちの作品も…。

安井 1894年を語る上で、やはりその前になにがあったのかを語る必要があると思うんです。第1章の「19世紀後半、ルドンとトゥールーズ=ロートレックの周辺」では、美術の歴史を大きく変えた印象派の画家たちを紹介し、ルドンやロートレックらへ与えた影響について考えていきます。1894年から遡ること20年、1874年が第一回印象派展でした。当時の美術潮流を見て、1894年へ向かいます。

片桐 やはり、印象派はあとに続くアーティストたちに大きく影響を及ぼしていたんですね。

モネやルノワールが並ぶ第一章の展示風景

安井 そのなかでも興味深いのはピサロ。彼は全部で8回行われた印象派展にすべて出品した唯一の画家です。モネやルノワールより10歳ほど年上なんですが、とても柔軟な考えの持ち主で、ミレーなど当時の大先輩の影響もうけつつも、新しい表現や技法を学んで実践するのも積極的。版画ならば、自分で版をつくるところから、プロの版画工房からプレス機を譲り受け、版画を刷るところまでしているんです。なかなか成功せず、故郷の南仏に戻ってしまったセザンヌをパリの画商アンブロワーズ・ヴォラールに紹介したり、世話好きでもありました。

ピサロが《窓から見たエラニーの通り、ナナカマドの木》を描いた当時は、点描で知られるシニャックやスーラの影響を受けて、自分も点描にチャレンジしているんです。また、ゴーギャンに絵を教えたりもしていました。ゴーギャンはピサロの後を追うようにして版画も制作するようになるんですね。

カミーユ・ピサロ《窓から見たエラニーの通り、ナナカマドの木》 1887年
カミーユ・ピサロ《窓から見たエラニーの通り、ナナカマドの木》 部分

片桐 本当だ。点描で描かれている。じっくり見ると面白いですねえ。そして、エミール・ベルナールの《ポン=タヴェンの市場》、この作品も面白い。このヒモみたいなやつ、なんなんだろう? なんでわざわざ顔の前に垂らしてるんですかね。

エミール・ベルナール《ポン=タヴェンの市場》(1888)
クロード・モネ《草原の夕暮れ》(1888)

安井 私も知りたいですね。お祭り用の装飾だとは思うのですが……。エミール・ベルナールという人は、ゴーギャンと一緒にクロワゾニスムという、輪郭線をしっかりと描く様式を始めた人なんです。隣りにあるモネの作品は、同じ1888年に描かれた作品。輪郭線のないモネの作品と見比べると、その違いがはっきりと分かるかと思います。輪郭線のなかをべったり平面的に塗っていく、これは印象派の後の世代としてみると大転換点になってくるわけです。ベルナールのほうがこの描き方を始めたのは早かったんですが、ゴーギャンのほうが抜群にセンスが良くて、アーティスティックにしてしまったもので、ベルナールの存在感は次第に薄くなり、ゴーギャンはカリスマ的存在になっていくんです。

第2章「NOIR—ルドンの黒」

オディロン・ルドン《骸骨》(1880頃)《悲嘆》(1893頃)《ダブル・プロフィル》(制作年不詳)

安井 このような時代背景があって、ルドンやロートレックが台頭してくるんです。1840年生まれのルドンのデビューは1879年。他の画家よりも遅く、39歳のときでした。ルドンは若い頃一度パリに出て、歴史画で知られるジャン=レオン・ジェロームという画家の下で学んでいたんですが、挫折して帰郷します。そして郷里で放浪の版画家のルドルフ・ブレスダンに銅版画を学びます。

片桐 現在でもちょっと怖い感じがするから、当時の人も驚いていたでしょうね。

安井 そうですね、当初は全然売れませんでした。ルドンは作風は暗いのですが、本人は非常に社交的で友達が多かったので、いろいろな友人に予約購入してもらったり、つてをたどってインフルエンサーに渡していたところ、それが小説家のユイスマンスに見初められて、1884年に小説『さかしま』で取り上げられ、注目されるようになったんです。

オディロン・ルドン《『夢の中で』Ⅷ. 幻視》(1879)

片桐 友達が多いのは意外。それにしても奇妙な作品が多いですね。

安井 この《ダブル・プロフィル》という作品も不思議ですよ。人にしか見えないけれど、首元を見ると彫刻の台座になっている。タイトルは「二重の肖像」という意味なんですが、人と彫刻という含意もあると考えています。

オディロン・ルドン《ダブル・プロフィル》製作年不詳

第3章 「画家=版画家 トゥールーズ=ロートレック」

安井 そして、こちらがこの展覧会のもうひとりの主人公、トゥールーズ・ロートレックです。ロートレックは伯爵家の嫡男で、父親の許可を得て絵の勉強でパリにやってきます。しかし、モンマルトルの夜の街にどっぷりつかり、この界隈の人々を描くようになりました。アリスティド・ブリュアンは、当時有名だった民衆歌手であり、キャバレー「ル・ミルリトン」のオーナー。ロートレックは彼の姿を何度も描いています。アリスティド・ブリュアンの歌声は録音されていて、展覧会の音声ガイドや同時発売のCDでも聞くことができます。こちらは、ものすごくリアルな下絵と、それを元にしたポスターです。

片桐 紙に油彩で描いてる。すごいな。

安井 下絵のつもりで捨ててしまうくらいの勢いで描いたんでしょうけど、完成度が高かったので残ったのかもしれませんね。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《アリスティド・ブリュアン、彼のキャバレーにて》(1893)

片桐 有名なポスターでみると恰幅がいいように見えますが、別の作品だと、けっこうシュッとした方なんですね。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《『ルイ13世風の椅子のリフレイン』(アリスティド・ブリュアンのキャバレーにて)》(1886)

安井 彼のトレードマークであるマフラーと外套がボリュームがありますからね。この作品はロートレックが描いた、アリスティド・ブリュアンがお店で客をあしらっている場面。ブリュアンの左後ろ下にいる男性がロートレック自身です。キャバレー「ル・ミルリトン」は、その前の「シャ・ノワール」という、これもまた有名だったキャバレーの後に入ったのですが、前の店主が忘れていったルイ13世様式の椅子を逆さ吊りにして店の装飾にしちゃったんです。ブリュアンの右側にある逆さの椅子がそれです。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《『ルイ13世風の椅子のリフレイン』(アリスティド・ブリュアンのキャバレーにて)》(1886)部分 右上に逆さ吊りにしたルイ13世様式の椅子が描かれている

片桐 古めかしい椅子を逆さ吊りにして内装にしちゃう。かなりアバンギャルドですね。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《『ルイ13世の椅子のリフレイン』(アリスティド・ブリュアンのキャバレーにて)》(1886)部分 写真中央にTréclauのサインが

安井 そういう前衛的な姿勢が支持を集めていたんでしょうね。ちなみに、ロートレックは盛り場に出入りしていたことが郷里の父親にばれると困るので、絵を描くときは変名を使うこともありました。この作品のサインもLautrec(ロートレック)と書くところをTréclau(トレックロー)としています。

片桐 うわ、安直! バレたくないならもっとひねった名前にすればいいと思うんですが。

安井 ブリュアンはロートレックの才能を買っていたので、他のお店に出演するとき、ロートレックにポスターを描かせるよう要求したりもしています。

片桐 愛されていたんですね!

第4章「1894年 パリの中のタヒチ、フランスの中の日本」

安井 そしてロートレックがメインの章です。

片桐 見たことあるものがいっぱいある! このポスターなんて本当に大きいですね。これを町中に貼るんですか。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ムーラン・ルージェ、ラ・グーリュ》(1891)

安井 この作品はロートレックがポスター制作でデビューしたときの作品ですね。これは定型の紙におさまらず、紙をつぎ足して印刷しています。そのため、このポスターは1枚で紙を合計3つ使っています。デビュー作ゆえ、ポスターのルールを無視しちゃって規格外のものができあがってしまった。これ以降は、きちんと定型にあわせて制作するようになりました。

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《シンプソンのチェーン》(1896)

片桐 そんなこともあるんですね。やはりロートレックも少しずつ学習して洗練されていくんだなあ。この自転車のポスターもかっこいい。先を走る選手の流し目がいい。

安井 「やなやつが来たな〜」って顔していますね。追い上げているのは有名なサイクリストだったそうです。この作品はシンプソンという自転車のチェーン会社のポスターなんです。

片桐 そのわりにはチェーンが割とざっくりですね。

安井 じつは、ざっくりすぎて不正確だっていうので注文主に拒否られてしまったバージョンがもう一つあったりするんですよ。
ロートレックは文字を入れるセンスにすごく長けているんですよね。

安井 ロダンやロートレックが版画で自分たちの世界を広げようとしていたころ、もうひとり版画をもって創作世界を広げようとしていたのがゴーギャンです。

片桐 ゴーギャンも版画をやっていたんですね。先生のピサロも版画をやっていたし。

安井 かなり精力的に制作していますね。ゴーギャンは、株の取引で成功し、その潤沢な資金をもって画家に転身したのですがすぐに窮乏生活に。その後は好評に転じ、絵の売り上げでタヒチにわたった。しかし、資金が尽きてしまったので一旦パリに戻ったんです。もう一度個展を行って絵を売り、タヒチへの旅費を作ろうと思ったのですが、今度はあまり注目されず、絵も売れませんでした。そこで、ゴーギャンは「タヒチそのものをもっと知ってもらう必要がある」と、木版画でタヒチをモチーフにした作品を制作したんです。完成版はルイ・ロワというプロの版画家に刷ってもらうこともありましたが、ゴーギャンは自分でも刷ってたんですよ。

ポール・ゴーギャン《「ノア ノア」ナヴェナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)》 自摺り(1893-94)部分
ポール・ゴーギャン《「ノア ノア」ナヴェナヴェ・フェヌア(かぐわしき大地)》 ルイ・ロワ版 (1893-94) 部分

片桐 たしかに、プロの摺り師はやっぱり違うな。作品が並んでいるとよくわかります。ゴーギャン、とかげのオレンジなど版がずれまくってますね。

安井 実は、この版画に登場するタヒチの牧歌的な風景も、この時期にはもうなくなりつつありました。なので、ゴーギャンは版画にボケて、ぶれて、薄れていっているイメージを版画に込めているんです。

片桐 そういう意図なら版がずれていても問題なさそう。

安井 この作品が出たのもちょうど1894年。この年はいろいろなものの転換点だったんですね。

第5章「東洋の宴」

片桐 いきなり、日本に舞台が移りましたね。そして、この不思議な絵、なんだこれは。

山本芳翠《浦島》(1893-95頃)
山本芳翠《裸婦》(1880頃)

安井 山本芳翠という画家の《浦島》という作品です。そのとなりが同じく山本の作品で国の重要文化財にも指定されている《裸婦》。山本という人は、1878年に開催された万博のためにパリを訪れ、その後ルドンとも学んだジェロームという画家に師事するんです。約10年の滞在の間に、法律を学びにフランスに留学しにきた黒田清輝の才能を発見し、画家に転向させるという偉業(?)も成し遂げたんですよ。

山本はパリ滞在中にたくさんの作品を描き、帰国に際しその作品を持ち帰ったんですが、その作品を積んだ軍艦が東南アジアの海の上で消息を経ってしまい、現在も見つかっていないんです。そのため、山翠のパリ滞在中の作品は本当に少ない。そのなかでも《裸婦》は数少ない作品の一つなんです。

片桐 なんと不運な。《裸婦》も神秘的ですが、《浦島》もかなり不思議な絵だ。中央の男性が浦島太郎なんですかね。手に螺鈿細工の玉手箱を持っている! 右側にいるおじいさんとイルカもユーモラス。トリトンのような世界観ですね。乙姫様の背後にうっすらと描かれている竜宮城もエキゾチック。

安井 《浦島》は1893年から95年の作品です。

片桐 細部まで描きこんでいてすごい。レンブラントみたいな光の当たり方ですね。

安井 光をまんべんなく当てるのは、ジェロームから学んだアカデミズム臭ぷんぷんの表現ですね。西洋には「凱旋図」というパレードの図が伝統的にあるのですが、それから学んでいるという説もあります。それに加えて、日本では阿弥陀如来が亡くなる人を迎えに来る「来迎図」というものもありますが、それを下敷にしているという説もある。

片桐 なるほど、いろいろな見方ができるんですね。

安井 当時、アーネスト・フェノロサと岡倉天心によって、日本画が称揚されている時代でした。東京美術学校(現在の東京藝術大学)ができたとき、洋画科がなかったんです。そこで、洋画家たちが集まって明治美術会という団体を作り、洋画が日本画に負けていないということをアピールしたかったようです。ちなみに、この竜宮城はパリの万博会場のパビリオンで、異国から帰る浦島を自分に重ね合わせているという説もあります。

第6章「近代—彼方の白光」

安井 最終章では、色彩に目覚めたルドンとトゥールーズ=ロートレックが亡くなった後に焦点をしぼり紹介していきます。

片桐 あんなに白黒ばかりだったルドンが、突然カラフルに、しかもかなり激しくなっていますね。いったいなにがあったんでしょうか?

安井 白黒で表現を追求すると、かなり細かいグラデーションや描写が必要とされるし、体力と集中力が必要。年齢を重ねると制作自体が大変になってしまうんです。ちなみに、ルドンがはじめて色を使った作品を発表したのが1894年なんです。1900年頃にはほとんどモノクロの絵を描かなくなりました。

片桐 やっぱり1894年ってキーとなる年なんですね。そして、この作品なんて抽象画に近い。

オディロン・ルドン《翼のある横向きの胸像(スフィンクス)》

安井 ルドンの絵の描き方って、芒洋とした形をいくつかつくっておいて、最後に輪郭線を入れて形をまとめあげている。どちらかというと、あいまいなイメージから具体的に描いていくんです。

片桐 この作品は大きい!

オディロン・ルドン《グラン・ブーケ(大きな花束)》(1901)

安井 三菱一号館美術館が所蔵するルドンの《グラン・ブーケ》です。もともと、ルドンのパトロンであるロベール・ド・ドムシー男爵の城館の食堂の装飾画として描かれました。全16点のうち15点がフランスのオルセー美術館にありまして、これはのこりの1点です。キャンバスにパステルで描いています。制作したときはおそらく世界最大のパステル画だったと思います。

片桐 剥がして持ってきたってことなんですか? パステルだと剥落とかも大変そう。

安井 そうなんですよ。ルドンは困ったことに、自分で表面を削ったりもしているので、取り扱いは本当に大変。じつは作品の一部に蜘蛛の糸がついているところもあるんです。修復家さんと相談したところ、蜘蛛の糸って、無理に外すと糸がパステルをはがしてしまうこともあるそうで、そのままにしています。修復は最低限にとどめています。

片桐 きちんと描きこんでいる作品もあるし、抽象画になるぎりぎりで止めているところもあり、ルドンって緩急ありますね〜。

安井 そこもまたルドンの魅力のひとつなんですね。

片桐 いやあ、ボリュームたっぷりの展覧会でした。同時代にいろんな画家が活躍してたんですねえ。そして油絵だけじゃなく、版画やポスターなどその当時の最先端の芸術分野で楽しんでいる。非常に刺激になりました。美術館の建物の雰囲気も素敵でした。

構成・文:浦島茂世 撮影(片桐仁):星野洋介

開催情報

『1894 Visions ルドン、ロートレック展』
10月24日(土)~1月17日(日)まで、三菱一号館美術館にて開催

関連リンク

https://mimt.jp/visions/
※会期中展示替えあり

プロフィール

片桐仁 

1973年生まれ。多摩美術大学卒業。舞台を中心にテレビ・ラジオで活躍。TBS日曜劇場「99.9 刑事事件専門弁護士」、BSプレミアムドラマ「捜査会議はリビングで!」、TBSラジオ「JUNKサタデー エレ片のコント太郎」、NHK Eテレ「シャキーン!」などに出演。講談社『フライデー』での連載をきっかけに粘土彫刻家としても活動。粘土を盛る粘土作品の展覧会「ギリ展」を全国各地で開催。

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