Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

ももいろクローバーZの歴史を紐解く 第2回:メジャーデビュー~早見あかり脱退

リアルサウンド

21/3/6(土) 10:00

  メジャーアイドルのなかでもトップ人気を誇りながら、その地位に甘んじることなく常に人々の好奇心を刺激し、全力でおもしろいことを追求し続けている、ももいろクローバーZ。そんなももクロのヒストリーを紐解きながら、あらためてフループの魅力を掘り当てていく、この短期連載。第2回は、メジャーデビューから早見あかり脱退までを振り返っていく。

「アイドル戦国時代」を象徴する「怪盗少女」の歌詞

 「いま、会えるアイドル」、「週末ヒロイン」として活動するももいろクローバーは、ライブパフォーマンスはもちろんのこと、奇抜な企画でファンとの一体感を生み、さらにグループのフォーマットのひとつにプロレスを敷くなどコア層の心理も上手にくすぐった。「アイドルだけど、アイドルらしからぬおもしろさを持っている」と誰かに話したくなるような仕掛けを仕込み、人気、実力ともに高く評価された。

 2009年8月のインディーズデビューシングルから約1年後、ユニバーサルが手をあげてメジャーデビューの話がまとまった。2010年3月3日にメジャーデビューの公開調印式が明治記念会館でおこなわれ、シングル『行くぜっ!怪盗少女』のリリースを発表。『ももいろクローバー・メジャーツアー2010 春の最強タッグ決定戦~炎の約28番勝負~』」を経て、5月5日に発売された『行くぜっ!怪盗少女』はオリコンチャートのデイリー1位、ウィークリー3位を記録した。

【ももクロMV】行くぜっ!怪盗少女 / ももいろクローバーZ(MOMOIRO CLOVER/IKUZE! KAITOU SYOUJO)

 「行くぜっ!怪盗少女」の、6人全員の名前を列挙する歌い出しはとにかくシビれた(この部分は、後の出来事にも大きな意味を持つことになる)。〈笑顔と歌声で世界を照らし出せ〉というサビは、「アイドル戦国時代」と呼ばれる現象が広がった2010年の象徴的な歌詞であり、アイドルの存在が世の中の希望になったり、多くの人にとって大切なものになったりするような、そんな明るい未来を想像させた。

 一方、マネージャーの川上アキラは自著『ももクロ流 5人へ伝えたこと 5人から教わったこと』で、レコード会社のスタッフからは別の曲が提案されたことを明かしている。「ももいろクローバーは、いろんな仕掛けを重ねてきたグループです。ですからギミックの詰まった『怪盗少女』でないとダメだと思っていました。普通の曲でいいなら、もっと歌のうまいアーティストが他にたくさんいる」と川上が訴え、同曲でのメジャーデビューにこぎつけた。

エビぞりなどアクロバティックなライブで話題に

 メジャーデビュー直前のももクロのライブは、今思い出してもゾクッとくるものがあった。メンバー、ファンのテンションはともに異様なほどカオス感があり、会場全体に熱やら何やらよく分からないものが渦巻いていた。これがメジャーに向かうアイドルの現場の勢いか、と実感できた。代名詞である「全力」を押し出してパフォーマンスするメンバー。全身全霊でエールを送るファン。双方に「ここで自分の身体が壊れても悔いはない」というほど強烈なエネルギーがみなぎっていた。

 話題となったのは、百田夏菜子の驚異的な跳躍力を駆使したエビぞりをはじめとする、グループ全体のパフォーマンス時の身体性だ。東京大学大学院准教授・安西信一は著書『ももクロの美学 〈わけのわからなさ〉の秘密』(2013年)のなかで、HMV渋谷店の店員による「このジャンプがアイドル史を更新する」という有名なコピーを引き合いに出しながら、「わが国のメジャーな女性アイドル・グループで、ここまで全力で、体全体を酷使した長時間の連続パフォーマンスを、全員で行うものはいない」と絶賛している。

 さらに同著では、読売新聞ONLINEで掲載された川上の「(ももクロとして外せないことは)練習に裏打ちされたパフォーマンスですね。どこのグループにも負けないというのはあります。体育会系のところはあります。それも地区大会レベルではなく、全国大会レベルの」というインタビュー記事を引用し、そのアクロバティックなパフォーマンスの魅力を解説。

 雑誌『Quick Japan Vol.95』(2011年)ではライター・さやわかが、「アイドルとしては尋常でないほどハードなダンスを踊り続けることで、また決められた振り付けの中で目配せ的に配置されたコミカルな動作をすることで、彼女たちはパロディ化された「いわゆるアイドル像」からはみ出して、生々しい肉体、十代の少女の現在を人々の前に描き出す」と評した。

 テレビの向こう側にいて、そして偶像と呼ばれて手が届かなかったアイドルという存在。しかし「いま、会えるアイドル」として私たちに近づいてきたばかりか、そんな彼女たちは目の前で大量に汗をかき、前髪が額にべったりとくっ付き、荒い息を吐き、実に人間的な生命力を感じさせた。ももクロの台頭は、新しいアイドル像を想起させた。

 5月30日には『MUSIC JAPAN』(NHK総合)の「アイドル大集合SP」に出演。アイドリング!!!、AKB48、スマイレージ、東京女子流、バニラビーンズ、モーニング娘。、そしてももクロのラインナップ。当時のアイドルシーンの中核として認められた瞬間だった。このテレビ出演の効果で、より多くのファンがライブにやってきたという。8月には第1回『TOKYO IDOL FESTIVAL』、『アイドルユニットサマーフェスティバル2010』にも出演した。

暗示的に見えた、ももクロのフェイクドキュメンタリー映画

 なかでも『アイドルユニットサマーフェスティバル2010』では、スマイレージら共演者のステージに川上が衝撃を受け、「出来るだけ予算を抑えて、おもしろいことをやる」というやり方を変えるきっかけになった。そして、『IPPONグランプリ』ほか人気テレビ番組を手掛けていた佐々木敦規を引き込み、以降のももクロのコンサートの演出面を任せることになった。ちなみに夏のイベントまっただなかの8月23日、ももクロはキングレコードへの移籍を発表。わずか1枚リリースしただけの移籍劇にも驚かされた。より自由度を求めたうえでの判断だと、川上は自著などで振り返っている。

 同年8月と言えば、ももクロが主演したホラー映画『シロメ』も全国公開された時期。筆者のももクロ初取材は、大阪・なんばパークスシネマで開かれた舞台挨拶だ。型にハマらないももクロらしさはこの日も発揮され、映画にまつわる話はほとんどせず(笑)、ゆるいトークを中心に、サインボール投げ、チェキ撮影会などでファンを楽しませた。あと記憶違いでなければ、大阪での舞台挨拶は満席ではなかったはず。今ではありえないことだが、人気が出ていたとは言えそれが当時のももクロと、地方におけるアイドルの状況だった。

ももクロ出演! 映画『シロメ』予告編

 『シロメ』の内容は非常に興味深いものがあった。この映画は、ももクロが本人役をつとめ、シロメ様という霊に『紅白歌合戦出場』の願いを叶えてもらうため、廃墟へ向かうストーリー。ただし、純粋な気持ちで願わなければ、災いが降りかかることに……。『紅白』出場は、ももクロが結成当初から挙げている実際の目標。そういった事実をベースに、心霊現象というフィクションを絡めていく。つまり、フェイクドキュメンタリーだ。もしグループがその後、『紅白』出場を現実のものにすれば、この映画で描かれたフェイクがフェイクではなくなる。その構造がおもしろかった。

 同作で目を引いたメンバーが、早見あかりだ。早見は6月に角川文庫夏の100冊期間限定スペシャルカバーイメージガールをつとめ、7月には映画祭「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」で主演の短編映画『飛べ!コバト』が上映。アイドルファン以外にもその美少女性が知られるようになっていた。

 『シロメ』でも、ほかの5人は素に近いリアクションをとるなか、彼女は序盤から自分なりのプランをもって演技に臨んでいることが見てとれた。白石晃士監督も彼女の才能を見抜いていたのか、早見を軸に展開する場面も多々あった。印象的だったのはラスト。白石監督の「悪魔に魂を売ってでも『紅白』歌合戦に出たいか?」という問いかけに対し、ほかの5人が「出たい」と話すなか、早見ひとりだけが変調をきたす。後の彼女の決断を知っていると、この映画の結末はどこか暗示的に見えてしまう。

早見あかり、突然の脱退発表

 2011年1月16日、ららぽーと柏の葉でのイベントで早見は、4月10日の中野サンプラザでの公演をもってグループを脱退すると発表。川上も、早見の意思を聞いたときは「想定外だった」と驚きを隠しきれず、ずっと引き止めようとしていたそうだ。筆者もさすがに「この6人だからこそ、ももクロを好きになれたのに」と落胆したことを覚えている。

 大きなショックを受けるくらい、ももクロのライブは凄まじかった。前年12月24日に日本青年館で初単独ホールコンサート『ももいろクリスマス in 日本青年館~脱皮:DAPPI~』を成功させたばかりだったし、1月10日になかのZEROホールで初披露した「Chai Maxx」は、プロレスラー・武藤敬司のポージングなどもオマージュした遊び心満点のキラーチューンでワクワクが止まらなかった。

 早見の脱退発表後もグループは加速し続けた。2月25日、SHIBUYA-AXでおこなわれた神聖かまってちゃんとのツーマンライブは、2010年代の音楽ライブのなかでもベストバウトのひとつとなった。百田はそこで観客に「私たちのことを知っている人」と尋ね、反応しなかった人たちに対して「今、手を挙げていない方は絶対手を上げさせてやる」と、これまた2010年代のアイドルシーンで最高のMCをぶちかました。

 3月11日、東日本大震災が発生する。日本全体が混乱した。3月9日発売『ミライボウル』のリリースツアー真っ最中だったが、そのスケジュールも白紙となり、早見の出演映画『市民ポリス69』の公開記念イベントなども中止に。それでもももクロは、チャリティ物販を実施するなど自分たちができることをやり続けた。

 4月10日に早見あかりはグループを卒業した。『Quick Japan Vol.95』のメンバー全員でのインタビューで、「早見あかりが抜けて、ももクロらしさがなくなってしまうことはないか?」という質問に対し、早見はこのように答えている。「なくならないと思う。だって「私がいるから」じゃなくて「みんながいるから」ももクロになってるわけだから。私が抜けることによって「みんなで六人」だったものが「みんなで五人」になってしまうけど、その五人が全力でライブをやることには変わりはないし、まったくそこは変わらないと思う」

 また同誌で百田、玉井は「終わりが見えないアイドルになりたい」、「本当に終わりがない。そうやってさらにいいものを作っていくのがももいろクローバーだと思うので」と語っている。東日本大震災で誰もが社会や生活に不安を抱えるなど未来が見えづらくなった。それでも彼女たちは世界を照らそうとし、そのまなざしは未来を見つめていた。

 そして、早見あかりの本当の意味での卒業がこの先にあることを、このときまだ誰も知らなかった。

■田辺ユウキ
大阪を拠点に、情報誌&サイト編集者を経て2010年にライターとして独立。映画・映像評論を中心にテレビ、アイドル、書籍、スポーツなど地上から地下まで広く考察。バンタン大阪校の映像論講師も担当。Twitter(@tanabe_yuuki)

アプリで読む