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遠山正道×鈴木芳雄「今日もアートの話をしよう」

映画『ある画家の数奇な運命』

月2回連載

第49回

20/10/9(金)

映画『ある画家の数奇な運命』 (C)2018 PERGAMON FILM GMBH & CO. KG / WIEDEMANN & BERG FILM GMBH & CO. KG

鈴木 今回は、現在公開中の映画『ある画家の数奇な運命』を、ご紹介していきたいと思います。ストーリーを少し説明すると。ナチ政権下のドイツで、主人公クルト少年は叔母エリザベトの影響から、絵画に強い興味を抱く。でも精神のバランスを崩した叔母は強制入院の果て、安楽死政策によって終戦直前に命を奪われてしまう。そして終戦後、東ドイツの美術学校に入学したクルトは、そこで出会ったエリーと恋に落ちるも、エリーの父親は、実はナチの元高官で、叔母を死へと追い込んだ張本人だった。しかし誰もその残酷な運命に気付かぬまま、2人は結婚。やがて、東のアート界に疑問を抱いたクルトは、ベルリンの壁が築かれる直前に夫婦で西ドイツへ逃亡し、美術学校で自分だけの表現方法を求めて葛藤する、というお話です。

遠山 この映画は、ドイツの現代美術家であるゲルハルト・リヒターの半生をモデルに制作されたんですよね。リヒターといえば、2012年のオークションで、存命の画家として最高額で落札された、現代アートを代表する作家。いまでもペインティングは一枚数十億円です。

鈴木 そんなリヒターの人生や作品に魅力を感じたフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督が、リヒターにオファーし、映画化にこぎつけたもの。当初はそう簡単にはいかなかったそうですが、なんとか説得を続け、最終的にリヒターからは「人物の名前は変えること」、「何が事実で何が事実でないかは、互いに絶対に明かさないこと」などの条件が出され、許されたそうです。それに本物の絵も使用しない、というのもあったと思いますね。劇中で使用されている作品は、リヒターの弟子で、長年アシスタントをつとめているアンドレアス・シェーンが担当しているそうです。

遠山 全部が全部リヒターの半生をもとにしているかどうかはわからないってことですね。どこまで本当のことが描かれているんだろう。

鈴木 けっこう事実に基づいてると思う。例えば父親は教師だったとか、東ドイツの美術学校でプロパガンダのための壁画を描いたとか。現在公になっている事実は、叔母の死の経緯と、義父の経歴なんだそうです。実際に、最初の妻の父はナチスの医者で、優生学的な民族浄化政策のもと、身体や精神に障害がある人を安楽死などで処分、あるいは不妊手術を施して、そういう遺伝を阻止しようとする政策に関わっていたそうです。それにリヒターの母の妹マリアンネは精神を病んでいて、この政策の犠牲となったんだけど、その義父がマリアンネの住んでいた地区の政策を仕切っていたそうです。

映画『ある画家の数奇な運命』
(C)2018 PERGAMON FILM GMBH & CO. KG / WIEDEMANN & BERG FILM GMBH & CO. KG

遠山 ええ! それってすごいこの映画の中でも重要なことだけど、リアルでもあったんだ。リヒターにとって、芸術家になる上でものすごく大きな出来事だったでしょうね。本当に数奇な運命であり、過酷な運命。私、映画の中でエリザベトの精神がおかしくなってしまうシーンは印象的でしたね。このことが映画の中ではすごく重要で、これがきっかけにクルトが画家になったといわんばかりの描かれ方。これがリアルにリヒターに起こったことかはわからないけど、もし私がリヒターだったら、「それで芸術家になる!」とはならないなと思った(笑)。

鈴木 それを入れることで映画にメリハリついて、面白くできたっていうのはあるかも(笑)。でもリヒターが言ってないだけで、もしかしたらこれもリアルかもしれないよね。だからリアルなところと、映画としての面白さをともに追求して、うまく調和が取れてる映画だなって思いました。それにリヒターが書いた『評伝 ゲルハルト・リヒター』(美術出版社 2018年)と照らし合わせながら見ると、さらに面白いと思う。

『評伝 ゲルハルト・リヒター』美術出版社 2018年

遠山 芳雄さん、私ももちろんリヒターのことは知っていますが、少しリヒターの経歴を教えてください。

鈴木 リヒターは1932年2月9日にドレスデンで生まれて、52年にドレスデン芸術大学に入学。1961年に西ドイツへ移り、ヨーゼフ・ボイスが夏学期に招聘されたデュッセルドルフ・アカデミーで絵画を学び直すために再入学します。そして1962年に、リヒターの代表シリーズである写真を用いたフォト・ペインティング作品《机》を描きます。1964年には初個展を開催し、それ以降世界的に活躍しています。

遠山 映画はリヒターが生きた時代をほとんどそのままなぞるような形で描かれているんだ。

鈴木 そうそう、個展が1966年とか少し違ったりするけど、大体一緒。でも、まだ生きている画家の半生を描くってすごいよね。没後だったらまだしも。

遠山 そういう意味でも、よくリヒターがOKしたなって思う。

ドイツの歴史の闇と光

映画『ある画家の数奇な運命』
(C)2018 PERGAMON FILM GMBH & CO. KG / WIEDEMANN & BERG FILM GMBH & CO. KG

遠山 この映画は、かなりドイツのタブーに触れていますよね。

鈴木 ナチ政権下のドイツを舞台にして、ナチズムだけでなく、共産主義や社会主義を批判してるし。

遠山 確かにナチスを描くというのは、とても勇気がいる上に、繊細に扱わなければいけないものですよね。

鈴木 それにナチ政権下の普通のドイツ人の暮らしやその苦悩であったり、ナチスに共感できずにもがいている人たちの悲哀であったり、ドイツ人側からの安楽死の現場というのも、そう大々的には描かれてこなかったですよね。

遠山 美術というのも、ナチ政権下ではいろいろ制限があり、「悪」と考えられる作品も多くありました。

鈴木 映画もクルトとエリザベトが、ピート・モンドリアンやワシリー・カンディンスキーなどのモダンアートの美術展に行っているシーンから始まるけど、そこでナチスの「芸術」に対する考えが見て取れましたね。

遠山 さっきの優生学的な民族浄化政策と一緒で、絵画作品でも、例えば草原が青で、空が緑で、と、いわゆる普通の色の見え方を描いていない作家は、障害を持っていると考えられたのがこの時代。だからそれが子孫へ遺伝していくのを阻止しなくてはならないと考えているわけです。さらに、近代芸術作品を“堕落した作品”として押収して、こんな絵を描いてはダメですって作品を“公開処刑”にする展覧会、例えば「退廃芸術展」を開催していたんだけど、それがこのシーンのモデルになっています。

鈴木 いまでは巨匠と言われるようなピカソやシャガール、ゴッホなんかはその退廃芸術の筆頭と言われて、作品をけなし、一般大衆にわかりやすく、どうしてこの絵がダメか、というテキストを添えて公開していました。みんなそれを教育として教え込まれているから、もし「好き」と思っても口に出すことはできない。制限がある美術の世界を目の当たりにし、絵描きになりたかったクルト少年は「絵描きになるのはやめた」って言うんだけど、エリザベトは「好きな絵よ。内緒ね」って告げる。

遠山 芸術をかなり利用しているのがよくわかるシーンです。そして押さえ込まれた一般市民の姿も。

鈴木 でもよくここまでデリケートな問題を描ききったな、と思いますね。

遠山 ナチスを想起させるものを有名人が身につけたりするだけで、世界的な大問題になる世の中じゃないですか。そこに切り込むっていうのは、監督としてもそうとうな勇気が必要だったでしょうね。

鈴木 実際に批判や脅迫がたくさん届いたそうです。

遠山 そうでしょうね。でも、この冒頭のたった数分だったかな、展覧会をめぐるシーンだけでもいろいろと考えさせられましたね。アートって本来は押し付けられるものじゃないじゃないですか。見方とか価値とか。でもこの時代のドイツは、ナチスと違う意見なんて言おうものなら、即処罰の対象になってしまった。ただ、なんでこんな絵を描いてるんだろうとか、どうして「死」とか「恨み」とかを表現したり、それらを連想させるものを描くんだろうっていう疑問を持つことは健康的なことであり、個人の意見として持っていていいこと。

鈴木 ジャッジは自分でつけるものですよね。もちろん世間的な一般論や、価値があるにせよ。いまそんなことされたら、誰も追随しないと思います。

遠山 そうそう、ただダメじゃなくて、そこからアリの要素も本当はあるはずなのに。国の影響がこんなにも強かったんだ、ということも痛感しましたね。あと、東と西でこんなにも違うんだって。

鈴木 東は「絵画」が優勢、西は「絵画」は劣勢ですからね。西は「絵画」なんて古いもの、という考えがありました。でもその中でクルトは絵画で成功をつかむわけです。

遠山 そこもグッときますよね。

映画『ある画家の数奇な運命』
(C)2018 PERGAMON FILM GMBH & CO. KG / WIEDEMANN & BERG FILM GMBH & CO. KG

遠山 クルトが画家になるまでにたくさんのターニングポイントがあったけど、一番はやはり叔母のエリザベトの存在ですよね。「真実はすべて美しい」という叔母の言葉を胸に刻んで、国は国だけど、自分の信じるものを貫くことにも美しさが宿るという信念でクルトはやってこれた。

鈴木 目の前のことから絶対に目をそらすなっていう意味もありますよね。あとは西に渡ってから入学した大学の教授の存在も重要。明らかにヨーゼフ・ボイスをモデルにしてるんだけど、彼のおかげでクルトは目が開いていくというか、考えがまとまっていく。そのほか、西の大学で出会った友人たちもクルトを精神的に支えてくれる。

遠山 いやあでも、どこまでがリアルなんだろう(笑)。

鈴木 そのなんかモヤモヤ感もいいんですよね(笑)。でも、歴史や芸術、そして20世紀に翻弄されたリヒターが、いかにして自分のスタイルを生み出し、成功への第一歩を踏み出したのかが描かれたこの映画は、美術だけじゃなくて、ドイツの描き方にも大きなメスを入れたと思います。ただ、映画で描かれたのは、クルトが画家としての確固たる地位を築くために第一歩を踏み出した、フォト・ペインティングの誕生まで。

遠山 これから先、どういうふうに成功をおさめていったんだろう、とかなり気になる終わり方でもありました。

鈴木 リヒターはこの映画を見てどう思ったんだろう。公式にはコメントが出てないからわかんないんだけど、特異な人生を送ったリヒター、その誕生を垣間見ることができるのは本当に面白かったですね。でもこういう特異な人生を送った芸術家はほかにもたくさんいて。例えばいま国立国際美術館で開催中の『ヤン・ヴォー ーォヴ・ンヤ』のヤン・ヴォーも4才の時に、父親の手製のボートに乗って家族とともにベトナムから逃れた。海上でデンマークの船に救助され難民キャンプを経てデンマークに移住。コペンハーゲン王立美術学校、フランクフルト(ドイツ)のシュテーデル美術学校で学んだという数奇な運命をたどっていまに至っている人。

遠山 ナチスだけじゃなく国や歴史に翻弄されてもがき苦しんだ芸術家を思い起こし、ちょっと調べてみるのも面白いかもしれませんね。いま我々はとても自由な時代に生きていて、それこそ誰でも簡単に作家になれてしまう。だからこそ、こんな時代があった、ということを若い人も知っておくべきかもしれません。

構成・文:糸瀬ふみ


プロフィール

遠山正道 

1962年東京都生まれ。株式会社スマイルズ代表取締役社長。現在、「Soup Stock Tokyo」のほか、ネクタイ専門店「giraffe」、セレクトリサイクルショップ「PASS THE BATON」、ファミリーレストラン「100本のスプーン」、コンテンポラリーフード&リカー「PAVILION」などを展開。近著に『成功することを決めた』(新潮文庫)、『やりたいことをやるビジネスモデル-PASS THE BATONの軌跡』(弘文堂)がある。


鈴木芳雄 

編集者/美術ジャーナリスト。雑誌ブルータス元・副編集長。明治学院大学非常勤講師。愛知県立芸術大学非常勤講師。共編著に『村上隆のスーパーフラット・コレクション』『光琳ART 光琳と現代美術』など。『ブルータス』『婦人画報』ほかの雑誌やいくつかのウェブマガジンに寄稿。

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