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ポン・ジュノ監督が『パラサイト 半地下の家族』に込めたリアリティ 社会との繋がりは必然に

リアルサウンド

19/12/28(土) 12:00

 第72回カンヌ国際映画祭で最高賞となるパルムドールを受賞した、ポン・ジュノ監督最新作『パラサイト 半地下の家族』が、12月27日よりTOHOシネマズ 日比谷、TOHOシネマズ 梅田にて先行公開された(全国公開は2020年1月10日)。本作では、“半地下住宅”で暮らす貧しい家族キム一家の長男ギウが、IT企業を経営するパク社長一家が暮らす“高台の大豪邸”に家庭教師として通い始めたことから、衝撃の結末に辿り着く模様が描かれる。

参考:アメリカ映画界を席巻中 『パラサイト 半地下の家族』現象を考える

 今回リアルサウンド映画部では、来日を果たしたポン・ジュノ監督にインタビューを行い、オリジナリティ溢れる物語が生み出された背景や、社会との繋がりなどについて、話を聞いた。

ーーNetflixオリジナル映画となった前作『オクジャ/okja』以来約2年ぶりという、かなり短いスパンでの新作となりましたね。

ポン・ジュノ:どうしてこんなに早く撮ることができたのか、僕自身も不思議です。おそらく、今回はシナリオを書くスピードが少し早かったからだと思います。いつもは作品を撮っている時に次の作品の構想を考えるというやり方を行っていて、頭の中で熟成させるために数年かかっているという意味では、今回も他の作品と同じなのですが、本格的にシナリオを書き始めて約4カ月で書き上げたのは、これまでの作品と比べても非常に短い期間でした。それと、ビジュアルエフェクトに関する要素もありますね。『オクジャ/okja』では、CGを使ったオクジャが出てくるシーンが約300ショットありましたし、『スノーピアサー』でも列車を取り巻く環境面でCGをたくさん使いましたが、『パラサイト』はCGに頼る部分が少なかったので、それも大きかったです。

ーーこのシナリオを約4カ月で書き上げたというのは驚きです。

ポン・ジュノ:面白いのが、『パラサイト』もこれまでの作品同様、4年ぐらい頭の中で熟成させる期間があったのですが、その当時は、物語の前半部分の構成だけが出来上がっていました。つまり、その後の展開はずっと曖昧な状態になってしまっていたんです。ネタバレになってしまうので詳細は語りませんが、ああでもないこうでもないとずっと考えていた中で、最終的にあのアイデアが頭に浮かびました。このアイデアが浮かんだ瞬間に、凄まじい勢いでその後の展開を書き上げることができたのです。

ーーいったいそのアイデアはどのように生まれたのでしょう? 何かモチーフとなる出来事があったのでしょうか?

ポン・ジュノ:僕自身、大学の頃に、裕福な家庭の中学生の男の子の家庭教師をしていたことがありました。特に勉強を教えるわけではなく、お喋りをしたり遊んだりしていたので、2カ月でクビになってしまったのですが(笑)、家族が家にいない時に、彼が家の2階や寝室を見学させてくれたんです。その時に、意図せず他人の私生活を覗き見る感覚を覚えました。他人の私生活に侵入するのはすごく妙な気分で、体験としてずっと記憶に残っていたので、その体験がモチーフになっていると言えるでしょう。また、この映画の基本的なコンセプトは、「浸透していく」「侵入していく」こと。寄生虫が宿主の体内に侵入していくように、じわじわと入り込んでいく。そこに惹かれて、貧乏な家族が裕福な家族に侵入していくというアイデアが出発点になりました。

ーーシナリオはもちろん、プロダクションデザインも非常に印象的でした。特に、物語のメイン舞台となるパク一家が暮らす“高台の大豪邸”。これはロケではなく全てセットだったですね。

ポン・ジュノ:そうなんです。ロケで探すという時間の無駄遣いはしませんでした。ロケで探してみたところで、自分が望んでいる構造の家を探し出すのは至難の業だと思っていましたし、奇跡的にそういった家を探し出せたとしても、その家を撮影のために借りるのはまた困難であることも分かっていました。それで、早い段階からセットで作るという決断を下しました。それに、シナリオを書いている段階から、基本的な構造の枠組みが頭の中にあったのです。なぜかというと、役者の動きと密接に結びついているから。たとえば、誰かが台所で話をしている時に、また誰かが階段の方でそれを盗み聞きできるような構造でないといけないわけです。玄関と階段の位置関係などもそうですね。家の中の構造がストーリーラインと深く関わりがあるので、頭の中ではどんな家であるかはほぼ決まっていました。なので、それをもとにスケッチを書いて、それを美術監督に渡して設計してもらいました。ただ、内観の美しさやインテリア、デコレーションなど、家の内部については、完全に美術監督の作品であると言えます。

ーー貧富の差を描いた作品だと、富を得た人たちが悪者であるか、貧しい人たちが狂気に陥るかが王道パターンですが、この作品はそのどちらとも言えず、根っからの悪人は出てきません。

ポン・ジュノ:現実的でリアリティのあるものを描きたいという思いが強くありました。私自身もそうですが、私たち人間は、適度にいい人であり、適度に悪い人でもある。明確に天使か悪魔かを分けることはできません。実際に私たちの人生がそうであり、私たち自身がそういう存在であるというリアルさを込めたかったのです。お話いただいたように、この映画の中に悪党や悪魔はいないですが、結果的にある結末に辿り着きます。その理由は何なのか? そして、その責任はどこにあるのか? それらの問いを、自分自身にも繰り返し投げかけていました。その答えが、まさにこの映画が伝えようとしている、深いメッセージでもあるのです。貧しい人たちのことを、暴走したり爆発したりしやすい存在だとする見方もありますが、僕は逆だと思います。裕福な人たちこそ、暴走しやすい存在である。国やシステムといったしっかりとした統制がなければ、裕福な人たちこそ暴走しやすい存在になってしまう。その様子は、アダム・マッケイ監督の『マネー・ショート 華麗なる大逆転』やマーティン・スコセッシ監督の『ウルフ・オブ・ウォールストリート』でもよく描かれていましたが、やはりしっかりとした公的な領域での、または市民社会による統制がないといけません。それが欠如すると、ドナルド・トランプのような存在が国のトップに立ってしまうという状況が生まれてしまうのです。

ーーあなたの作品はどれも社会との繋がりがとても強いですが、そのような状況を少しでも変えるために、映画でできることを模索している面もあるのでしょうか?

ポン・ジュノ:必ずしも映画が世界を変えられると考えているわけではありません。私は、映画が面白く、そして美しくあることを最優先に考えています。ただ、映画が面白く、そして美しくあるためには、その中に生きている人間をしっかり描かなければいけません。ただ、人間をしっかり描くというのは、人間“個人”を描くということではなく、人と何かの“関係”を描くこと。なので、必然的に社会との繋がりも描くことになるのです。それでも私自身は、より独特で具体的な個人の物語を描きたいとも思っているので、常にそれは忘れないようにもしています。(取材・文・写真=宮川翔)

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