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『泣きたい私は猫をかぶる』は劇場で観たい一作 アニメを通した日本の女性像の最新版に

リアルサウンド

20/7/6(月) 10:00

 Netflixにて配信されている『泣きたい私は猫をかぶる』が好評だ。劇場公開が予定されていたものの、コロナウイルス問題によってNetflixの配信に変更を決断した作品としても話題を集めている。劇場再開後も洋画や邦画は劇場公開されたものの、新作アニメ映画に関しては6月に1作も公開されなかったことを考えると、この判断も理にかなっていると言えるのではないだろうか。今回は配信形態の変更が話題となりがちな本作の魅力について迫っていきたい。

参考:志田未来×花江夏樹が振り返る、学生時代の葛藤 『泣きたい私は猫をかぶる』との共通点とは?

 今作は佐藤順一と柴山智隆が共同で監督を務めている。佐藤監督は女児向け作品で力を発揮してきており『メイプルタウン物語』『美少女戦士セーラームーン』や『おジャ魔女どれみ』『カレイドスター』など、80年代後半から多くの女児向けアニメで監督にあたるシリーズディレクターを務めている。おそらく、80年代後半以降に生まれた人たちは、女児向けアニメを通して知らず知らずに影響を受けているのではないだろうか。そのことを考えても、佐藤順一は女児向けアニメを通して日本の女児・女性像に多大な影響を与えた作家だといっても過言ではないだろう。

 今作も現代的な女性像の作品と言えるだろう。主人公のムゲは活発で独特な世界観を持つ少女である一方で、相手役の日之出は大人しくて聡明な少年という描き方がされており、女の子は大人しく、などの旧来のジェンダー像とは異なる作品となっている。同時に本作の“猫をかぶる”というタイトルと共通することであるが、学校や家族との関係性を良好に維持するために自分の本音を隠し、仮面を被ってしまう心理を捉えている。辛いことが起きたら「猫になって自由に暮らしたい」と想像するのはよくある話だが、ムゲの思いに共感する人もいるのではないだろうか。今の若者たちを描こうと意図を感じながらも、同時に仮面をかぶる、自分を演じるという世代を問わない普遍的な日本人の癖を捉えており、多くの世代に響くメッセージが込められている。

 また、脚本を務めた岡田麿里の作家性も見逃せない。『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。』など、多くの作品で子どもを主人公としながらも親との確執を捉えてきた脚本家だ。今作でもその要素が描かれており、ムゲと父の恋人であり再婚を考えている薫との関係性や、実の母への複雑な思い、日之出の将来や稼業に対する悩みなどを描いている。複雑な家庭環境の中で、親や現実世界へイライラしてしまう子どもであるムゲの目線で物語は進むものの、ネコの世界では子どもの元からいなくなってしまう母の視点も代弁されている。ムゲと日之出という男女の目線、ムゲと母という親子の目線、ムゲと猫の視線、また周囲の友人や薫の飼い猫であるキナコの目線など、多くの人の目線が描かれており、それを知ることでムゲは成長していく。

 映像表現にも着目すると、ムゲが猫の太郎に変身した後の動きが特に印象に残った。今作の難しいポイントとしては、太郎はただの猫ではなく、ムゲが変身した猫の姿という点が重要だ。太郎の動きはムゲの感情を反映したものでもあるため、単なるリアルな猫の動きをすればいいというものではない。それでいながらも極端なデフォルメや漫画的な記号表現などの方向性の描き方はされず、リアルでありながらも感情が伝わる猫の演技というレベルの高い作画が要求されているが、今作ではその点において違和感が生じないだろう。今作では猫のモーションデザインを担当した横田匡史の手によって、感情表現のみならず、それぞれの猫の歩き方が異なるなどの工夫を重ねられている。

 その動きの魅力が特に大きく伝わったのはスタートから15分ほどの、屋根に登る太郎がムゲに戻る一連のシーンだ。日之出に可愛がられて町の中を嬉しそうに動き回る太郎からは、大好きな人に愛されてうかれている人間らしい様子が伝わってくる。また屋根で仮面を落としかけ、それを拾いに走るムゲは四つん這いのように走り、まだ猫の状態が抜けきっていないことが伝わってくる。ほぼ全編にわたって動きによる感情表現もなされているため、観ていて飽きることがないのではないだろうか。

 また、物語全体のメリハリの付け方も見事だ。ムゲはとても活発な女の子であり、クラスの中でも独特な立ち位置にいることが明らかになるのだが、観客目線としても少し落ち着きがなさすぎて、そのままのテンションでいたら疲れてしまいかねない。そこで日之出の目線が入ることで物語が一気に落ち着くと共に、ムゲの様子と太郎の様子も観客に伝えることができる。そして上記の屋根のシーンに入ることで、物語の序盤が終わりを告げるのだが、この作りと映像表現には唸ってしまったほどだった。

 終盤では猫の世界が中心となるのだが、ここでは独特な町の様子や我々の知る猫の生活とは違う姿が観ていて楽しかったものの、それまで紡いできた家族や人間世界での物語が途切れてしまったような感覚があったのが少し残念だったが、全体としてはとてもいい作品だった。ただ、動きや音楽に力を入れている作品なだけに、劇場の大きなスクリーンで観た際に最も力を発揮する作品であるようにも感じられた。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う様々な問題もあり、Netflixでの配信となっているが、家庭のディスプレイや音響ではなく特別な環境である映画館で観れば、もっと感動したのではないだろうか。視聴環境の差も大きな評価の軸になるために、落ち着いたタイミングでの映画館での公開をぜひ望みたい。

■井中カエル
ブロガー・ライター。映画・アニメを中心に論じるブログ「物語る亀」を運営中。

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