植草信和 映画は本も面白い
タランティーノ・ファンの必携書ほか
毎月連載
第46回
20/8/10(月)
『クエンティン・タランティーノ/映画に魂を売った男』
『クエンティン・タランティーノ/映画に魂を売った男』(イアン・ネイサン著/吉田俊太郎訳/フィルムアート社刊/3,000円+税)
今、世界で最も勢いのある映画監督は誰か? と問われたら……デヴィッド・フィンチャー、エミール・クストリッツァ、グレタ・ガーウィグ、ドゥニ・ヴィルヌーヴ、ギレルモ・デル・トロ、ポン・ジュノ、クリストファー・ノーラン、アレハンドロ・ゴンザレス・イリャリトゥ、アルフォンソ・キュアロン……と答えよう。だがその先頭を走っているのはクエンティン・タランティーノ、だと。
“血管に映画フィルムが流れている男”タランティーノは、9作品全てで映画表現の新たな地平を切り拓いてきたからだ。
本書『クエンティン・タランティーノ/映画に魂を売った男』は、関係者の証言と資料で立体構成した究極の“エイリアン本”『エイリアン・コンプリートブック』、キングの小説・映画を多角的に解析した『スティーヴン・キング 映画&テレビ コンプリートガイド』の著者として知られているイギリスの映画評論家イアン・ネイサンの8冊目の評伝集にあたる。
ネイサンは本書の執筆理由を、「彼のこれまでのキャリアを祝福すると同時に、まだ比較的少ないと言える彼の作品同士の繫がりや繫がりのなさについての答えを、また、彼のインスピレーションとなっているあらゆるものについての答えを一気に噴き出してくれる消火栓がどこにあるのかを解析しようと試みたかった」と述べている。
生い立ちから幼年期・青年期の映画への熱狂からはじまって、どのような経緯でデビュー作『レザボア・ドッグス』を撮るに至ったのか。また、第二作『パルプ・フィクション』以降、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』までどのように映画を作ってきたのか。綿密な調査とインタビューによって“タランティーノ・ワールド”の奥深くに分け入っていく。
そして常に“自己増殖的” “アップデート”するかのように作られてきたタランティーノ作品9作に共通する本質、中心点はどこにあるのかを探るネイサン。
「途方もない自分への信念(または神に授かった才能)のゴリ押しと名声(と信頼性)を上手に利用できる能力を併せ持ったタランティーノ」の過去の偉業と、『ワンス・アポン』以降の方向を示唆している。
本書は、タランティーノ・ファンの必携書。
全文フルカラーでどのページにもタランティーノが関わった映画のポスターや撮影中のショットが並べられている“タランティーノ・ファンの必携書”だ。
『ポン・ジュノ/韓国映画の怪物(グエムル)』(下川正晴著/毎日新聞社刊/1,500円+税)
今月初旬、日本初のBlu-ray版で『グエムル/漢江〈ハンガン〉の怪物』を観た。14年前の興奮が甦り、改めてポン・ジュノの才能に驚嘆させられた。
その数日後に手にした本書『ポン・ジュノ/韓国映画の怪物(グエムル)』を読みつつ、つい先日『マンガでわかるポン・ジュノ/鬼才の半生と映画づくりの裏舞台』(飛鳥新社)を紹介したばかりなのに、『パラサイト』以降、本当にポン・ジュノは“時の人”なのだと実感する。
本書はその“時の人”ポン・ジュノ人気に便乗した本では、もちろんない。
「韓国映画100年史の中にポン・ジュノの作品を位置づけ評価するための著作である。[…]ポン・ジュノの成長史と韓国現代史の展開という両側面から複眼的に捉えながら再構成することを目指した」(はじめに)と著者の下川正晴は本書の意義を主張する。
帯文には「“オタク”はいかにして“名監督”になりえたのか。作品、生い立ちをはじめ、小説家の祖父・朴泰遠や父から受け継いだDNA、現代韓国エンタメ事情まで徹底解剖」とある。
その帯文に誇張はなく、読後、本書は我が国初めてのポン・ジュノ研究本であるばかりでなく、韓国映画と政治の関係を考察した歴史書であることが分かる。
構成は以下のようになっている。
第1章『パラサイト』の真実ー格差のエンタメ映画/第2章ポン・ジュノの正体ー世界化への「変態」/第3章ポン・ジュノのDNA-隔世遺伝と離散家族/第4章韓国映画産業の現在ー新興の文化帝国「CJエンタメ」/補章『パラサイト』備忘録。
その中で最も興味深いのは、「第3章ポン・ジュノのDNA」と「第4章韓国映画産業の現在」だ。
前者では日本ではまったく知られていなかったポン・ジュノ監督の祖父・朴泰遠が、韓国モダニズム小説の先駆者でありながら朝鮮戦争時に“越北”した有名な作家であること。その祖父の創造者としての血がポン・ジュノに隔世遺伝しているという指摘。後者ではポン・ジュノ作品の多くに投資してきたCJエンタテインメントの光と闇を解明。示唆に富んでいる。
長年、韓国映画を研究してきたジャーナリスト(元毎日新聞ソウル支局長)でなければ書けない韓国映画論考集だ。
『消えた映画館を探して~おかやま、昭和の記憶~』(鷹取洋二著/吉備人出版刊/1,800円+税)
今年3月、62歳で逝去した佐々部清監督の『カーテンコール』は昭和30年代から40年代にかけての日本映画全盛の時代を背景に、映画館で幕間芸人として生きた男の数奇な運命を描いた郷愁感溢れる佳作だった。
そのロケ地になった北九州市の「有楽映画劇場」が閉館したのは昨年6月。またひとつ昭和の映画館が消えたことに、ファンの惜しむ声が多数寄せられた。
本書『消えた映画館を探して~おかやま、昭和の記憶~』はそのように、ひっそりと消えていった映画館を記録した映画本だ。
この種の本としては『昭和の東京 映画は名画座』(青木圭一郎/ワイズ出版)『名画座番外地―「新宿昭和館」傷だらけの盛衰記』(川原テツ/幻冬舎)『東京名画座グラフィティ 』(田沢竜次/平凡社)『銀座並木座―日本映画とともに歩んだ四十五年』(嵩元友子/鳥影社)などがあるが、何れも東京の名画座が中心だった。
本書がそれらと根本的に違うのは、東京から遠く離れた岡山県の映画館史であること。そしてノスタルジックな郷愁としての映画館ではなく、“記憶遺産”として消えた映画館を記録し、後世に伝えようとしている点だ。
映画館名簿を基に地元紙の情報を掘り起こし、かつてあった146の映画館の所在地と歴史を記録していく。
著者の鷹取洋二は1944年生まれ。映画を観始めたであろう15歳前後は“日本映画全盛期”。映画館も全国に7,000館以上あった時代に思春期を送ったことになる。
「勉強よりも映画に夢中だった」高校生のとき、よく足を運んだ映画館が閉館になった。大人になって、「夢を与えてくれた映画館に再び目を向け、その記録を残したいという思いが強くなった」と本書の執筆動機を語る鷹取。
読後、『カーテンコール』の劇中で上映される『座頭市』や『網走番外地』に、観客が夢中で見入るシーンが鮮やかに甦った。
プロフィール
植草信和(うえくさ・のぶかず)
1949年、千葉県市川市生まれ。フリー編集者。キネマ旬報社に入社し、1991年に同誌編集長。退社後2006年、映画製作・配給会社「太秦株式会社」設立。現在は非常勤顧問。著書『証言 日中映画興亡史』(共著)、編著は多数。
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