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「才能以上の“何か”が北斎にあった」柳楽優弥と田中泯が語る映画『HOKUSAI』

ぴあ

田中泯、柳楽優弥

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米「LIFE」誌の「この1000年で最も偉大な功績を残した100人」に日本人で唯一選ばれ、「冨嶽三十六景」が新紙幣のデザインに採用されるなど、誰もが知る数々の名作を残しながらも、その人生については謎に包まれている浮世絵師・葛飾北斎。彼の90年に及んだ生涯を描いた映画『HOKUSAI』が公開されている。

「なぜ絵を描くのか?」と自らに問いかけ、傑作「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を世に送り出す若かりし頃の北斎を演じるのは柳楽優弥。そして、年齢を重ねてもなお反骨心を失うことなく表現に邁進する老年期の北斎を田中泯が演じている。公開を前に2人に北斎のすごさ、そして自らの表現への姿勢との共通点などについて語ってもらった。

――今回、北斎という実在の人物を演じるにあたって、どのような思いで臨まれましたか?

柳楽 僕は北斎の代表的な絵は知っていたのですが、その人物像については全く意識したことがありませんでした。アーティスト然としたイメージは感じつつも、今回、演じさせていただくこととなり、若い頃をの北斎像を監督と一緒に一からつくりあげていきましした。

田中 人は死んじゃったら、その人がどんな人だったかなんて本当に残らないものなんですよね。絵から(感じる)といっても、現代よりも個人の“思い”みたいなものは全然違った時代でしょうからね。本当にわからないと思います(苦笑)。みなさん、自分のことを想像しても、人に伝わることなんて残るものなんて数万分の一だと思いませんか? 北斎が一体何を考えていたのか? 一生懸命引きずり出して台本ができているわけですけど、それだけじゃ不十分ですし、なるべく自分の空想の中で北斎をやっているということだろうと思いますけどね…。

――江戸時代の絵師である北斎の「独自の表現を追い求めていく」という姿勢、感情は現代を生きる私たちから見て理解できるものとして感じられました。お2人が演じる上で目指した北斎像はどのようなものだったのでしょうか?

柳楽 作品を観終わった僕の感想でもあり、北斎という人物像について撮影が終わってからも改めて考えて感じたことは、北斎の生きた時代は、絵を描くことすら制限されていましたし、何でも好きなように描くことはできなかったんです。制限がある中で…という環境はどの時代にもあると思いますが、“北斎バイブス”として、激動の時代に、創作意欲までを消される筋合いはねぇんだ! という反骨精神のような気持ちが人一倍強いひとだったのではないかと思います。

好きなことにひたむきに向き合い、決して満足せずに絵を描き続けたからこそスター絵師へと上り詰めることができたのかなと思うんです。創作意欲は、表現者や役者だけのものではなく、誰しもに存在する“光”みたいなものだと思うので、そういう大事なものまでを時代に消される必要はないんだということを感じました。それは大切に守らなければならないと思いました。

田中 北斎は、それまでの絵を描く対象を決定的に変えた人だと思いたいですね、少なくともそう空想することで別の次元で思考するという自分なりの徳を得たい。それはどこからやってきたのか? おそらく若い頃の北斎の中で綿々と悶々と考え、自分の中で育ててきたものなんだと思います。人の共感を得られるかわからない、やれ波だの人の身体だってもの、それも無名の身体をひたすら描く。そこに僕はものすごい前衛を感じますね。

いまだって流行りのものに人は群がる、そこからボンっと抜け出して全然視点の違うことをやるって大変なことだと思います。しかもそれを狙ってのことでもない。ましてや江戸の(絵師が)数少ない中で、それぞれが有名で名を成している中で彼はグーっと方向を変えたわけですよね? それは才能以上の“何か”が北斎にあったに違いないって僕は思います。そこが現代にも決定的に通じることだと思います。ワーッと流行で事が流れていく中で、それを通過してなおかつ自分が行くべき方向に向かっていくわけですよね。そんなひと、いまも少ないでしょ? たぶん、この(劇中の)時代よりも絵を描く人は何万倍もいるはずだけど。

柳楽 バンクシーなどもそういう存在なのでしょうか?

田中 バンクシーは俺は語れないなぁ、本当のところがわかんないから…。100年後くらいにならないとわからないですね。いま語ってもダメですよね、人気者中の人気者だから。本音がわからないですよ。

柳楽 なるほど。私生活が見えないところがアーティストのかっこよさでもありますよね。

田中 うん、ただ、これまでの時代のような作品さえよかったら何をやっててもいいという時代ではないと僕は思ってて、21世紀はそれが崩れる時代だと思ってたんだけど…。例えばね…口では「自然保護」なんて簡単に言っちゃう――そういうことっていっぱいあるんじゃないですかね? それと同じことがアートの世界でも起きていると思うし、作品さえよければ本当にいいんだろうか?ってね!本当にいま、そういう時代だと思いますね。場合によっては非常に古いものが新しいなんて思われているのかもしれない。

柳楽優弥

――先ほど柳楽さんからも「制限があるからこそ生まれてくるものがある」という話がありましたが、そういうものは表現する立場の人間として実感としてありますか? 逆に「自由に好きなことをやっていい」と言われて、枠にとらわれない表現やアイディアは出てくるものなのでしょうか?

柳楽 自由過ぎてしまうと逆に不自由さを感じてしまうこともあるのではないかと思うんです。制限された環境の中でいかに自分らしく表現していくか? というところに僕は面白さを感じますし、映画でもメジャーとインディペンデントでは予算や規模も全然違いますが、その中で工夫するインディペンデントの雰囲気も大好きですし、メジャー映画の豪快さも大好きです。(田中に)泯さんはいかがですか?

田中 晩年の北斎の言葉の中にも世の中とか権力に向かってのものが結構あるんですよね。そもそも士農工商の時代の話ですから、既に社会そのものがハッキリと制限を持っているわけですよね。

(現代を生きる)僕らは「自由」と思われがちですけど、いまはまさに「不自由」ですよね。だから制限というものをどう捉えるか? それは個人差があると思うし、それこそいまワクチンの話ひとつとっても「へぇ、こんなに行政区分って厄介なんだ!」というお代官様みたいな存在がいっぱいいるわけじゃないですか。そういう意味では制限というのは本当に考えようによってはどこまでも巨大になっていくし、人によってはもっと身近なところでも自分で制限しているところもあるのかもしれないし。言葉にして整理をつけることができないくらい、混とんとしていると思いますね、いまの時代でも。

(映画で描かれる)この時代は「町人は町人」「商人は商人」というふうに何となく自分たちで曖昧にぼかしてはいるかもしれないけど、自分なりの場所というものを持っていたと思うんですよね。考えようによってはそれが「自由」かもしれない。のびのびとしてたというか。だから江戸の文化、いやそれ以前からかもしれないけれど、傾いていた。現代は金が開いているけど、花は開いてないかもしれないよね。

――改めて、お互いの演じられた北斎を見ての感想を教えてください。

柳楽 本当に「北斎ってこんな人だったんだろうな」と想像してしまうほどの説得力がありましたし、泯さんが演じられた北斎の青年期を演じさせていただくことができてラッキーだなと感じました(笑)。

田中 いやいや(笑)。でも「いいのかな?」と思っちゃいますよね。みんながこれを観て「北斎ってこうだったんだ…」と思っちゃうと「いやいや、わかんないよ!」って(笑)。「でもそれくらい強烈だったんだよ、生きることに必死だったんだよ」となればいいけど、収束しちゃうとマズい気がします。それくらい活き活きとしないといけないはずなんじゃないかと思いますね。意地を張ってでも。

(柳楽の演じた若い頃は)さぞかし難しかっただろうと思います。(柳楽が演じた若い年代の頃は)ウジャウジャ周りにいるわけですよ、同世代が。その中で自分なりに悩んでいるさまと、同じ表現者としての、何ていうか“無言の関係”みたいなもの――僕はそこにこそ文化って生まれるものだと思うんですけど、面白かったですね、すごく。すごい学習しちゃって。

柳楽 ありがとうございます。一人の人物の一生を別々の人が演じ分けるということは、あまりないことですよね。

田中 (若い頃と老年で)時間が飛ぶんでね。こっちは安定したジジイだから(笑)。そのぶん、焦点がガっと見えて生きている“強さ”があるからね。

柳楽 ベロ藍(※北斎の表現で使われる鮮やかなブルー。映画の中で田中演じる北斎が、ベロ藍を手にし、興奮して雨の中を飛び出していく)を手にして雨の中を踊るあのシーンは、現場で拍手が起きたと聞きました。僕も大好きなシーンで、とても印象的でした。

田中 一回しかできない一発勝負でしたんで(笑)。

柳楽 北斎とベロ藍の出会いの衝撃が感じられてすごく好きでした。

田中 あれくらい狂乱するほど、本人の中に見たい“色”というのがあったんだと思うんですね。実際、高価な「藍」をあんなにふうに使えないのは言わずもがなだけれど、それを見たときの本人の心の動きを監督が「こうやってほしい」と言ってくれて、思い切って挑んでみた。

――それぞれに若い頃と老年期の北斎を演じられて、新たに見えてきた北斎の魅力について教えてください。

柳楽 反骨精神だけではなく、何よりも絵を描くことが大好きなのだと思います。自分自身に満足せず、向き合い続けられるものがあることで人生はとても豊かになるものなのだということを感じました。それは僕だけでなく今の時代を生きる多くの人が共感することのできるテーマであると感じました。

田中 僕は撮影のプロセスでもそうだったし、改めて北斎の仕事を眺めてみても感じたことだけど、やっぱりそれまでの絵画を含め、決定的にバサーッと縦断したものを持っている。それはたぶん、自然を見る、人々の営みを見るということが彼の表現の中にあって、引っ越しを頻繁にしたり、名前を次々と変えたりするというのも彼の表現に絡んでいるんじゃないかなと思うんですね。人が(北斎の名を)覚えようが覚えまいが関係ないんですよね。ということは、ひょっとしたら「無名でいいんだ」というところにまで行っていたのかもしれない。

最後のほうは人が追いかけてくるから、名前をいくら変えても残るわけだけど、名前が浸透しないうちにチョコチョコと名前を変えちゃっていたわけで、名前を覚えろなんてこと思ってもいないんですよね。「有名になろう」という思考すらなかったのかもしれないですよね。

「あいつの家はあそこだ」と誰もが知っているような有名性ってあるじゃないですか? そういうものを平気で壊してて、彼がやってるのは、街に出て、人の一瞬の身体を夢中で描くということ。それが北斎漫画に実っていくわけですよね。世界中探しても、北斎ほど人の身体の絵を残している人はいないですよね。

――北斎は晩年になっても常に“進化”を感じさせる新たな表現を生み出し続けました。田中さんは肉体で表現される舞踊家ですが、肉体は確実に年齢と共に衰えるものだと思います。それでも年齢を重ねて増していく“凄み”であったり、年齢を凌駕した“何か”があると思うのですが、歳を取ってこそ得られるものとはどういうものなのでしょうか?

田中 僕は踊りを10代の終わりからずっとやって、やり続けて、休んだことがないんです。そういう意味では僕は“異常”です、おそらく(笑)。ただ北斎は身体に集中していたというより、身体のことなんて忘れて生きていたわけですよね。それでもおそらく90近くまで、あの時代に生きられたということは、身体が北斎に引きずられて、付いて行ったんだと思いますね。回復力もすごかったんだと思いますね。脳梗塞で身体をやられても何とか動けるようにして…いまの時代だったら北斎は生きられなかったかもしれないですよね、周りが大騒ぎして。

田中泯

――「休まずに踊ってきた」とのことですが、その中で肉体の変化は如実に感じられているかと思います。肉体を超える“何か”を感じられているのでしょうか?

田中 僕に言えるのは、踊りというのは人前で身体を動かして高度な技術を得て、拍手喝采!というものではないよということですね。それだったら、みんなが踊れないじゃないですか。でも動きの話なんかじゃなくって、それを心と置き換えてもいい、みんなが「踊った」からこそ、いま踊りがあるんですよ。それは間違いないですよね。

若い頃にそういうことを感じたかはわかりません。「俺だけの踊りを踊りたい」ってことだったかもしれない。いまは違いますね。身体は本当に20年も前からガッタガタですよ(苦笑)。でもね、身体は動きたいんですよ。要するに、“自分”というものが僕の中にいるわけじゃないですか? でもどこにいるのかわからない――考えてみたら、全部が自分なんですよね。足の裏も何もかもが。それを「私の足」と言っておきながらみんな、それほど気にしてないでしょ? 歩くとき、身体のことを意識して歩く人なんてそうはいなくて、全部自動的に身体がやってくれているんですよね。それを僕は全部意識的に生きてるんです。

でも歳を取ってくると、いままでの意識と変えずにやってると、いつのまにか膝が曲げられなくなったり「腰が…」とか「目が…」とか言い始めるし、それは自然な成り行きですよね。その人の暮らしが原因でそうなっていくわけで、それが「老人」というものだという世間の常識ができています。みんな、常識の中に押し込められていくわけですよ。「押し込められている」とは誰も思わないでしょうけどね(笑)。僕は、その常識の中にいると思いたくないんですね。北斎も絶対にそうだったと思います。表現は違いますけど、それは同じですね。これを「痛い」と言って、触らないままでいたら歩けなくなるなってね。そういうのは刻々とありますけど、全部、抵抗してます。

――逆に柳楽さんには、“若いときにしか持ちえないもの”についてお聞きしたいと思います。演技でも、年齢を重ねるにつれて備わっていくもの、技術や経験値があると思いますが、そうしたものを超越したもの、初期にしか持ちえない技巧を越えた“衝動”みたいなものの存在は感じますか?

柳楽 若い頃にしかない感覚はあると思います。僕自身は、自分のことに意識を向けるというよりも、周りが動いていることに付いていくのでいっぱい、いっぱいだったという感覚でした。こうして30代になって、ようやく自分のペースみたいなものを見つけられてきたかなと思います。

最近、「10代の頃ってどうでした?」と聞かれることが多いのですが、その時の感覚というのは思い出せないんですよね(笑)、だからこそ、30代でもうひと花咲かせたいという思いもあります。

田中 “折々の花”というか、その年代、年代で…いや、年代どころかその瞬間、その瞬間で周りの評価ではなく、本人がベストなことをやっているに違いないんですよね、みんな。それをやりおおせていない人と「やれた」という人とでは差はどんどん開きますよね。それをなぜやれたかというと、それだけの気迫と集中力を持っていたからだと思います。それは偶然かもしれないけど、そうやって生きてきたんだと思うし、いまから振り返って、恥ずかしかったり「もう一度、やり直したい」とかいろいろ思うことはあると思います。でもそこには戻れないわけで、いまの一日はどうなの? ということにしかならないわけですよ。

彼はある年代、ある場所…それは語るには多すぎるくらい、いろんな記憶があって、それが“花”なんですよ。でも花が多すぎるんですよね。自分の中で「やれた」とか興奮を感じたりするんです。それをいちいち言葉では表現しませんよ。そうやって生きてるんだもの。それはどんな人でもそうだと思う。誰もが「これは譲れない」というものを記憶の中に持って生きてるんだと思います。

僕は、彼の若い頃の話はドキュメンタリーでも見てますし、映画も見てますけど、まさかその人とこんなふうに出会うなんて、誰が考えますか(笑)? 当時、僕はまだ俳優もやってなかったしね。

柳楽 ありがとうございます。泯さんの言葉に救われました。僕は、取材などでよく10代の頃のことを質問されるのですが、当時は、一生懸命に生きているだけだったので、答えるのが難しくて。

田中 だから「一番心に残っている作品は?」なんて聞かれても答えられないよね。どれもが一番、一瞬、一瞬が一番なはずなんです。そんな手抜きの人生はやってないんですよ。

柳楽 いろんなことをやって来たので、自分にとっては全く恥ずかしいことではないですし、その当時は、全力でやっていたと思うんです。周りから「大変でしたよね?」と言われることもありますが、自分としては「ここまで楽しんでやってこれた」という意識のほうが強いんです。

『HOKUSAI』
公開中

取材・文・写真:黒豆直樹

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