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三枝成彰 知って聴くのと知らないで聴くのとでは、大違い!

オペラ作りの悩みどころとは?

毎月連載

第31回

21/1/8(金)

LeDarArt/Shutterstock.com

オペラはやっぱり泣けて、歌えるものがいいなあと、つくづく思うのです。そうでなければ多くのお客さんに観ていただけません。

でも一方で、音楽にはメッセージ性もなければいけないとも思い、いつもそのバランスを取るのに苦労します。

新国立劇場で11月に初演された、イギリスで活躍する藤倉大さん作曲のオペラ『アルマゲドンの夢』は、凄い作品でした。何より感動したのは、同劇場のオペラ芸術監督でありこの作品でタクトを振られた大野和士さんの大英断です。

SF作家H.G.ウェルズの原作をもとにした物語は、近未来のヨーロッパが舞台。そこに大衆を扇動する人間があらわれ、戦争への恐怖をあおります。民衆は戦争に向かう空気に流され、社会が全体主義へと傾くなか、ヒロインは自由を求めて闘うのです。

ストーリーの全体を貫くのは体制批判や戦争などまっぴらだという気持ち、そして誰もが自由にものを考え、発信することを束縛されない社会への希求でした。スタイルこそSFですが、まぎれもなく全体主義へと流れてゆきつつあるいまの世界への批判であることは明らかでした。

そんな作品をよく、文部科学省、つまり日本政府の管轄下にある国立の劇場で上演することができたな、と驚かされました。台本が英語であること、台本作家も演出家も外国人であることが功を奏したのでしょう。前回も書きましたが、何よりそれを取り上げた大野さんの勇気に、あらためて敬意を表したいと思います。

大野さんといえば、昨年の夏、サントリーホールで拝見したセミ・ステージ形式のオペラ『リトゥン・オン・スキン』も強烈な作品でした。やはりイギリスの現代作曲家ジョージ・ベンジャミンのオペラでしたが、中世ヨーロッパのある領主夫婦の揺れ動く心情を驚きの筋運びでみごとに表現した作品で、愛と残酷さが裏腹になった世界に圧倒されました。

〈ザ・プロデューサー・シリーズ〉と銘打ち、大野さんの企画と指揮で上演されたものでしたが、西洋人と私たち日本人がオペラに求めるものの違いを考えさせられた舞台でもありました。

『アルマゲドンの夢』と『リトゥン・オン・スキン』とはまったく違う世界を描いていますが、共通するところがあります。それは、「芸術作品にはメッセージがなければならない」ということです。

ベートーヴェン以来、綿々と西洋音楽を貫いてきたこの思想は、情緒に流されがちで、流行り歌のほとんどが恋の歌である日本に暮らす私たちには、なかなか理解しがたいところです。でも、西洋人が芸術作品を評価する第一の点は、そのメッセージ性にあるのです。

たとえばヴェルディとプッチーニはどちらも人気作曲家ですが、イタリアのインテリ層の評価はまったく違います。彼らに言わせれば、「プッチーニの旋律は確かに美しいけれども、甘いだけのお菓子のようで、まったく心の栄養にならない」というのです。

でも、ヴェルディは違います。「彼は『椿姫』で高級娼婦、『リゴレット』で障害を持つ人を主人公にし、世の中の裏側や底辺に生きる人たちに光を当てた。だから社会性がある」というのです。

2004年に私のオペラ『Jr.バタフライ』を演出してくれたイタリア人のダニエレ・アバドさんは、有名な指揮者クラウディオ・アバドさんのご子息であり、れっきとしたインテリ=ブルジョア層の出身でした。

彼がいみじくも「父はプッチーニを一度も振ったことがない」と言うので、調べてみるとほんとうにそうでした。つまり、プッチーニのオペラは甘く美しいだけでメッセージ性がなく、“心の栄養にならない”ということなのです。そんな彼らでも、じつは陰でプッチーニが大好きだったりするのですが。

ジャコモ・プッチーニ
photo:AFLO

イタリアの人たちは『Jr.バタフライ』を評価してくれました。プッチーニの『蝶々夫人』に出てくる日本とアメリカの血をひく幼い男の子が成長してからどのような人生を歩んだのか? 作家の島田雅彦さんと想像をふくらませて描いたのは、太平洋戦争前夜から長崎への原爆投下に至る悲しい愛の物語でした。

主人公と妻の悲しい物語を理解しつつ、彼らは「人はなぜ戦争を起こすのか?」というメッセージもちゃんとくみ取ってくれたのです。そのおかげか、イタリアのプッチーニ音楽祭では、ヨーロッパの批評家から評価をいただきましたが、日本の初演では、第1幕が終わったあと、お客さんの多くが無言でした。

私がこれから取り組みたいと考えている題材があります。大正時代から昭和の初めにかけて東京の本郷に実在した「本郷菊富士ホテル」を舞台にした群像劇です。

ここには谷崎潤一郎、竹久夢二、画家の伊藤晴雨、彼らのモデルでミューズだったお葉、そして社会運動家の大杉栄やその妻の伊藤野枝ら、当時の日本の芸術界、言論界を牽引していた若い才能が滞在し、交流したという事実がありました。

「これは日本の《ラ・ボエーム》になりうるのではないか?」という発想のもとに、これから台本を作っていくつもりでいます。

彼らのあいだには当然恋も生まれたでしょうし、ときにはケンカやいさかいもあり、抱腹絶倒のやりとりもあったでしょう。それをぜひ描きたいと思っています。登場人物は波乱万丈の人生を歩んだ人ばかりですから、たくさんのドラマを秘めています。

問題は私の体力が続くかどうかと、お金を出して下さるスポンサー集めができるかどうかです。私の場合、オペラを書くのには4000時間かかるので、何とも悩ましいところです。

そして、涙と色恋、そして笑いに満ちたものになるであろうこのオペラができあがったとして、果たして西洋人に受け入れられるかどうか?

メッセージ性も大切ですが、「甘いだけで栄養にならない」と言われても、やはり私はオペラはまず泣けて歌えるものがいいなあ、と思うのです。

プロフィール

三枝成彰(さえぐさしげあき)

1942年生まれ。東京音楽大学客員教授。東京芸術大学大学院修了。代表作にオペラ「忠臣蔵」「Jr.バタフライ」。2007年、紫綬褒章受章。2008年、日本人初となるプッチーニ国際賞を受賞。2010年、オペラ「忠臣蔵」外伝、男声合唱と管弦楽のための「最後の手紙」を初演。2011年、渡辺晋賞を受賞。2013年、新作オペラ「KAMIKAZE –神風-」を初演。2014年8月、オペラ「Jr.バタフライ」イタリア語版をイタリアのプッチーニ音楽祭にて世界初演。2016年1月、同作品を日本初演。2017年10月、林真理子台本、秋元康演出、千住博美術による新作オペラ「狂おしき真夏の一日」を世界初演した。同年11月、旭日小綬章受章。

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