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遠山正道×鈴木芳雄「今日もアートの話をしよう」

クリスチャン・ボルタンスキー「痕跡の芸術」

月2回連載

第22回

19/7/19(金)

鈴木 いま東京で注目されてる現代美術の展覧会といえば、国立新美術館(東京・六本木)の『クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime』(9月2日まで。)。

遠山 国立新美術館だけじゃなくて、エスパス ルイ・ヴィトン東京(東京・表参道)でも、『CHRISTIAN BOLTANSKI - ANIMITAS II』(11月17日まで。)が開催されてるし、日本でも人気なんだね。

鈴木 芸術祭とかにもよく呼ばれてるしね。特に「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」や「瀬戸内国際芸術祭」の作品が知られてる。現代の作家で、巨大な空間や自然の中に作品を作ることができる人ってあんまりいないから、人気なのはわかるな。

遠山 確かに。どこも大型作品だよね。国立新美術館の展示も、巨大な黒い服の山や、大型スクリーン作品も展示されてるし。

国立新美術館『クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime』展示風景

鈴木 エスパス ルイ・ヴィトンは映像作品だったね。

遠山 そうそう。イスラエルの死海のほとりや、香川県の豊島で制作された《アニミタス》シリーズから、《アニミタス(ささやきの森)》(2016年)と《アニミタス(死せる母たち)》(2017年)を上映してる。

鈴木 国立新美術館の2階は、天井が高いことで有名だけど、それを展示にもすごく生かしてる。ボルタンスキー自身が展覧会場に合わせてインスタレーションを手がけてるから、作家自身が構成してるわけ。

遠山 すごいこだわりそうだもんね。

鈴木 「空間のアーティスト」と自称してるからね。

遠山 芳雄さんがボルタンスキー見始めたのっていつぐらいから?

鈴木 それこそもう30年近く前からだね。1990年〜91年にかけて、水戸芸術館 現代美術ギャラリーで開催された「クリスチャン・ボルタンスキー展」が最初だと思う。その時はまだわけもわからず見てた(笑)。

遠山 その頃もうマガジンハウスでアートの特集とかやってたの?

鈴木 まだそんなにやってなかったけど、『エル・ジャポン』(当時、マガジンハウスが発行元)とかではボルタンスキーのこと読んでた気がする。でも僕としては仕事ではなくて、趣味で見に行ったって感じ。その頃から現代美術を積極的に見始めた。大竹伸朗さんとかも。

遠山 そういえば杉本さんの個展に初めて行ったのもこの頃?

鈴木 そうそう。1988年だね。

遠山 確かに現代美術が盛り上がってきた時代だよね。

鈴木 うん、佐賀町エキジビット・スペースがその最もたる例。ここで杉本さんや大竹さんを見た。だから水戸芸術館なんかも現代美術をやる新しい場所だったから、行かねばって行ったのを覚えてる。
遠山さんは?

遠山 私は大地の芸術祭だね。2000年の第1回から行ってるんだけど、その時にボルタンスキーが《リネン》っていう作品を制作してた。地域の人たちが持ち寄った白いリネンの服なんかが、畑の上で風に舞ってるっていう作品だった。でもやっぱりここ最近でよく覚えてるのは、2012年に公開された《最後の教室》だね。

鈴木 人の心臓音が流れたやつだよね? 瀬戸内国際芸術祭の豊島で公開されてる《心臓音のアーカイブ》と同じような。

遠山 そうそう。実は一緒に行った人が作品の雰囲気に呑まれちゃって、ふらふらになっちゃったんだよね(笑)。

鈴木 僕の知り合いでも、国立新美術館でちょっとふらふらになってた(笑)。でも反対にすごく心地いいっていう人もいたりして、感じ方は人それぞれだなって。

遠山 でもさ、ふらふらにしてしまうほど、作品に力があるとも言えるよね。

鈴木 僕はボルタンスキーの作品って、生きた証というか、記録だと思うんだよね。「痕跡の芸術」。だから肖像写真だったり、心臓音だったりがモチーフになる。

国立新美術館『クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime』展示風景

遠山 それってボルタンスキー作品の根源にあるかもしれない。あと音とかは、母親の胎内にいるような、聞いてた音とかにも近いのかもしれないって思う時があるな。母親の心音と自分の心音と、外からの音。

鈴木 それに僕はボルタンスキーの作品は理科的なアートとして見てる。特に今回は「Lifetime」っていうタイトルだけど、人が時間っていう概念を感じて、それから意識につながるっていうのは、やっぱり天体の運行とかの自分とは関係ない動きと、自分の心臓の音や歩くとか話すとかの行動のことで、時間の概念みたいなのができてるんだと思うんだよね。時間っていうものに気づくと、意識が生まれてくる。その根本をこの人は作品にしてるって僕は思ってる。

遠山 なるほど。確かに解釈は人それぞれで、感じ方ももちろん人それぞれだよね。ふらふらした人は、もしかしたらスピリチュアルな何かを感じたかもしれないし、呼吸を合わせすぎてしんどくなったのかもしれない。それか、何か作品が発する人の感情や、気に同調してしまったのかもしれない。

鈴木 ちなみに遠山さんはどう思ってる?

遠山 ボルタンスキーの作品って、芸術祭でもちょっと郊外や山の中とか、人が寄り付かない場所に展示されていたりするよね。それに都内近郊に常設されてるわけじゃないから、わざわざどこかまで見に行かなければいけない作品ばかり。ということは、人が見に行くということを前提としていない気がする。特に《アニミタス》シリーズは、砂漠や島とか、人里離れた野外で制作されているし。
だから一人一人に回帰するというよりも、もっとかっこよく言えば、地球規模で外に向けての祈りみたいな感じ。そこに鑑賞者はいてもいなくてもいいっていうか、あまり彼の中には意識はないように思うんだよね。

鈴木 遠山さんと僕でも、これだけボルタンスキーの作品について思うことが違うわけだよね。

遠山 だからみんなも実際に行ってみて、自分が彼の作品から何を感じるのかっていうのを確かめるのも面白いと思う。

現代アートになりやすい条件?

遠山 それにしても、ボルタンスキー作品って、現代アートになりやすい要素みたいなのがあるなって思うんだけど。

鈴木 さっき僕が言った、「記憶」とか「痕跡」とかってすごく現代アートになりやすいと思うんだよね。それこそ森美術館で開催されている『塩田千春展:魂がふるえる』(10月27日まで。)もまさしくそうじゃない? 塩田さんも「記憶」「痕跡」の作家。今回の展覧会も、彼女が幼少期に、隣家が夜中に火事で燃えた記憶から制作された《静けさの中で》っていう作品が出てるし、2015年の第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館で展示された《掌の鍵》もそう。この時は、2艘の船と宙に張られた無数の赤い糸、そしてみんなが使い古した家の鍵やトランクの鍵など、18万個の鍵を吊るした作品だった。今回はそれは出品されてないけど。

森美術館『塩田千春展:魂がふるえる』展示風景

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