中川右介のきのうのエンタメ、あしたの古典
『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』ー名作の日本語タイトルをめぐって
毎月連載
第24回
20/6/12(金)
過去作とは差別化された邦題がついたグレタ・ガーウィグ版『若草物語』
グレタ・ガーウィグ監督、シアーシャ・ローナン主演の『ストーリー・オブ・マイライフ』は、サブタイトルに『わたしの若草物語』とあるように、ルイザ・メイ・オルコットの『若草物語』の、何度目かの映画化だ。
映画の原題は『Little Women』で、これは原作の小説と同じ。『Story of My life』は映画にも原作の小説にもない、日本独自のタイトルだ。
このようにカタカナ英語の邦題なので、原題をそのままカタカナにしたのかと思うと、そうではないケースがある。
そもそも、『Little Women』は直訳すれば、「小さな婦人たち」なのに、なぜ『若草物語』となったのか。
オルコットが自分の家族をモデルにしたこの小説を書いたのは、1868年、明治維新の年である。
最初の日本語訳は、1906年(明治39年)で、『小婦人』と直訳された邦題だった。その後、『四少女』『四人姉妹』『四人の姉妹』などのタイトルで、さまざまな訳がさまざまな出版社から出された。まだ著作権が確立されていないので、誰が翻訳出版してもよかったのだ。
『若草物語』というタイトルの邦訳が出たのは1934年(昭和9年)で、少女畫報社が矢田津世子の訳で出したときだ。
しかし、矢田がこう名付けたわけではないようだ。
『Little Women』は何度も映画になっているが、日本で最初に公開されたのは1933年にRKO社が作った、ジョージ・キューカー監督、キャサリン・ヘプバーン主演のものだった。
翌年、日本で公開された際、『小婦人』でも『四人姉妹』でもなく、『若草物語』という邦題にし、映画封切とほぼ同時に出版された矢田版もこれにならった。
この矢田版には、映画のスチール写真が表紙や本文中に使われているので、配給会社とタイアップしての、いまでいうメディアミックスでの出版だった。
したがって、配給会社と出版社とが話し合って、『若草物語』というタイトルにしたとも考えられる。
翻訳者の矢田が発案したのかもしれない。あるいは少女小説作家の吉屋信子が映画の字幕を監修したというから、彼女の発案かもしれない。
いまとなっては、よく分からないが、映画と新訳によって、日本では原題から離れた『若草物語』のタイトルが定着した。以後、小説が改訳されても、映画がリメイクされても、タイトルは『若草物語』となってきた。
しかし今回のグレタ・ガーウィグ版は、定番の『若草物語』ではなく、別の邦題をひねり出している。
『若草物語』であることを前面に出すよりも、「女の生き方論」っぽい『ストーリー・オブ・マイライフ』のほうが、2020年の日本では受けるという判断なのだろうか。
たしかに、これまでの映画では、四姉妹の少女時代がメインだったが、『ストーリー・オブ・マイライフ』では大人になってからの、次女ジョーの物語の比重が高いので、差別化する理由はある。
大人の映画だとアピールするために、あえて『若草物語』であることを、隠しはしないまでも、前面に出さないというマーケティングは、ありだろう。
しかし、そのために、日本に何万人いるのかは知らないが、一定数はいるだろ「若草物語ファン」を逃すかもしれない。
戦後教育によって邦題の流行も変化した
外国映画の邦題にも流行がある。戦前は外国語を学んでいるひとが圧倒的に少なかったので、原題から大胆に離れた邦題が多い。
1937年の、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、ジャン・ギャバン主演の『望郷』の原題は、『Pépé le Moko』、つまりギャバン演じる主人公の名が映画のタイトルになっている。
しかし『ぺぺ・ル・モコ』では当時の日本人にはフランス人の名前であることも分からなかっただろう。
フランスから逃亡して、アルジェのカスバにいる犯罪者ぺぺ・ル・モコの、「望郷」の思いこそがテーマだと解釈して、『望郷』と名付けた当時の配給会社のセンスの勝利だ。
1940年の、マーヴィン・ルロイ監督、ヴィヴィアン・リーとロバート・テイラー主演の『哀愁』も、原題は『Waterloo Bridge』という固有名詞。ロンドンの橋の名前だ。
この橋で出会った男女の恋が、この橋で悲劇的に終わる物語で、「哀愁」と名付けた。
哀愁の物語なんて、他にもいくらでもあるが、最初にやったもの勝ちで、この映画こそが『哀愁』となった。
ヴィヴィアン・リーが『哀愁』の前に出たのが、1939年のヴィクター・フレミング監督『風と共に去りぬ』だ。これは原題『Gone With the Wind』の直訳だが、「去った」としないで「去りぬ」としたのがうまい。
そのおかげで古典的イメージが漂うが、原作は1936年に書かれ、2年後の1938年に大久保康雄訳で三笠書房から刊行された新作だ。
古典ではなく、いまふうにいえば「話題の全米ベストセラー、早くも日本語版刊行」だったのだ。それを、「去りぬ」と古語風にした。
戦争があったため映画の日本公開は1952年になったが、原作が日本でもよく読まれ、『風と共に去りぬ』というタイトルが定着していたので、映画の邦題もそれに従った。
『風と共に去りぬ』の主演男優であるクラーク・ゲーブルの『或る夜の出来事』(フランク・キャプラ監督、1934年)は、原題が『It Happened One Night』、つまり「それは一夜に起きた」を、うまく意訳した邦題だ。
似たもので『予期せぬ出来事』もある。エリザベス・テイラーとリチャード・バートン主演、アンソニー・アスキス監督の1963年の映画だが、原題は『The V.I.P.s』で、空港のVIPルームにいる人々のドラマだ。
当時はまだ「VIP」という略語が日本では知られていないので、このタイトルでは意味が分からないとして、原題から離れ、物語の内容から『予期せぬ出来事』としたのだろう。
「予期せぬ」のは何かというと、霧のため飛行機が出発できず、一晩遅れるということ。
このように、日本でなじみのない固有名詞や単語がタイトルだと、そのまま訳すのではなく、原題とは関係のない邦題をつけるのは、配給会社のひとつの伝統芸でもあった。
しかし、1970年代になると、原題をそのままカタカナにするものが出てくる。
洋楽の邦題もこのころから訳さず、カタカナにするものが多くなる。戦後教育のおかげで、英語がなじんできたのだ。
『ポセイドン・アドベンチャー』(1972)、『エクソシスト』(1973)、『タワーリング・インフェルノ』(1974)、『ジョーズ』(1975)などがそのはしりで、当時中学生だった筆者は、辞書を引いて意味を調べたのを覚えている。
一方、『スター・ウォーズ』(1977)は、『惑星大戦争』という邦題で予告されていたのが、ジョージ・ルーカスの意向で全世界で『STAR WARS』として公開することになり、『スター・ウォーズ』となった。
その流れで、『ALIEN』(1979)も当然、そのままカタカナの『エイリアン』になったが、そのおかげで、「外国人」という意味だったのが、日本では、「気味の悪い異性生物」の意味に変化した。
曲名の日本語訳を変えてしまうほど、映画タイトルの影響力は強い
話は戦前に戻るが、『別れの曲』というショパンを主人公にした1934年の映画がある。
ドイツ語のタイトルでは『Abschiedswalzer』、直訳すると「別れのワルツ」。
フランス語版では『La chanson de l’adieu』、直訳すると「別れの歌」。
これが日本では『別れの曲』となった。まあ似たようなものといえばそれまでなのだが、この邦題のおかげで、劇中に流れるショパンの、『練習曲(エチュード)作品10-3』には、本来、何のタイトルも付いていないのに、日本では『別れの曲』と呼ばれるようになってしまった。
もしショパンが生き返り、「日本で最も有名なあなたの曲は『別れの曲』です」と言われたら、「そんな曲を書いた覚えはない」と言うだろう。
この曲は大林宣彦監督『さびしんぼう』でも劇中で弾かれる。映画『別れの曲』のDVDが出た際に、大林監督が言葉を寄せていたので、この映画はお気に入りだったのだろう。
映画が日本で公開されてから80年が過ぎた。その日本ではずっと、『エチュード10-3』は、コンサートでもCDでも、『別れの曲』とされてきた。
映画のタイトルには、小説やクラシックの曲名の日本語訳を変えてしまう力がある。それだけ影響力が強かった。
作品紹介
『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(2019年・米)
2020年6月12日公開
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント
監督:グレタ・ガーウィグ
原作:ルイザ・メイ・オルコット
出演:シアーシャ・ローナン/ティモシー・シャラメ/エマ・ワトソン/エリザ・スカンレン/フローレンス・ピュー
『望郷』(1937年・仏)
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ
出演:ジャン・ギャバン/ミレーユ・バラン/リーヌ・ノロ
『哀愁』(1940年・米)
監督:マーヴィン・ルロイ
出演:ヴィヴィアン・リー/ロバート・テイラー/マリア・オースペンスカヤ
『風と共に去りぬ』(1939年・米)
監督:ヴィクター・フレミング
出演:ヴィヴィアン・リー/クラーク・ゲーブル/レスリー・ハワード
『或る夜の出来事』(1934年・米)
監督:フランク・キャプラ
出演:クラーク・ゲーブル/クローデット・コルベール/ウォルター・コノリー
『予期せぬ出来事』(1963年・米)
監督:アンソニー・アスキン
出演:リチャード・バートン/エリザベス・テイラー/マーガレット・ルザフォード
『スター・ウォーズ』(1977年・米)
監督:ジョージ・ルーカス
出演:マーク・ハミル/ハリソン・フォード/キャリー・フィッシャー
『エイリアン』(1979年・仏)
監督:リドリー・スコット
出演:シガニー・ウィーバー/トム・スケリット/ベロニカ・カートライト
『別れの曲』(1934年・独)
配給:T&Kテレフィルム
監督:ゲツァ・フォン・ボルヴァリー
出演:ヴォルフガング・リーベンアイナー/ハンナ・ヴァーグ/シビル・シュミッツ/ハンス・シュレンク
プロフィール
中川右介(なかがわ・ゆうすけ)
1960年東京生まれ。早稲田大学第二文学部卒業後、出版社アルファベータを創立。クラシック、映画、文学者の評伝を出版。現在は文筆業。映画、歌舞伎、ポップスに関する著書多数。近著に『手塚治虫とトキワ荘』(集英社)など。
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