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視聴者はなぜ『スカーレット』を“私のドラマ”と感じたのか? 作品全体を通して描いた「不可逆性」

リアルサウンド

20/3/31(火) 6:00

 戸田恵梨香主演の連続テレビ小説『スカーレット』が、3月28日に最終回を迎えた。かつては職業のセレクトや職業観など、ちょっと先を行く女性の生き方を提示するスタンスだったと言われる朝ドラ。それが徐々に現実よりも少しゆっくりした歩みになり、『ゲゲゲの女房』での改革以降はむしろ「昭和回帰」や、『ゲゲゲ~』『まんぷく』を筆頭とした「偉人たちの足跡を追う、日本礼賛」方向にシフトしていった感もあった。新しいモノが生まれにくく、閉塞感のある現代では、自然な流れだろう。

【写真】戸田恵梨香から窪田正孝へ繋いだバトン

 ところが、『スカーレット』は、現代の女性たちの生き方や気持ちと完全に並走する、どうしようもなく現代的でシビアで、力強く、肝が据わった朝ドラとなった。まるで、閉塞感を打ち破ることができるのは、結局自分の心の持ちようだと諭されるような心境にすらなる。

 以前書いた「同業者夫婦」(参考:『スカーレット』で水橋文美江が描く同業夫婦の苦悩 “朝ドラ新時代”を感じさせるヒロインの在り方)とともに、『スカーレット』が作品全体を通して描いたテーマは、おそらく「不可逆性」なのではないだろうか。

 なかなか脱することのできない貧乏暮らしも、あっけなく終わった初恋も、息子の病気が進行する中、ラスト近くでようやく再登場した初恋相手が都合の良い奇跡や幸運を運んでくれるわけではなかったことも、世の無常を感じさせる。

 一貫して甘くない現実が描かれていく中、不可逆性が特に色濃く表現されるようになったのは、喜美子(戸田恵梨香)が穴窯での窯炊きに憑りつかれ、夫・八郎(松下洸平)や友人の声にも耳を貸さなくなり、借金までして失敗を繰り返した後に、成功を手中にした中盤からだろう。

 最初は夫・八郎に倣って始めたはずの陶芸において、独創性や創作に対する尋常でない情熱を見せ始める喜美子。そして、その姿に嫉妬や劣等感を抱く夫との間に溝ができていく。理論的には夫婦間で「生計を立てる担当」「芸術に打ち込む担当」を分けず、どちらも分業・協働することもできるだろうが、それができないのは、喜美子の芸術家としての業だったのだろう。

 窯炊きに成功し、収入の心配がなくなってからは、別居を解消しても良いはずだった。しかし、そうはせず、離婚を選ぶことになったのは、夫の男性としての業だったろう。

 しかも、一時はギクシャクしていた二人が、息子とともに、後にたびたび食事を共にする関係になる。離婚したのも、憎み合ったり嫌いになったりしたわけではないのだから、元の関係に戻っても良さそうなものだが、そこでも決して元通りにはならない。

 共に愛する息子・武志(伊藤健太郎)を見守りつつ、「おばちゃん」「おっちゃん」と言い合う、「サバサバした新しい関係」を築いていくところに、現代的な夫婦のあり方とともに「不可逆性」を感じずにはいられない。

 老いや病の描写もまた、不可逆だ。

 父・常治(北村一輝)がお金のために長距離輸送の仕事を請け負ったは良いが、無理がたたって身体をこわし、亡くなったり、マツ(富田靖子)が老いて何度も同じことを言うようになったり。武志の身体を病が着々とむしばんでいく中、「絶対に死なさへん」という母の決意も、周囲の人々の協力もまた、武志を救うことはできなかった。そして、大人たちも身体にガタがくるなど、老いてきている。

 度重なる厳しい現実と、一度失ったら取り戻せないモノの数々。出会いと別れが繰り返される中、悲しみを乗り越え、自身の糧としながら、喜美子は強くたくましく前を向いていく。居間で食事をする、工房に佇む、坂道を歩く一人の姿はとてつもなく孤独だが、強さと凛々しさを漂わせている。

 そんな中、この作品を振り返るとき、いつもあたたかな光として思い出されるのは、序盤のわずかな期間に描かれた「荒木荘」での女中修行の日々だ。

 ヒロイン・喜美子がまだ何者でもない時期。しかし、安い給料を補うために1足12円でストッキングを繕うといった「どうやってでも生きていくための術」を教えてくれたのも、生涯続く濃厚な人間関係が得られたのも、荒木荘である。

 出会いも別れも、生きている限り繰り返される。しかし、その大きさは決して等価ではなく、若い頃の一時の出会い・思い出が生涯を照らし続けてくれる存在となることは、私たち視聴者にも経験のあることではないだろうか。照子(大島優子)・信作(林遣都)という幼い頃からの腐れ縁もまた、得られるとしたら、一生の宝物に違いない。

 また、『スカーレット』において重要な意味を持っていると思えるのは、唐突な存在に見えた工房の客・小池アンリ(烏丸せつこ)との不思議な交友関係だ。これは幼い頃や若い頃の友人関係とは異質のもの。バックグラウンドに共通点は全くないのに、好きなモノや感性が合うだけで、ときどき会ってお喋りをして、刺激を受けることができる趣味友・オタク友・仕事友に近い気がする。

 変わらないものは何もないし、年々失うもの、取り戻せないものは増えていく。私事で恐縮だが、それでも人生は否応なく続くこと、生きていかなきゃいけないことの重みを感じるようになったのは、40代に入ってからだ。

 バブル崩壊後に就職し、日本の浮かれ気分を実体験として知らない50歳未満の世代。しかも、ぐっすり眠れば回復した30代までと違い、身体にはすでに何らかの病気や不快症状など、不可逆な不良個所を抱えていたり、親の老いを切実に感じていたりする。それでも「人生100年時代」では、まだ折り返してすらいない事実に、ときどき心底ゾッとする。
40代に入ってから、旧友と互いの誕生日にお祝いメールを送り合うたび、「このトシになると、大切なのは友達と健康だけ」なんて話が出てくるようになった。そうした境地と『スカーレット』は不思議なくらいリンクしている。

 心理描写が非常にリアルであるために、「これは私のドラマだ」と感じる視聴者は多かったことだろう。その中でも40代女性にとっては、物語で描かれている時代は大きく異なるにもかかわらず、自らが歩んできた時代性と、老いを感じ始める体験などが重なり、より一層、身につまされるドラマとなったのではないだろうか。

 先行き不安な現代で、不可逆性に苛まれる自分を支えてくれるのは、心を温かくしてくれるような思い出や場所、友人、そして自分の中で燃やし続けることのできる何らかの炎だけ。恐ろしく同時代性を感じる朝ドラだった。

(田幸和歌子)

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